絶対見てほしい!!!すごくお勧めします。
---メモ---
二元対立を越していく「在り方」。「安心立命」、絶対安心の境地。
安心、感謝、言い聞かせている人は多い。
言い聞かせるのと、本当の感謝が沸き上がるのとは違う。
・感謝の念がガーッとせり上げてこみあげてくる感じ。
・感謝するべきだよね、感謝しなくっちゃ。
・何かと比べて安心する
・本当に心の底から大丈夫と思う
10人中、7-8人は、心に不安、焦りの種火がついている、お鍋の底にとろ火がついている感じ。
何かと比べて「まだ私は大丈夫と思おう」「そう思わなくっちゃ」心がける感じ。
不安のとろ火、焦りの種火、恐れがついている。
これを認めることを恐れる人がいる「現実化しそう」。
大丈夫、認めても、受け入れても、恐れているようなことにはなりません。ならない。
本当は恐れているのに「大丈夫だから!」この方がこじらせる。
ネガなことを考えることを、禁止事項にしている人。本当に大丈夫。
正直に、自分の心を確認してみよう。
不安の種火がついている。今いい人も、何かイヤな出来事が起こると、たちまちネガになって落ち込む。
生きている限りみんなそう、聖人君主も全員。だから恐れなくていい。
「絶対安心の境地」。なってみないと体験できない。
雪を見たことがない人が、想像するのと、リアルな雪を触るのとは違う。
とろ火を消すためには「ああとろ火がついてるね」って気づいたときだけ、カチッと火を消せる。
自分の心の中「わっ、ついてるね」「不安の種火がついてるね」気づいた人だけが消せる。
「言霊だから考えちゃいけない!」「現実化するから考えちゃいけない!」とやっている人。
目の前のお鍋のとろ火がついているくせに「いや、ついていませんから!」一生懸命言っていた。
まずこれをやめる。
「すいません、ついてます」「ついてました、私の心の不安の種火」「じゃ消します」。
気づいた人だけが、変えていける。ネガなことも含め、気づくってめっちゃ大事。
気づかずに、現実逃避、なかったことにしない。凹んでるのに「凹んでないです!」って言わない。本当は怖いのに、なかったことのように蓋をして、カラ元気をしない。
やってないかな?と自分に問いかけてみる。
大丈夫、自分の心を見ても、より一層ひどい人生になんかなったりしない。
私たちは、陰陽二元の世界に生きている。陰と陽、昼と夜、この世の中、3次元地球、2つの要素でできている。善と悪、正しいと間違い、勝ち負け、美しい醜い、好き嫌い。二元の世界に生きている。
私は「私」というこの感覚から逃れられない。
自分を確認するには、他の人と自分を比べる。
これをやらずに居られる人はいない。誰かと比べたから「私はこういう人間だ」と認識できているはず。
比べて生きてきた。学校で評価されて、いやがおうにも比べられてきた。
そういう世界に生きちゃっている。好きとか嫌いを置いといて。しょうがないんです。
ここは人類が生き続ける限り、逃れられない。
3次元地球の舞台設定が、このようになっている。これは受け入れないとしょうがない。
受け入れ拒否反発していると、すごくしんどく、生きづらくなる。なんで?なんで?と自問自答、納得いかない、受け入れられないと言っている、潜在意識が。
受け入れた先にしか、幸せ、絶対安心、安心立命、覚醒、悟り、二元対立を超えたハイヤーマインド、…行かないから。至福の境地を体験してもらいたくて言っているからね。
まずは受け入れよう。気づいた。次は受け入れる。
受け入れ拒否をしながら、変わりたい、変わりたい、ハイヤーマインドと繋がりたい、覚醒したい、絶対安心、安心立命の境地に行きたいとやっている人はとても多い。
一生懸命、ここが嫌だからこっちに行きたい、生きづらいからこっちに行きたい。もう諍いとか、意地悪とか、人を騙すとか、支配、コントロールする、いろんなことが見たくなくて、イヤでイヤで、受け入れ難いから、そうじゃない世界に行きたかったんだけど。
受け入れるというステップを踏まないと、次に行けない。やり続けて気づいた。
「私、嫌ってる。受け入れ拒否してる。ここが嫌だからこっちに行きたいんだよね」ってなってるならば、受け入れよう。
この地球の舞台設定はそうなっている。戦争と平和、陰と陽、全部こうなっている。
これが「自分の中にもあるわ」これがまた受け入れがたい。
ポジな自分、素敵な明るい自分、これは受け入れやすい。
