以前から気になっていた、霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)にやってきました。
霧島六社権現のひとつで明治の頃、夷守神社と合併。
夕方、日も暮れそうな時間なので誰もいません。
神社によくいらっしゃる狛犬ではなく
金剛力士像が石段の両側にいらっしゃいました。
神仏習合の神社で別当寺は瀬多尾寺です。
こんな感じでいらっしゃいました。
参道を上り拝んできました。
詳しいいわれや説明はどこにも書かれてないようです。
創建は不詳。
『続日本後記』 巻六、仁明天皇の条
「承和四年(八三七)八月壬辰、 日向国子湯郡 都濃神。 妻神。 宮崎郡 江田神。 諸県郡霧島岑神並び
官社に預かる」この頃にはすでにこの地にあったようです。
霧島六社権現(きりしまろくしゃごんげん)
霧島神宮(鹿児島県霧島町)・東霧島神社(つまきりしまじんじゃ / 宮崎県高崎町)・狭野神社(さのじんじゃ/ 宮崎県高原町)・霧島東神社(きりしまひがしじんじゃ / 宮崎県高原町)・霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ/ 宮崎県小林市)以上5社の総称。一つ足りないのは霧島岑神社と夷守(ひなもり)神社が明治6年(1873)に合併したため。(六社には山田町の山田神社と安原神社が含まれていたとする説も。)
多少の異同はあるものの現在はそれぞれ日向四代の神々を祀っていますが、元は霧島の山そのものを御神体としていたのではないかとも考えられます。これらの神社を六社権現として整備したのは、10世紀村上天皇の頃、天台法華仏教を奉じ修験道信仰を確立した性空(しょうくう)上人です。
性空上人は霧島でも修行して霧島山信仰を体系づけた人物であり、高千穂峰頂上にある「天の逆鉾」も、この性空上人のながれをくむ修験者が置いたものではないかといわれています。
【別当寺】
明治新政府による廃仏毀釈(神仏分離)が行われる以前、日本では古来からの神道と伝来宗教である仏教が宗教の対立を避け、調和を求めて同じ信仰体系を構築してきました。
別当寺とは神仏習合説に基づいて神社に設けられた寺のことで、神前読経など仏式の祭祀が神社内で行われ、それを行う者を別当(社僧)と呼んだことから別当のいた寺を別当寺といいます。
(神宮寺・神護寺・宮寺なども同義です。)
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