Despertando.meさんより
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アルクトゥルスグループからのメッセージ 2016年4月18日
http://www.onenessofall.com/newest.html
Monday, April 18, 2016
Marilyn Raffaele ~ The Arcturian Group ~ APRIL 17, 2016
人間が一般にいまだに神について抱いている多くの概念について お話しをします。目に見えない力の本質に関する信仰と表面的なアイディアは人類が真実を無視し、理解できなかった時に形成されまし た。その当時の一般の意識は主として恐れと生き残りからなっていたので、これらの未覚醒の人達は自分たちのために物、アイディア、あ るいは自分たちを救い、敵を倒す力を持つ者である、自分たちの意識状態を反映する神を創造しました。これらの神は復讐をし、暴力的で 人間のイメージと好みの中で作り出された神の初期の形でした。
神の概念は、ソウルが地球にやってきて自分たちが誰か、踊りを 楽しみ、物質と共に経験を積むスピリチュアルな者であることを忘れ、自分たちを物質であると信じ、自分たちを忘却のベールで覆ってし まったごく初期からの人間の信念システムの一部でした。
全てのソウルは人間の真の本質が、自分が誰かを決して忘れない のですから、自分たちが天の物質から完全なものとして創造された一体であることに対する切望を満足させる誰か、あるいは何かを求めま す。探索は生涯に次ぐ生涯へと続き、あらゆる経験はソウルを見定める必要があるものへと近づけてゆきます。それは聖杯の物語のような もので、何年にもわたる探求と探索の後に帰宅し、樹木の枝に掛けてあるのを発見することになります。聖杯は自分の中にありますが、普 通は多くの生涯に及ぶ外部での探索の後に、疲れ果てて諦めた時についにそれがいつも自分の中にあったことを発見するのです。探索は多 くの生涯に亘って多くの形をとります。ある物、場所、あるいは人の中に力があるとの信念を抱き、それを尊崇する偶像崇拝が一つの形で す。地球上の多くの人達が名声、権力、あるいはお金に対する崇拝を通じて偶像崇拝に陥っていることに気が付いていません。
ある者はいまだに神を その厳密なルールに従わない全ての者に罰を与える空にいる族長のような老人とみなしています。ジーザスが新約聖書を与えると宣言 した事実にもかかわらず”キリスト教徒”と自分たちを呼ぶ多くの者を支配している者は旧約聖書の神なのです。これが他者を批判 し、審判する、あるいはジーザスのみが神聖だと忠実に宣言する一方で、聖書の誤った解釈によって自分たちの行動を弁護する非道な 行いをする者が好む神なのです。このグループの中の多くの者はジーザスのみが神聖であると宣言し、ジーザスを尊崇します。これも 偶像崇拝の一種です。ある者は、神のルールが破られなければ、神は非常に愛すべき者であると信じています。これも人間のイメージ と好みの中で作られた神の姿です。非常に”ニューエイジ的”、だと感じる者たちはこの素敵な神は女性だとするかもしれません。他 の生涯を過ごしたことがある全ての人達はこれらの種々の神の尊崇方法を経験してきました。
探索しても見つけられ ないフラストレーションに駆られた人達は単純に神などはいないと決め込みます。スピリチュアルな熟達者が、人間のイメージの中で 作り出された全ての神を捨て去り、多重存在で、全知の、全能の意識の具現化としての、全てのものの聖なる現実を理解し、受け入れ なければならない時が来ます。誠実な人達はいまだに自分自身の神を見出し、尊崇するための探索を今日まで、祭式、祈り、信仰、 ルール、を通じて、自分の信念システムを傲慢にも正しいと信じながら押し通しています。