あんな自分、実はこんな自分、失敗した自分、恥ずかしい自分、心の中でズルいこと思いついちゃう、低俗な自分、受け入れ難くて、どうしても嫌っちゃう。
でも、この自分を今度は、受け入れていく。
どのようにして受け入れるのか。
その自分がいることを、開き直るに近いかな。
「実はそうです」「白旗上げて降参します」「バレちゃいましたね」そういう感じ。
そういう部分は「エゴ」と表現される、煩悩。
エゴの正体は、あなたが、このあなたという肉体、命、人生、あなたの権利とか、生活を守ろうとすると、生まれてくるもの。
自己防衛本能。本能なんです、実は。性格、人格ではなくて、本能なんです。ここに注目してもらいたい。
ほとんどの人は、これは自分のキャラ、性格だと思っている。
こんな性格、直したいと思う。私計算高いんです。あざといんです。ぶっちゃって、心にもないお世辞を言っちゃうんです。
これを性格と思っているでしょ。たぶん嫌っている人は性格と思っている。
違う、違う、これは本能。逃れられない。誰の中にも入っている。DNAにも入っている。自己防衛本能。
つまりあなたが「あの人はきっとそうじゃないんだろうな」と思っているあの人も、実は、あなたとそう変わりません。あの人の中にも本能はある。あの聖人君主の中にもある。
あとは、実を言うと、受け入れれば、受け入れるほど、このエゴを制御、コントロールしていける。
エゴをゼロにするというよりは、コントロールして制御できたら、こっちのもの。
これが本当は欲しいものだった。エゴについて理解を深める、理解するほど受け入れられる。
欲の全てはだいたいエゴ。
一週間、飲まず食わず、畑、トマト、キュウリがなっている、夜、誰もいない。気づいたら、熟れたトマトをもいで食べている。食べた後に気づく。「畑から盗んで食べちゃった!」。
これです。自己防衛本能。考えるより先にやっちゃう。
やっちゃう自分がいるということ。この自分も受け入れて。
コントロール、制御する。ここを、超えて行くために。
まずは、やっちゃうんだ、やっちゃいたい気持ちになるんだ、ならない人はいないんだ。
誰かに打ち勝ちたい、これも自己防衛本能。誰かを踏みにじっても自分が優位に立ちたい。
「わー、私って性格悪いわ」って思っているほとんど全ては、自己防衛本能から来ている。
自己防衛本能の正体は何だ。ここです。一番大事。なんのために自己防衛しているの?
それは、あなたがあなたを愛しているから。自分への愛なんです。
「いいえ自分のことが大嫌い」「消えてなくなればいいのにと毎日思ってます」「この世に生きててごめんなさいと思っている」私もそう思ってました、マジで。
けれども、それでも、私の中にこの自己嫌悪があったということは、自己防衛本能があり、エゴがあり。
エゴがあるイコール何のために?自分の命を長らえるため、自分を自分が愛している、すごく深いところで愛している。
自分の本質、それは愛です。
これが、私やあなたの中核にあります。
魂、この「愛」を守るために、エゴ、自己防衛本能が、この愛の周りに、綿埃みたいにくっついているって思ってください。
この「愛」は太陽のような光、内側から外側にワーッと発散している、すごくまぶしい光。
実際、魂ってすごくきれいです。曇りなんか一点もない。悪もない。愛だけです。純粋な愛。
この周りに、守ろうとしていっぱいくっついた埃がある。
生まれてから今日までの間に、傷ついたことがいっぱいあったでしょ。
傷つくたびに「守らなきゃ」「自分守らなきゃ」エゴはだんだん埃のようにくっついてきた。
すると、光が、雨雲みたいなグレーの雲を突き抜けて行きづらくなって、だんだんあなたらしさの光が、外へ漏れにくくなる。
だんだんエゴの綿埃を強めていった。なぜ?自分を守るため、防衛するために。
やがてこれが鎧みたいに固くなっちゃった人もいると思う。全身にグレーの重いエゴを張り付けた。
自分らしさの光がなかなか外に漏れない。ガチガチの鎧、装備をしている。中の光が外に漏れない。
外側の「作った私」で生きていこうとしてた。なぜ?傷つきたくないからです。
もうこれ以上傷つきたくない。もう耐えられないから、だからガチガチの鎧をつけた。
当たり障りのない挨拶をして、受け答えをして、できるだけ品行方正に、おりこうさんにして、辛くてもつくり笑顔で。
で、もうこんな世界イヤだ、うんざり。だからこの世界を超えた境地があるんだったら、幸せの境地に行きたい。悟らないと無理なのかな?ハイヤーマインドって何?
