Lupinus-ルピナス-

絵本のルピナスさんのように自分なりの「世の中を美しくすること」を見つけたいと思っています。

日本人の死生観(墓からの考察2)

2009年12月09日 | 死生観について
読売新聞(1989年10月11日)の国民意識定期調査の質問より、

♦次のようなことが言われていますが、あなたは、そういうことが実際にあると思いますか。あると思うものを、いくつでもあげてください。

・死んだ人の霊がわれわれを見守っている      34.9
・恨みを残して死んだ人の霊がさまよって出てくる  16.8
・先祖のたたりで子孫が不幸な目にあう       13.9
・われわれ人間は神によって見透かされている    12.9
・肉親が死ぬ前には虫の知らせがある        37.1
・人間には死後の世界(あの世)がある       24.9
・どれもあるとは思わない             31.2
・答えない                     5.2

この時のデータでは、どれもあるとは思わない31.2%、答えない5.2%の人を除く、約60%の人は、霊魂や見えない世界についてその存在を信じているということになる。(複数回答可であるので、人によってその内容は少しずつ違うと思うが)
このデータからも見えるように、今から20年前の日本人には、少なくない割合で霊魂の存在を感じる姿勢が見られるが、この霊魂の存在の認識が先祖を供養する「祖先祭祀」を行う理由の一つであると考えられる。

しかし、霊魂の存在を信じるだけで祖先祭祀を行うものであろうか。それにはやはり祭祀を行なわせる、なにか強い理由があるはずである。

日本の歴史を振り返ってみると、その中に霊魂の存在を強く感じる出来事がある。
例えば、桓武天皇の弟である早良親王や、菅原道真、平将門などは政治的に非業の死を遂げた人たちであるが、彼らの死後、死に追いやった政敵の周囲で不幸が起こり、これらの原因は彼らの怨霊のたたりであると考えられ、魂を鎮めるため御霊会が行われたり、神として神社に祀り上げている。
このように、彼らは死んでしまったからといって、何もできる訳がないと思われてはいないのである。この世に恨みを残して死んでいった者は、死後もなお、恨みを晴らすために生きている者に影響を与えるのだと考えられていたことがわかる。そして鎮魂の儀式を行うことで、その怨霊を鎮め、神に祀りあげることによって反対に生きている者を守る立場に変えるというところに日本人の霊魂観が現れていると思う。

山折哲雄氏によると、この祟りと鎮魂というメカニズムは、ほぼ平安時代に固まり、それはやがて民間にも浸透していったという。そしてその結果、先祖の霊もまた祟るという観念が広まっていったのである。
この観念が祖先祭祀を行う原動力となったのである。
すなわち怨霊が神として祀られ、我々を守る存在へと変化するように、先祖を厚く祀ることによって自分たちを守ってくれるという認識を持つようになったのである。

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