『ハチミツとクローバー』9巻が出ていたので買いました・・・というかだんなさんに買ってきてもらいました(笑)
最初に行った本屋が売り切れで店員さんに聞いてもらったりして、大の大人が恥ずかしかったそうです(^^;)ありがとう。ごめんね~
この漫画はneko_holicちゃんから教えてもらって買ったのですが、美大生たちの青春物語といった感じですが、登場人物の感情描写も繊細で、すごく共感します。なんか読んでいるとほんと甘酸っぱい気持ちになります。・・・特にもう青春終わってしまった世代には(笑)。そして絵もおしゃれでとてもかわいい!
そんな感じでずっとほのぼのした気分で読んでいたのですが、9巻は突然展開が変わり、重いお話になりました。そして私も今までずっと考えてきたことがテーマになっていて、ちょっと考えてしまいました。
読んだことのない方にはわかりにくいと思いますが、ごめんなさい。
森田兄弟のエピソードで、クリエィティブな才能を持ち、めちゃくちゃな人だけれど、みんなから愛されているお父さんが親友に裏切られる話。親友はずっとお父さんのことをうらやましいと思ってきて、「持つ者」と「持たざる者」がなぜこの世にいるのだろう、でも自分にも自分にしかできない何かがあるはずだ、と思っていました。でもとうとう自分の命の最後になり、自分と同じ「人としてあがく姿をみせてくれ」とお父さんを裏切ります。
しかし、私もこの親友の気持ちすごくわかるのです。どちらかといえば私も「持たざる者」で、それでも自分にしかできない何かがあると信じて、それを探してあがいているのですから。そんな自分だけれどなにかを作り上げたい。なにかはわからないけれど、その気持ちをずっと抱いています。
そして絵の天才的な才能をもつはぐちゃんが右手の神経を切る大怪我をして、今後の創作活動もどうなるかわからない状態になってしまいます。絵を描くことが生きることだったのにそれを絶たれてしまって、絶望しているところに森田さんが「何かを残さなきゃ生きている意味がないなんて、そんなバカな話があるもんか」とはぐちゃんに言って9巻が終わります。
私は「何かを残したい」とずっと思って生きてきたので、この言葉についても考えてしまいました。
そう思っていたとき、たまたま新聞で進化生物学者の長谷川真理子さんの記事を読み、すこし答えを見つけた気がしました。
「人間は二つの伝達経路を持っていて、その人の存在が完全に消えてしまうことはありません。その二つとは遺伝子による遺伝情報、つまり子どもを残すことと言語・文化による情報伝達です。
何か特別なものを残そうと苦労しなくても、社会の一員として働いていれば、それだけで必ず他者に対して意味を持ちます。発明や芸術家の作品など、特別に何か残ればもうけものでしょうが、ある時代に自分が一生懸命働いて生きたということは、社会の発展や継続に寄与したわけだから、その世代が継承されていく上でのいろいろな土台に貢献したことになります。
人間は遺伝子以外にも文化を作り、維持し、継承することで、自分が生きた歴史を残すことができるのです―」
これを読んで、少し肩の力が抜けたような気がしました。
結局自分の今の環境でできることをがんばれ、ということに落ち着くのかな。
最初に行った本屋が売り切れで店員さんに聞いてもらったりして、大の大人が恥ずかしかったそうです(^^;)ありがとう。ごめんね~
この漫画はneko_holicちゃんから教えてもらって買ったのですが、美大生たちの青春物語といった感じですが、登場人物の感情描写も繊細で、すごく共感します。なんか読んでいるとほんと甘酸っぱい気持ちになります。・・・特にもう青春終わってしまった世代には(笑)。そして絵もおしゃれでとてもかわいい!