数百の生涯を通じての 数百の旅はある時点で全ての人に覚醒の用意をさせます。自分の外部の探索をする実りのない多くの生涯の後に、準備ができたソウル は単純にあきらめ、しばしば単に神はいないと決めつけます。これは強力な転換点であり、あらゆることがあるところである、自分の 内側への意識の扉を開き、自分の外側の探索を終わります。神は人間のマインドでは決して理解も知ることもできません。これができ ると信じている人達がいますが、人間の限度あるマインドで受け入れたり理解するには神は大きすぎますが、これが非常に多くの神の 概念が創造された主要な理由なのです。
このメッセージを読ん でいる全ての人達は残っている時代遅れの”空に浮かぶパイ”のような神に対する概念を越えて進む備えができています。他の全ての 残留概念は、多くの生涯を通じてあなた方が求めてきた一つの聖なる意識との表現としてあなた方自身を完全に覚醒させる障害として 作用し得ます。
あなた方は神のほんの 一部ではなく、その全体なのです。なぜなら一つのものは分割できないからです。あなた方はこれを理解するのに必要な経験と知識を 集積してきました。これがあなた方が求めてきたことなのです。あなた方には自身と神についての目覚めとあらゆる疑念を越えて前進 する用意ができています。
人はいまだに罪深く、 浄化のためにある一連のルールと祭式に従わなければならず、従わなければ罰せられると教えられています。天の意識には、人工の概 念は含まれてはいません。天の意識は何が真実かだけを知っているので、人間が夢見ることを選択するかもしれないとは思っていませ ん。神は、絶対的に天の意識を持つものであり、永遠に天の法によって配置されているのです。
次元上昇は卒業段階に はいっており、一つのものの意識的な覚醒へと進もうとしています。次元上昇によって、人間は、神についてのあらゆる真実、あなた 方についての真実を知ろうとしています。天の意識とは、幻想としての外見の如何にかかわらず、一つの聖なる意識が全ての人間、動 物、樹木、及び岩として現れていることを知るところから暮らすことです。真実とはそこにあるあらゆることです。良かれ悪しかれ、 外面的にみられることはあるスピリチュアルなアイディアのマインドによる解釈です。あらゆるものはスピリチュアルですが、各人が 獲得している意識状態に従って受け止められます。ある人は、樹木を生きた光として見て、光が一本の木から次の木へと流れてゆくの を見るのに対し、別の者は単に樹木を伐採するために立っているだけだと見ます。ここはスピリチュアルな宇宙で、人間の目にはそう は見えないかもしれませんが、神の息子である人々で満ちています。
あなた方の今の仕事は あらゆる瞬間で自分が知っている真実を生きることです。あなた方が見て、聞き、味わい、触れ、嗅ぐあらゆるものは、スピリチュア ルな現実の概念だということを忘れないでください。あなた方が嗅ぎ、見て、楽しむものは各人の聖なる完全さと美である、無限の授 受の形として継続的に注がれているソースとしてのバラの美しさなのです。
強力な光のエネルギー がこの時点でこの惑星に注がれていて、それを受け取る全ての人に利用可能です。あなた方は次の、より深い旅の段階を始める準備を しています。今までは授業、討論、祭式に満ちた楽しい旅でしたが、今はより高く進んでゆく時です。
ある成長しきった意識 状態を越えて進む気がしなければ、普通は”目覚ましコール”経験をすることになりますが、それは効果的ではあるものの、あまりう れしいものではありません。
生きた真実は最初は難 しいものであり得て、しばしば生徒であり続ける選択をする者が出てきます。どのようにして神聖になれるかを語るのは良いことであ ると思われるかもしれません。この生涯か別の生涯かはわかりませんが、ある時点で生徒からマスターへの進化をする時が来るはずで すが、今は強力なエネルギーが到来していて、かつてない程進化を容易にしています。
