5月3日は母の命日でした。
今年は三回忌の法要を行いました。三回忌・・・といっても亡くなってから2年なんですよね。
1年目は一周忌、2年目は三回忌、となんだかわかりにくい^^;
その法要のときにびっくりすることが起こりました。
法要の前日に、父と私と娘でお墓参りをして、三回忌ということでピンクの百合にパステルカラーの花々を組み合わせてお供えし、自分たちで言うのもなんですが(笑)、とても華やかできれいでした。
きれいなお花だから、お母さんきっと喜んでくれるだろうね、とみんなで満足して家に帰りました。
そして法要当日、お寺に着いてから法要に出席してくださるお客様を待合室に案内したりしていたので、家族の誰も最初お墓を見に行かなかったのです。
法要が済み、お塔婆を持ってみんなでお墓にいくと・・・昨日お供えしたきれいなお花がごっそりなくなっていました。
お墓を掃除してくれる人が枯れた花を片付けてくれることはあるけれど、きのう活けたばかりでそういうことは考えられない。
念のため、と思って近くのお墓を見回してみると・・・うちが昨日お供えしたお花の組み合わせと全く同じものが置いてあるお墓が。
でも、お寺の近くのお店で買ったお花だし、単にたまたま同じ組み合わせで買っただけかもしれないしなあ・・・と半信半疑でしたが、
父にそのお墓のお花を見てもらったら、昨日百合の花をカットしたとき、誤って左右の高さが違ってしまったけれど、まさにその高さが同じだ・・・と言われて、
もう一度良く見てみたら、たしかにそうだ、と。
その後、お客様をお食事の場所に案内しなくてはならなかったので、取り急ぎ昨日と同じような花をまた買ってきて、お供えして、お墓を後にしました。
家に帰ってからもみんな気持ちが治まらず、特に父は怒ったりはしませんが、せっかくお母さんのためにしたのになあ・・・と、とても残念そう。
父がお寺さんにも迷惑になるから言わなくていいよ、ということで、報告しないで帰りましたが、
家に帰ってからも、「誰がとったのか」と想像ばかりが膨らんで結局愚痴大会になってしまったので、そんなことしてるんだったら、ちゃんと話しに行ったほうがいいということで、妹と二人でお寺に報告することにしました。
ご住職さんにそのことを伝えると・・・毎日お散歩に来られる方で、勝手にお寺に咲いている花を摘んでお地蔵様にお供えしてしまう人がいるそうで・・・どうもその方がされたのではないか、ということでした。
花が置いてあったお墓の方は地元に住んでいる方でないそうで、滅多に来られないので無関係だろうと。
お花を置いて行く方も、話を聞くと・・・精神を病んでいらっしゃる方のようで、悪気はないみたいでした。
うちのお墓の花がきれいだったから、目について、なにかその人なりの考えがあってそういうことをしてしまったのでしょう。
花を盗まれたという行為だけ見ると、それが悪意なのかどういう気持ちでしたことか理解できず(自分たちは絶対そんなことしないので)、ただただショックでこの気持ちをどこにぶつけていいかわかりませんでしたが、ご住職さんから事情を聞いたことで、「悪意でなかった」ことがわかって、やっと気持ちを落ち着けることができました。
久しぶりに「闇のループ」にはまりそうになりました。自分の想像で悪い感情がぐるぐるして出口がなくなっちゃう感じ。
物事をすぐに自分のフィルターで判断してはいけないってことですね。
改めて、反省。
世の中は悪意に満ちている訳ではない。けれど、どんなに冷静に観察してもそこにあるのが「悪意」としか感じられないときもあります。
悪意を感じたものに対して、どう対処していけばいいのか、まだ修行中です・・・
直接自分に向けられたものでなくても、見てしまうと、どうしても「むきー!ヾ(`Д´*)ノ」・・・となることが多いです。
とはいっても、その「悪意」に感じられたものも、真の姿は自分の感じているものと違うのかもしれないことはなんとなくわかってはいるのです。
・・・でも、やっぱり許せん!・・・の繰り返しです。
今年は三回忌の法要を行いました。三回忌・・・といっても亡くなってから2年なんですよね。
1年目は一周忌、2年目は三回忌、となんだかわかりにくい^^;
その法要のときにびっくりすることが起こりました。
法要の前日に、父と私と娘でお墓参りをして、三回忌ということでピンクの百合にパステルカラーの花々を組み合わせてお供えし、自分たちで言うのもなんですが(笑)、とても華やかできれいでした。
