6月14日(木)ウラディーミル・アシュケナージ指揮 NHK交響楽団
東京文化会館
【曲目】
1.デュカス/交響詩「魔法使いの弟子」
2. チャイコフスキー/ロココ風の主題による変奏曲Op.33(フィッツセンハーゲン版)
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【アンコール】
プロコフィエフ/兵士のマーチ
Vc:デーヴィッド・コーエン
3. ルーセル/バレエ組曲「バッカスとアリアーヌ」第2番Op.43
4. ストラヴィンスキー/バレエ組曲「火の鳥」(1919年版)
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音楽監督としてのアシュケナージの指揮を聴けるのも今月限り。やっぱりアシュケナージはいい!それは「本物」の魅力といったらいいのだろうか。適当に狙いを決めて力で押し切るのではなく、ピタリと的の核心を深く射抜くような集中力と確かさ。鳴るべき音が鳴るべき所であるべき姿で鳴っていることが持つ底力のすごさ。ひとつひとつの音が磨かれ、柔らかな光沢を放ち、それが整然と佇んでいる美しさ。「アポロ的な美」という表現をこんな時に使うのだろうか。
アシュケナージがN響を振ると、その安定感、磨きのかかった高級感、最初に書いたピタリと核心を突く集中力が、その音楽の持つ魅力のエッセンスを抽出する。
「ロココの主題」以外の3曲は物語が背景にある音楽だが、アシュケナージ/N響の演奏はこうした物語を無駄な舞台装置や大袈裟な演技などなしに、名優の心憎い所作や名ゼリフや、シンプルだけれどシルエットを巧みに浮かび上がらせるような照明とか、そうした本物の技を結集して聴かせ、感動を与えてくれる。或いは、磨きぬかれ均整がとれ、力強い生命力を伝えるミケランジェロの彫像のような美しさ! とにかく演奏を聴いているとこの手の賛辞の言葉が次々と浮かんでくるのは自分だけ?
「火の鳥」の熱のこもった引き締まった終曲が鮮やかに終わった後も「ブラボー」はひとつもかからない。4月のコバケンの「幻想」であれだけ吼えてた大勢のブラボーくん達は一体この演奏から何も感じないのだろうか? アシュケナージとN響がどんなにすごい演奏をするかを一緒に感じて分かち合える人はいないだろうか?炎のコバケンは好きだし、去年の投票でダントツだったノリントンもすごいとは思うが… アシュケナージ最後のステージとなるベートーヴェンの7番が熱狂的な聴衆の拍手と歓声に包まれることを祈るのみ。
付け足しのようになってしまったが、「ロココの主題」でソロを弾いたコーエンのチェロも素晴らしかった。柔らかく落着いた優雅な歌、高音の美しさ、滑らかな弓さばきでこのチェロの名曲が生き生きと磨かれ、素敵な幸福感をもたらしてくれた。もちろんそこにアシュケナージ/N響の絶妙な息遣いの名サポートがあったことも忘れてはいけない。
東京文化会館
【曲目】
1.デュカス/交響詩「魔法使いの弟子」
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2. チャイコフスキー/ロココ風の主題による変奏曲Op.33(フィッツセンハーゲン版)
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【アンコール】
プロコフィエフ/兵士のマーチ
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Vc:デーヴィッド・コーエン
3. ルーセル/バレエ組曲「バッカスとアリアーヌ」第2番Op.43
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4. ストラヴィンスキー/バレエ組曲「火の鳥」(1919年版)
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音楽監督としてのアシュケナージの指揮を聴けるのも今月限り。やっぱりアシュケナージはいい!それは「本物」の魅力といったらいいのだろうか。適当に狙いを決めて力で押し切るのではなく、ピタリと的の核心を深く射抜くような集中力と確かさ。鳴るべき音が鳴るべき所であるべき姿で鳴っていることが持つ底力のすごさ。ひとつひとつの音が磨かれ、柔らかな光沢を放ち、それが整然と佇んでいる美しさ。「アポロ的な美」という表現をこんな時に使うのだろうか。
アシュケナージがN響を振ると、その安定感、磨きのかかった高級感、最初に書いたピタリと核心を突く集中力が、その音楽の持つ魅力のエッセンスを抽出する。
「ロココの主題」以外の3曲は物語が背景にある音楽だが、アシュケナージ/N響の演奏はこうした物語を無駄な舞台装置や大袈裟な演技などなしに、名優の心憎い所作や名ゼリフや、シンプルだけれどシルエットを巧みに浮かび上がらせるような照明とか、そうした本物の技を結集して聴かせ、感動を与えてくれる。或いは、磨きぬかれ均整がとれ、力強い生命力を伝えるミケランジェロの彫像のような美しさ! とにかく演奏を聴いているとこの手の賛辞の言葉が次々と浮かんでくるのは自分だけ?
「火の鳥」の熱のこもった引き締まった終曲が鮮やかに終わった後も「ブラボー」はひとつもかからない。4月のコバケンの「幻想」であれだけ吼えてた大勢のブラボーくん達は一体この演奏から何も感じないのだろうか? アシュケナージとN響がどんなにすごい演奏をするかを一緒に感じて分かち合える人はいないだろうか?炎のコバケンは好きだし、去年の投票でダントツだったノリントンもすごいとは思うが… アシュケナージ最後のステージとなるベートーヴェンの7番が熱狂的な聴衆の拍手と歓声に包まれることを祈るのみ。
付け足しのようになってしまったが、「ロココの主題」でソロを弾いたコーエンのチェロも素晴らしかった。柔らかく落着いた優雅な歌、高音の美しさ、滑らかな弓さばきでこのチェロの名曲が生き生きと磨かれ、素敵な幸福感をもたらしてくれた。もちろんそこにアシュケナージ/N響の絶妙な息遣いの名サポートがあったことも忘れてはいけない。
私もそのように思いました。
この東京文化会館定期シリーズ最後の演奏会第1日目は湿気が強くて、弦がよく鳴らなかったとか、、、、(自分で聴いていては解らず、演奏家の方のブログで知りましたが)