マスターとして、多く の人達はすでにあなた方が知っていることを知りたがって、人々があなた方のエネルギーに引き寄せられてくるのを発見しています。 有る人達はスピリチュアルなベビーフードを食べる用意しかできていませんが、他の人達は真実の”肉とポテト”を取り入れる用意が できています。常に正しいことを判定し、”過去の生涯では・・・”と単に言えるようにしてください。根付くか根付かないかはわか りませんがあなた方の関心の範囲にはなかった真実の小さい種がまかれています。あなた方の関心は自分が到達した最高の意識状態か ら生きることだけで、他者を喜ばせるための努力のため、あるいは本当の真実だと知っていることに疑念を持って後戻りをすることで はありません。
真実を生きることと は、しばしば暮らしを楽しむことか、もしくはスピリチュアルに進化するかいずれかの選択を考えることです。この概念は単純に二元 性と分離という世界信念を反映しています。喜びのエネルギーは天のエネルギーに最も近いものです。スピリチュアルな成長は面白さ の追及、好きなことをすること、信じないまま他者と一緒にいることの先にはありません。苦悩をスピリチュアルな質であると信じる ことは真実の無視と誤った解釈に基づく間違った信念です。
あなた方がなす必要が ある変化を始めてください。スピリチュアルな旅は競争ではなく、愛、やさしさ、徐々に気づくこと、真実の統合なのです。ある一人 の人はいつも新しいことを見聞きする必要があると思っていますが、別の人はより多くの物をいつも集めようとする習慣を持っていま すが、これがこの人達に安定をもたらす信念なのです。
人を古いエネルギーに とどめておくのは、普通は小さく重要ではないと思われることです。もはや共鳴しない人々、活動、信念にいつも気をつけていること によって、あなた方はそれらのものを越えられます。
あなた方がどのような 選択をしようと自由意志は永遠に重んじられる法です。人間が毎日示す勇気を味方する側に立つ者によって、全ての者は深く愛されて います。決して審判されることはありません。なぜなら、如何に生きるか、信じるかの選択があなた方からはく奪されることはないか らです。
私たちは単に、あなた方が望んでいる時は今ここにあり、あなた 方にはそれに対する備えができていると申しあげます。あなた方の選択によって、あなた方の複数の生涯に亘った懸命な作業は、あなた方 を新たな意識状態にまで連れてきました。
アルクトゥルスグルー プより。
翻訳 Taki
熊本地震で強力支援を展開した山のプロたち モンベルの「義援隊」が被災地支援で活躍
南阿蘇村久木野地区にある道の駅「あそ望の郷(あそぼうのさと)くぎの」。阿蘇山を背にした緑の丘に、黄色や青、オレンジなど、色とりどりのテントが並ぶ。その数は20日時点で約40張り。大雨が予想される翌21日に備え、「あと10張りは立てたい」とモンベル本社(大阪市)広報部の三宅一彰さんらスタッフは急いでいた。
この道の駅は、レストランや温泉、パークゴルフ場などを備える3,000坪以上の広大な複合施設だ。その一角にモンベルが南阿蘇店をオープンしたのはつい1年余り前の昨年2月。アウトドア用品の販売だけでなく、村の協賛を得てトレッキングなどのイベントも開いてきた。
14日の地震で、村内の建物は多くが倒壊。道の駅を含む村全域で水や電気などのライフラインが途絶えた。モンベルの店舗も営業は困難になったが、代わりに被災した住民にテントや寝袋、マットなどの貸し出しを決めた。全国から応援のスタッフや支援物資を集め、「本震」のあった17日から店舗前で「アウトドア義援隊」としての活動を始めると、100人ほどの住民が1日で約20張りのテントを求め、次々と丘の上に立て始めた。
3歳の娘を持つ母親は、道の駅のレストランで始まった炊き出しに集まって、「テント貸し出し」の文字が目に入った。
「避難所の体育館に入りましたが、小さな子がいると居づらいので、外でテントならと思いました。夜は冷え込みますが何とかなり、昼間は子どもものびのびと走り回っています」と、ほっとした様子だ。