きれいなお花だから、お母さんきっと喜んでくれるだろうね、とみんなで満足して家に帰りました。
そして法要当日、お寺に着いてから法要に出席してくださるお客様を待合室に案内したりしていたので、家族の誰も最初お墓を見に行かなかったのです。
法要が済み、お塔婆を持ってみんなでお墓にいくと・・・昨日お供えしたきれいなお花がごっそりなくなっていました。
お墓を掃除してくれる人が枯れた花を片付けてくれることはあるけれど、きのう活けたばかりでそういうことは考えられない。
念のため、と思って近くのお墓を見回してみると・・・うちが昨日お供えしたお花の組み合わせと全く同じものが置いてあるお墓が。
でも、お寺の近くのお店で買ったお花だし、単にたまたま同じ組み合わせで買っただけかもしれないしなあ・・・と半信半疑でしたが、
父にそのお墓のお花を見てもらったら、昨日百合の花をカットしたとき、誤って左右の高さが違ってしまったけれど、まさにその高さが同じだ・・・と言われて、
もう一度良く見てみたら、たしかにそうだ、と。
その後、お客様をお食事の場所に案内しなくてはならなかったので、取り急ぎ昨日と同じような花をまた買ってきて、お供えして、お墓を後にしました。
家に帰ってからもみんな気持ちが治まらず、特に父は怒ったりはしませんが、せっかくお母さんのためにしたのになあ・・・と、とても残念そう。
父がお寺さんにも迷惑になるから言わなくていいよ、ということで、報告しないで帰りましたが、
家に帰ってからも、「誰がとったのか」と想像ばかりが膨らんで結局愚痴大会になってしまったので、そんなことしてるんだったら、ちゃんと話しに行ったほうがいいということで、妹と二人でお寺に報告することにしました。
ご住職さんにそのことを伝えると・・・毎日お散歩に来られる方で、勝手にお寺に咲いている花を摘んでお地蔵様にお供えしてしまう人がいるそうで・・・どうもその方がされたのではないか、ということでした。
花が置いてあったお墓の方は地元に住んでいる方でないそうで、滅多に来られないので無関係だろうと。
お花を置いて行く方も、話を聞くと・・・精神を病んでいらっしゃる方のようで、悪気はないみたいでした。
うちのお墓の花がきれいだったから、目について、なにかその人なりの考えがあってそういうことをしてしまったのでしょう。
花を盗まれたという行為だけ見ると、それが悪意なのかどういう気持ちでしたことか理解できず(自分たちは絶対そんなことしないので)、ただただショックでこの気持ちをどこにぶつけていいかわかりませんでしたが、ご住職さんから事情を聞いたことで、「悪意でなかった」ことがわかって、やっと気持ちを落ち着けることができました。
久しぶりに「闇のループ」にはまりそうになりました。自分の想像で悪い感情がぐるぐるして出口がなくなっちゃう感じ。
物事をすぐに自分のフィルターで判断してはいけないってことですね。
改めて、反省。
世の中は悪意に満ちている訳ではない。けれど、どんなに冷静に観察してもそこにあるのが「悪意」としか感じられないときもあります。
悪意を感じたものに対して、どう対処していけばいいのか、まだ修行中です・・・
直接自分に向けられたものでなくても、見てしまうと、どうしても「むきー!ヾ(`Д´*)ノ」・・・となることが多いです。
とはいっても、その「悪意」に感じられたものも、真の姿は自分の感じているものと違うのかもしれないことはなんとなくわかってはいるのです。
・・・でも、やっぱり許せん!・・・の繰り返しです。
そうじゃなかったら悪いことばかりがぐるぐるして余計に嫌な気分になってたかもよ。
精神を病んでいる。とはいえ・・あまり気持ちのいいことではないね。
ホント、自分のものさしでばかり計ってはいけないことってあるよね^^;
小さな誤解は積もれば大きくなっちゃうから。
お母さんが亡くなって2年も経つのか・・
お母さんを通して家族が一つになっている感じがステキだなって思いました^^
そういう気持ちをずっともっていると、自分が疲れちゃうから、
早めに解決してよかった。
世の中って、自分が考えているのと,真実は違っていることはたくさんあるんだろうなあと思った。
母が亡くなって2年になって、大分落ち着いてきたけど、
先日、娘が家族の誕生日をみんな覚えているよ~という話題になったとき、
亡くなったおばあちゃんの誕生日もちゃんと入っているんだよね。
亡くなっても娘の中でおばあちゃんの存在は消えてないんだなあと思いました^^