昨日は、私のいとこの命日で、1周忌の法要が行われました。
私の母はひとりっこで父は7人兄弟の次男。
なので、いとこは10人以上はいますが、男の人は女の人と違って、いつも親戚同士密に行き来する・・・というわけではなかったので、
関係はとてもよいのですが、うちの姉妹は、いとこ同士でそんなにしょっちゅう会うことがありませんでした。
まだ30を過ぎたばかりのかわいらしいいとこ。久しぶりに会えたのは彼女のお葬式でした。
オペラを勉強して、プロデビューを控えていた彼女は、ドレスを着てきれいなお花に囲まれていました。
その姿がとてもかわいらしくて、なんか天使みたいだなあ・・・と思いました。
今回、お墓参りもさせてもらいましたが、お墓に天使の彫刻が置いてあって、なんだかぴったりだなあと。
1年は気持ちを整理するにはまだ短い時間かなあと思います。
私も1年を過ぎてから、ようやく喪があけた気持ちがしました。
母が死んでから、やっぱりみんな死ぬんだなって、やっとわかりました。
「死」というものはみんなに平等に訪れることで、それ自体は不幸なことではないのだと思います。
でも、残されたものにとっては、それに伴う喪失感はとても大きい。頭でわかっていても、感情はなかなかついていかない。
例えば母は若かったとはいえ、63歳まで生きて、孫の顔まで見れた。
やりたいことはまだいっぱいあったけれど、最後は納得して死んで行ったと思えました。
私もこの世に触れられる母の存在がなくなってしまったのは哀しいけれど、
今は落ち着いた気持ちで過ごすことができています。
でもいとこはこれからの人で、オペラの公演も控え、もうすぐ婚約もするはずだった。
突然の交通事故で、本人も家族も恋人も思い描いていた未来が断たれてしまいました。
その周りの人の喪失感の大きさが・・・とても私とは比べ物にならないと感じます。
でも、この喪失感と向き合いながら、がんばって生きて行こうとしている叔母たちを見て、強いなと思いました。
そして、この同じ日にお友達から、お友達の大事な存在が天国に旅立ってしまったということを聞きました。
お友達もこの大きな喪失感を味わっているのかと思うと、本当に私も心苦しいです・・・
この喪失感を癒せるのは「時薬(ときぐすり)」しかないのかもしれませんが、
みんなにこのくすりがよく効くことを願っています・・・
私の母はひとりっこで父は7人兄弟の次男。
なので、いとこは10人以上はいますが、男の人は女の人と違って、いつも親戚同士密に行き来する・・・というわけではなかったので、
関係はとてもよいのですが、うちの姉妹は、いとこ同士でそんなにしょっちゅう会うことがありませんでした。
まだ30を過ぎたばかりのかわいらしいいとこ。久しぶりに会えたのは彼女のお葬式でした。
オペラを勉強して、プロデビューを控えていた彼女は、ドレスを着てきれいなお花に囲まれていました。
その姿がとてもかわいらしくて、なんか天使みたいだなあ・・・と思いました。
今回、お墓参りもさせてもらいましたが、お墓に天使の彫刻が置いてあって、なんだかぴったりだなあと。
1年は気持ちを整理するにはまだ短い時間かなあと思います。
私も1年を過ぎてから、ようやく喪があけた気持ちがしました。
母が死んでから、やっぱりみんな死ぬんだなって、やっとわかりました。
「死」というものはみんなに平等に訪れることで、それ自体は不幸なことではないのだと思います。
でも、残されたものにとっては、それに伴う喪失感はとても大きい。頭でわかっていても、感情はなかなかついていかない。
例えば母は若かったとはいえ、63歳まで生きて、孫の顔まで見れた。
やりたいことはまだいっぱいあったけれど、最後は納得して死んで行ったと思えました。
私もこの世に触れられる母の存在がなくなってしまったのは哀しいけれど、
今は落ち着いた気持ちで過ごすことができています。
でもいとこはこれからの人で、オペラの公演も控え、もうすぐ婚約もするはずだった。
突然の交通事故で、本人も家族も恋人も思い描いていた未来が断たれてしまいました。
その周りの人の喪失感の大きさが・・・とても私とは比べ物にならないと感じます。
でも、この喪失感と向き合いながら、がんばって生きて行こうとしている叔母たちを見て、強いなと思いました。
そして、この同じ日にお友達から、お友達の大事な存在が天国に旅立ってしまったということを聞きました。
お友達もこの大きな喪失感を味わっているのかと思うと、本当に私も心苦しいです・・・
この喪失感を癒せるのは「時薬(ときぐすり)」しかないのかもしれませんが、
みんなにこのくすりがよく効くことを願っています・・・