6人の子を持つ別の母親も「周りに気兼ねなく過ごせていい」。しかし「小さな子は落ち着かないので2人で1つの寝袋に入れるなどしています」と、慣れないテント暮らしに試行錯誤。夫は消防団員で救援活動に出ずっぱり、余震で家の損壊は大きくなる一方。子どもを抱えてこの先どうすればいいのかという不安は消えていないようだった。
「熊本での活動は始まったばかり。これからライフラインは徐々に回復していくが、住民をどうサポートできるだろうか」とモンベルの三宅さんも現地で模索する。
1975年にモンベルを創業した辰野勇・現会長は、1995年の阪神・淡路大震災で自社以外の企業や団体に呼び掛け、ボランティア集団として「アウトドア義援隊」を組織。アウトドアで培った経験や知識、そして機能的な道具を生かしたプロフェッショナルな支援を展開した。2011年の東日本大震災でも独自のネットワークを生かして救援物資約300トンを被災地に届けたのをはじめ、義援金で子どものキャンプ企画や自然エネルギーによる復興住宅プロジェクトまでを手掛けている。筆者も東北取材を通じて「義援隊」の活動はかなりパワフルだとの評判を聞き及んでいた。
今回の熊本支援でも、民間として現地でいち早く支援に乗り出し、全国約110の店舗での援助金や会員によるポイント寄付の受け付けも始めている。ただ、今のところ熊本での拠点は南阿蘇のみ。熊本市内や益城町など都市部の密集地でもうまく活動できるか。被災1週間が経っても被害の全貌や広がりが見通せない中で、「プロ」にとっても乗り越えなければならない山はかつてなく高いだろう。
(文中写真:筆者撮影)
【熊本地震】「自分より他人を優先。日本人に感動した」混乱の中、留学生たちが見た「ニッポン」の姿
熊本県などの一連の地震では、大分県別府市も震度6弱を記録し負傷者が出たほか、発生直後には数千人が避難所に避難した。同市には、約80カ国、約3千人の留学生が通う立命館アジア太平洋大(APU)があり、人口当たりの留学生数は2・63%(平成27年11月現在)と全国の自治体でもっとも多いとされる。留学生たちは、今回の地震や日本人の行動をどう見たのか。
■スマトラ島沖地震のインドネシア人「母国であり得ぬ」、インド人も「敗戦・復興を調べに留学…底力を見た」
「母国では、避難所がこんなに早く立ち上がり、ましてや、おにぎりや水が配られることはありません。日本人は落ち着いている」。インドネシア出身で、2年生のナターシャ・タリスカさん(19)はそう語った。
一方、インド系シンガポール人で2年生のサキ・バーランさん(22)は、地震の激しい揺れで、体が動かなくなりその場で固まってしまった。
「地震の多い国とは聞いていたが、揺れのすさまじさは想像できなかった」
友人たちは避難所に逃げると聞いたが、「日本の建物は丈夫」というイメージがあり、外には出なかった。しかし、翌日になってマンションの壁に亀裂が入っているのを見て、「恐ろしくなった」という。別府市は外国人向けの災害マニュアルを作っているが地震を経験してまだ部数が少ないと感じた。
3年生でインド人のアリ・チャウダリーさん(20)は、市内の下宿先で友人たちと食事している最中、激しい揺れに見舞われた。
一時、高台に避難したがアルバイト先の市内のホテルから、外国人客への通訳として呼び出された。
そこで宿泊客の安全を守るため、丁寧に対応する従業員や、普段は受け付け業務を行わない社長がフロントに立つ姿を目にした。
「自分の命を守りたいと思っているはずなのに、まずお客の命を優先している日本人に感動した」
アリさんのフェイスブックにも、「自分に任された仕事を優先させる。日本人とほかの国との違いがわかった」といった他の留学生たちの声が書き込まれていた。
アリさんは、第二次大戦で焼け野原となった日本が、復興を成し遂げた理由を調べたいと来日した。今回の経験で、その答えを見つけたと感じている。
「日本は逆境に負けない国だ。その理由は、どんな問題があっても、自分より他人を優先する日本人の民族性なんだ」