この二元対立の、優越感、劣等感、ここで右往左往する。ちょっと浮かれたり、落ち込んだり、心がいつも不安定、いつもいつも不安。いい感じの時も不安、誰かに追い越されそうで。悪いときはもちろん劣等感で不安、さらに悪くなりそうで恐れる。不安の種火がずっと消えてくれない。
この二元対立の世界から抜けたい、抜けたい、抜けたいって思ってたんですよね。
抜けるには、ああ私は傷つきたくなくて、エゴという自己防衛本能を身にまとっている。
そしてこのエゴを性格と勘違いして、嫌い続けてきた。
自分さえよければいいやとか、あの人より優位に立ちたいとか、自慢したいとか、楽したいとか、ちょっとズルしちゃおうかなという、こういうやつ。
そうか、私はもうこれ以上傷つきたくなくてこうしてきたのに、なのに、今の私はこの自分の鎧を嫌っている。
そしてこれこそが自分なんだと、信じ込んでいた。
これは性格だから、変えられると思っていたし、変える努力もして、努力をしては失敗し、余計、自己嫌悪してきた。こんな悪循環のループの中でもがいていた。
じゃあ受け入れてください。あなたのその自己防衛本能の正体は愛だから。
愛だって知ったら、ちょっと受け入れられるんじゃない?
だからこの鎧を、埃を、グレーの雨雲みたいなコイツをね、「ああそうかそうか、わかるよ」よしよししてあげて欲しいんです。
そして実際、あなたを守ってきたでしょ「ありがとうね」って。
これをやって行く方が、二元対立を超えた意識になっていきやすい。
これを「慈悲の心」と呼ぶんじゃないかと思っている。慈しむ、悲しみを。
若い頃はわかりませんでした。だけども、ああそういうことかと。
実際に、こういう意地悪な気持ち、ズルしたい気持ち、怠けたい気持ちが、あってもいいんです。
これを自分だって受け入れることが、「清濁併せ呑む」ということなんだとわかりました。
清濁併せ呑むというのは、なんか汚いことをやっている政治家のことを、片目瞑って妥協したりとか、そういうんじゃなくて。自分の中にあるエゴを受け入れるということ。
「濁を受け入れる」これは悪を受け入れるという話じゃないから。悪は償わないといけないし、罰せられることもあるでしょう。
「濁」「エゴな気持ち」これは受け入れていきましょう。
そのときに初めて、いいか悪いか、間違っているか正しいか、勝ってるか負けているか、この二元対立から、
超えられるんですよ。
超えた位置から、全体を見れる。
その時に、もちろんしょうもないことやっている人、未熟な人もいっぱいいる、何であんなことするの?と思うこと、いっぱいあるけど、その起こっている残酷なことは悪なんで、嫌い、憎んで、怒っていいが、
そこに至ってしまっている、その人の中のエゴに関しては、「ああわかるよ、私の中にもあるもんな」。
だけどそれを実際に行動に起こして、やっている人、しかも犯罪レべルで、殺人とか、いじめとか、この人は裁かれるべき、償うべき。
だけど、私の中にもあるよな、意地悪したい気持ち、むしゃくしゃして誰かに嫌なこと言いたいような、嫌味の一つも言いたい気持ち、あるよな。犯罪レべルまで行かないやらかし、やったことあるよな。結局一緒か。度合いは違うけれども「私の中にもあるもんな」。これです。
自分の中の清濁併せ呑む意識になったときに、陰陽二元のこの世界を嫌わずに包み込める。
もう一段上の、包括的な俯瞰状態で、あれはいいこれは間違っている、こうするべきああするべき、このジャッジを超えた意識から、全体が見れる、地球が見れる。これが慈悲の心。
見えるようになったことで、自分のおごり、慢心、いい気になっている自分、エゴにとらわれ過ぎている自分に気づくきっかけをもらえた。
ある朝、起きたら、目の前に白いエネルギー体の存在がいた。瞬間的に、亡くなって成仏されている光の存在と感じた。その人が教えてくれた。
「あのな、この地球はこれでいいねん。これで完全やねん。なぜなら、この地球って、こういう設定の星だから。あなたは、もっとよくなったらいいのに、この地球は何でこんなんなんだろう?なんで残酷な事件が起きるの?何で戦争が起きるの?ああもう嫌だ!ってなっているけど。こういう設定の星やねん。だから私がもう一度この地球に人間の姿で生まれ変わった方がいいって望んでいる人たちが、たくさんいるのは知っているけれども。私は生まれ変わる必要はない、何故ならこの地球はこういう設定として完璧だから。だから私が生まれ変わってより良い地球に導く必要はないんだ」って言った。
その人が過去生きていた歴史上の偉人であり、今はその至福の境地におられて、光の存在になっている人だと確信した。
どういうこと?って思いながら、だんだん探求を続け、今に至っている。
あなたの、その自己嫌悪している嫌いな部分、これを受け入れやすくなるように。
ストイックな聖人君主になる、そのために厳しいものは必要ない。
自分の中の清濁の濁、自己嫌悪している、その部分を受け入れていく。
この正体は「愛」ですから。
あなたの命を守るための愛から始まっている。
これをいかに受け入れていくのか、これをあなたのチャレンジにして欲しい。
人類は、これからの二元対立を超えた、ハイヤーマインドを実感していく人が増えていくと思うので、一緒に進んでいきませんか。