前回記したように、読売新聞での調査から見ると、死者に対する親近感が恐れの感情よりも強いことがわかる。
そして、「先祖」というものを現代の日本人はどうとらえているのか、という問題では、井上治代さんの著書『現代お墓事情』から見ると、先祖とは何かという問いに対して「両親や祖父母のことくらい」と考える人が36.1%と多かった。また特定できる具体的な先祖ではなく、自分のルーツとしての先祖と考える人もいた。(具体的な数字が今わからないので、調べてから加えます)。現代人の多くが考える先祖の存在とは「人間性から沸き起こる懐かしさであり、興味」という結果が出た。
こうして考えてみると、父母や祖父母は、年忌を終えていない死者である可能性も高いが、それらの死者に対しては不安定で恐ろしい存在と認識しているのだろうか。
井上さんのアンケートや読売新聞の結果から見ると、「見守る」死者というのは、恐らくは、多くは父母や祖父母などの近親者を念頭に考え、生前のように自分たちを見守る存在であると考えている、ということなのだと推測する。
死者は、年忌を経てから先祖として見守る存在になる、と考えるより、生前の愛情のつながり、そのままの感情を反映して年忌に関係なく見守る存在であると考えているのではないか。
それは、祟りへの恐れからの鎮魂を目的としていた先祖供養の観念から、愛情からの先祖供養へ変化していると考えられる。
そこで、その変化の理由を考えるにあたり、葬送に関して以前と異なることを探していくと、一つには埋葬方法の変化が挙げられる。
以前は多くが土葬だったものが、現在ではほぼ火葬となっている。
近畿地方に多く分布している「両墓制」とよばれる墓制がある。これは土葬を原則としており、遺体を埋葬する埋め墓と詣り墓という遺体のない墓参のための墓の二つを有する墓制である。埋め墓に遺体が埋葬されると、早々に祭祀を打ち切られ、祭祀はもっぱら詣り墓のほうでなされることになる。最上孝敬さんの『詣り墓』によると、「けがわらしい遺骸を葬った場所を意味避け、清らかなけがれのない所を祭りの場所として選んだもの」とされている。
しかし、火葬の導入によって両墓制を行っていた地域も単墓制に移行しているのである。この事実をとってみても、火葬は「死体に伴うケガレの感情の消去に力を貸した(藤井正雄『お墓のすべてがわかる本』より)」と言えるのではないのだろうか。
このように土葬の時代には、遺骸は穢れていると考えられていたが、この観念は死体が腐敗する過程から生まれた感情なのではないかと思われる。
また、仏教では白骨化することが成仏する印として考えられているように、人々の意識の中で、火葬により白骨化するまでの過程が短縮されたことで、ケガレの観念が減少したと言えるのだと思う。
また霊魂への観念も、死んだばかりの霊魂は不安定で危険な存在と思われると同時にけがれていると考えられ、年忌を経ることで清められると認識されていた。
これも死体に対するケガレの観念に影響されたものではないのだろうか。年忌を経て安定した存在へと変化するという観念は、死体が腐敗し、時間を経て白骨化することで成仏するという過程と非常に良く対応する。
火葬が普及したことで、霊魂や遺体に対するケガレの観念が減少し、恐れより愛情を持つ気持ちに変化したのだと思われる。
そして、「先祖」というものを現代の日本人はどうとらえているのか、という問題では、井上治代さんの著書『現代お墓事情』から見ると、先祖とは何かという問いに対して「両親や祖父母のことくらい」と考える人が36.1%と多かった。また特定できる具体的な先祖ではなく、自分のルーツとしての先祖と考える人もいた。(具体的な数字が今わからないので、調べてから加えます)。現代人の多くが考える先祖の存在とは「人間性から沸き起こる懐かしさであり、興味」という結果が出た。
こうして考えてみると、父母や祖父母は、年忌を終えていない死者である可能性も高いが、それらの死者に対しては不安定で恐ろしい存在と認識しているのだろうか。
井上さんのアンケートや読売新聞の結果から見ると、「見守る」死者というのは、恐らくは、多くは父母や祖父母などの近親者を念頭に考え、生前のように自分たちを見守る存在であると考えている、ということなのだと推測する。
死者は、年忌を経てから先祖として見守る存在になる、と考えるより、生前の愛情のつながり、そのままの感情を反映して年忌に関係なく見守る存在であると考えているのではないか。
それは、祟りへの恐れからの鎮魂を目的としていた先祖供養の観念から、愛情からの先祖供養へ変化していると考えられる。
そこで、その変化の理由を考えるにあたり、葬送に関して以前と異なることを探していくと、一つには埋葬方法の変化が挙げられる。
以前は多くが土葬だったものが、現在ではほぼ火葬となっている。
近畿地方に多く分布している「両墓制」とよばれる墓制がある。これは土葬を原則としており、遺体を埋葬する埋め墓と詣り墓という遺体のない墓参のための墓の二つを有する墓制である。埋め墓に遺体が埋葬されると、早々に祭祀を打ち切られ、祭祀はもっぱら詣り墓のほうでなされることになる。最上孝敬さんの『詣り墓』によると、「けがわらしい遺骸を葬った場所を意味避け、清らかなけがれのない所を祭りの場所として選んだもの」とされている。
しかし、火葬の導入によって両墓制を行っていた地域も単墓制に移行しているのである。この事実をとってみても、火葬は「死体に伴うケガレの感情の消去に力を貸した(藤井正雄『お墓のすべてがわかる本』より)」と言えるのではないのだろうか。
このように土葬の時代には、遺骸は穢れていると考えられていたが、この観念は死体が腐敗する過程から生まれた感情なのではないかと思われる。
また、仏教では白骨化することが成仏する印として考えられているように、人々の意識の中で、火葬により白骨化するまでの過程が短縮されたことで、ケガレの観念が減少したと言えるのだと思う。
また霊魂への観念も、死んだばかりの霊魂は不安定で危険な存在と思われると同時にけがれていると考えられ、年忌を経ることで清められると認識されていた。
これも死体に対するケガレの観念に影響されたものではないのだろうか。年忌を経て安定した存在へと変化するという観念は、死体が腐敗し、時間を経て白骨化することで成仏するという過程と非常に良く対応する。
火葬が普及したことで、霊魂や遺体に対するケガレの観念が減少し、恐れより愛情を持つ気持ちに変化したのだと思われる。