そんな感じでずっとほのぼのした気分で読んでいたのですが、9巻は突然展開が変わり、重いお話になりました。そして私も今までずっと考えてきたことがテーマになっていて、ちょっと考えてしまいました。
読んだことのない方にはわかりにくいと思いますが、ごめんなさい。
森田兄弟のエピソードで、クリエィティブな才能を持ち、めちゃくちゃな人だけれど、みんなから愛されているお父さんが親友に裏切られる話。親友はずっとお父さんのことをうらやましいと思ってきて、「持つ者」と「持たざる者」がなぜこの世にいるのだろう、でも自分にも自分にしかできない何かがあるはずだ、と思っていました。でもとうとう自分の命の最後になり、自分と同じ「人としてあがく姿をみせてくれ」とお父さんを裏切ります。
しかし、私もこの親友の気持ちすごくわかるのです。どちらかといえば私も「持たざる者」で、それでも自分にしかできない何かがあると信じて、それを探してあがいているのですから。そんな自分だけれどなにかを作り上げたい。なにかはわからないけれど、その気持ちをずっと抱いています。
そして絵の天才的な才能をもつはぐちゃんが右手の神経を切る大怪我をして、今後の創作活動もどうなるかわからない状態になってしまいます。絵を描くことが生きることだったのにそれを絶たれてしまって、絶望しているところに森田さんが「何かを残さなきゃ生きている意味がないなんて、そんなバカな話があるもんか」とはぐちゃんに言って9巻が終わります。
私は「何かを残したい」とずっと思って生きてきたので、この言葉についても考えてしまいました。
そう思っていたとき、たまたま新聞で進化生物学者の長谷川真理子さんの記事を読み、すこし答えを見つけた気がしました。
「人間は二つの伝達経路を持っていて、その人の存在が完全に消えてしまうことはありません。その二つとは遺伝子による遺伝情報、つまり子どもを残すことと言語・文化による情報伝達です。
何か特別なものを残そうと苦労しなくても、社会の一員として働いていれば、それだけで必ず他者に対して意味を持ちます。発明や芸術家の作品など、特別に何か残ればもうけものでしょうが、ある時代に自分が一生懸命働いて生きたということは、社会の発展や継続に寄与したわけだから、その世代が継承されていく上でのいろいろな土台に貢献したことになります。
人間は遺伝子以外にも文化を作り、維持し、継承することで、自分が生きた歴史を残すことができるのです―」
これを読んで、少し肩の力が抜けたような気がしました。
結局自分の今の環境でできることをがんばれ、ということに落ち着くのかな。
子供とTVアニメでちらっと見たことがあります。
なので、話はよくわからないのですが、
polinさんが紹介してくれたエピソードにはドキっとしました。
私も「持たざる者」として、あがいた1人なので。
結果として美術関係の進学はせず、福祉の道へいわば逃げたのですが、
これが自分でいうのもなんですが、「天職」で(笑)。
福祉の世界はそれこそ、「求む!器用貧乏さん」みたいなとこがあって、
身の回りのお世話から、家事援助、レクの企画、ポスター描き、手芸に折り紙etc.
あぁ、私はこのために器用貧乏なのだと、すごくうれしくなりました。
そこまで思えるようになるまでは苦しみましたけどね。
若いうちは、何の才能もない自分なんて!!!と思ったけど、
絵や作品を残すだけが優れているわけではなく、
出来ることを一生懸命やれることが幸せなことだと、
早く気付きたかったな~と思います。
でも、自分で自分を認め、その思いを昇華させたのはすごい。
そういうことがあって、いまのあやぴーさんがあるんだなあ・・・。
私も実は自分のことはとても好きなのですが(笑)、
もっともっと向上したいという気持ちが強く、
こういう自分になりたいという理想と本来の自分がすれ違うときがあって、時々落ち込むときがありました。
といっても、年をとるごとに「無理せず、自分の気持ちのいいこと」を大切にするようになり、ずいぶんラクになりました。
そして、今の環境で努力していれば、一見関係のないほかの道にもつながることがある、ということも体験しました。
できることを一生懸命やるということが結局幸せなことだと私も気づけてよかった。
森田兄が、父の為に復讐を遂げた後、虚無感に囚われてしまう所、なんだか、思春期に悩んでいた時期のことを思い出してしまった。
「一生懸命働いたことが社会貢献になる」か~
私は、仕事に関しては、やってもやってもやっても
森田兄のように虚無感に囚われてしまう。
深い井戸のそこの貞子みたいな気分になる。
OLの友人は、事務職より、教える仕事って、とても意味があるじゃない?て慰めてくれるけど
違うんだよ そうじゃなくって
自分が生きた証
やっぱ、そこへ来ちゃうんだよね。
私の場合は、何かを残したい、というより
自分が生まれる価値が本当にあったのかどうか
それが、永遠の思念だな
でも、現実問題、自分が稼いだお金で、自分が生かされてる事だけが実感なので、社会貢献には程遠い気がする・・・
「あれ、なんだかうしろにごろっとしたものが・・・みどりちゃんだー!」とびっくりしてしまったよ(笑)。
私も仕事をしていたとき、自分の中の理想がなくなっていって、ただ「お金を稼ぐために働く」感じになってしまったけれど、
江原さん(またすみません)曰く、「適職と天職はちがう」そうで、適職は自分が持っている頭脳や体のいい部分を使ってお金を稼げる職業、天職は天から授かった職業、自分が好きで仕方がないこと、あるいは人に喜んでもらえることで、収益は伴わないことが多いのだそうです。
だから、今の働いていることでそういう実感をもつっていうのは、たぶんneko_holicちゃんだけじゃないと思うよ。
生まれる価値かあ・・・私に言われても説得力ないかもしれないけれど、それは絶対ある。
私は会えてよかったなあと思うもの。
たぶん私が経験したことない、つらい経験もあるかと思うけれど、
かえって、真理を見つめる目が研ぎ澄まされている気がする・・・うまく言えないけれど。
私は、「自分は何者?私は何の目的で生まれてきたの?」ってのがずーっと心を占めていることなので、
たぶん死ぬまでそう思っているかもしれないな。