星の上の馬鹿者

これは放浪記です。いろんなところに行っています。

閑散期の疲労により悟った二つのこと。

2023-02-12 23:24:18 | 日記

2月12日

 ホテルの仕事がハードなものになると、まるでスポーツに挑んでいるかのように身体中の血管は激しく全身を駆け巡り、頭の情報処理能力は情緒だとか侘び寂びだとかいったスローライフの欠片すらも取り入れる余地はなく、時間の経過は暇を持て余した時の1日と同じ時の流れを刻んでいるとは到底思えない。それほどまでに自分は今の勤務先の仕事に力を注ぎ込む。それは別に自分の意識の高さへの慢心だとか、そんなチンケなものの見せしめを行いたいわけではない。単純に忙しい時のこと表現している。しかしくどくどと言い回しを並べても、この言葉以上にわかりやすいものはないように思う。「忙しい」ただそれだけなのだ。

 

 2月といえば世間全体でいえば観光業界はいわゆる閑散期に入る。例外としてスキー場などは別になるが基本はどこも暇だ。テーマパークとか沖縄とかその他あらゆるホテルや旅館なんかはそこまで忙しいイメージはない。まあ蟹シーズンとかが売りの日本海側の温泉地などはまあそれなりに人は来るかもしれないが。それでも大体、2月なんて寒くて大型連休があるわけでもなくて、クリスマスとか年末年始とかが過ぎ去った後だからとりあえず今月は旅行もせずに働こう。そう思う月なのだと自分は思っている。そこまでディテールが細かいのかはわからんけれど。

 

 自分が住んでいる長野県のいわゆる八ヶ岳のエリア、ここは一応スキー場があるのはあるのだが、自分が働くホテルは特にそういったものと系列しているわけでもない。スキー場からそう近いわけでもないし、基本は星空観察とか登山客とか高原野菜を楽しむ人とかが泊まりに来るので、それらがあまり楽しめない2月は閑散期になる。年末年始の多忙に次ぐ多忙、バトルフィールドとも形容して差し支えないあの年末年始に比べたら、2月の忙しさなんて屁でもないだろう。そう考えていた。

 

 そして1月の終わり、渡されたシフト表の「休」の文字の多さに言葉を失いそうになったのも記憶に新しい。なんと、月の全体の半分も出勤しないではないか。5連勤、6連勤とかがザラにあった12月と1月の勢いはどこに行ったのだ。2月のリゾバ、観光業界の宿命、1年の移り変わり、四季を感じられる日本。こんなもので季節感など味わいたくもないのである。くそう。2月というのは、なんて暇なのだろう。そしてこの辺りはなんて何もない地域なのだろう。八ヶ岳と雪に覆われた広大な畑しかないじゃないか。くそう。

 

 そんな暇だ暇だ仕事をくれと嘆きながら休館のホテルの寮で過ごして、あとは適当に出勤日に仕事をするという、そんな意識の低さでどうにかなると思っていたのが大いなる見当違いだったのである。仕事はあったのだ。それも昨日と今日と、明日の朝。

 

 おそらくだけれども、昨日の夜に至っては何故か年末年始くらい人がきた。原因はよくわかっていない。本当にチラッと聞いたような話だけれども、何やらコンサート関係でそれを観にくる人が宿泊に来たとか。しかしこんな八ヶ岳と広大な畑しかないところでコンサートだ?自分の聞き間違いだろう。しかしそれにしてもやたらと人が多かったようで、昨晩といえばレストラン担当の人たちはあちらこちらと厨房を駆け巡り、洗い場担当の自分たちは時間差で運ばれてきた洗い物たちの容赦ない攻撃に心身ともにそれなりのダメージを受けたわけだ。まあそれなりではあるけれども。なんとか耐えられ、そして次の朝。

 

 いわゆる今日である。7時30分に洗い場に行き、朝食を食べ終わったお客さんから下げられてくる洗い物の数々を的確に汚れを落としなおかつ俊敏に水洗いしそして洗浄器にかけていく作業が始まる。以前朝出勤した時、80人ほどのお客さんの規模もまあまあ忙しくてはあ疲れたとか言っていたのが、今日は普通に150人と倍近くになっていた。これはマジで意味不明でそもそもそんなにうちのホテルってお客さん入るんかいと、この時初めて知ったような規模の大きさであった。なんかもうこのレベルになると冒頭に言った通りスポーツなのであるこんなものは。もう頭でどうしようこうしようとか考えている暇はない。動いているうちに頭の中で行動規範を作り上げているうちに動いている、そんなレベル。いつもは9時半になると朝の洗い場は大体落ち着いてくるのだが、今回は落ち着かなかった。そのまま残りの洗い物をレストラン担当に任して厨房を後にする。

 

 そしてここからが本番となる。自分のメインとなるのは客室清掃なのだ。150人くらいの客がチェックアウトした部屋を全て掃除しなくてはならない。清掃の担当は大体10人ほどの少数チームパターン。ここからが地獄だった。朝のミーティングで社員の方が、今日は今まで一番忙しい日だとあっさり言いのける。それを聞いているパイプ椅子に座っている自分、その右手はすでに洗い場で使い続けた神経の疲労により細かく打ち震えている。個人的には今一緒に仕事している人たちのほとんどは好きな人であるし、それだけが救いだった。その人たち一緒に頑張ろうと思えるからこそ乗り越えられたようだ。ベッドメイキングの数々に、ゴミの分別、なんか色々目まぐるしかった。よくわからんし疲れたし疲れた。もう述べられることはない気がする。でも学んだことは2つくらいある。閑散期でも忙しい日はあるということ。リゾバというものは、そしてホテルで働くというものは、スポーツに近い神経を求められるということ。なんかそんな具合である。以上です。すみませんなんか色々捲し立てて。寝ます。 


標高1000メートル以上の現状

2023-02-12 23:20:52 | 日記

2月10日

 結局、昨日書いたこのブログの内容で現状報告の一才をすることをせずにいたわけだけれども、今現在、自分は長野県の山奥のホテルで働いており、そこの寮に住んでいる。2月の長野県、それも標高1000メートルを超える地点にあるホテルで、今期の冬を越すことを選んだわけなのだけれども、当然のようにこちらでは雪が積もり、気温は氷点下を下ることが非常に多い。11月までは常夏のような環境が続くような、鹿児島県の最南端に位置する与論島に住んでいたわけなのだけども、今度は雪が降り積もる長野県に住むことを決めたのだ。全くもって真逆の環境であり、本当につい数ヶ月前まで、自分があのジメジメした環境の与論島に住んでいたのかと思うとなんだか不思議な気分になる。地元の人たちもよく言っていることではあるが、ここら一帯の地域の冬場は、他と比べても乾燥しているようだ。その感覚は文字通り肌でわかるような具合で、風呂上がりなんかはいつも保湿しておかないと水分の不足にやられてしまいそうである。 

 

 で、そんな長野県の野辺山での生活の期間は3ヶ月半ほどとなっており、予定では来月の3月末までいることになっている。ここの現場でも他と変わらず、延長する気はないのかと聞かれるのももうおなじみの流れだ。周辺環境に関しては、今まで暮らしてきた派遣先の中でも随一に何もないようなところで、周り一帯はほぼ畑と、遠くに見える絶景の八ヶ岳、そして徒歩30分をかけてたどり着くセブンイレブンくらいのもの。そんな状況でも、他での生活よりかは気持ち等も安定しているので不思議だ。その原因はここの職場の人の良さもあるだろうし、なんだかんだ思っても気候が身体にあっているのかもしれない。なので、延長するかと聞かれたら、そりゃあ延長したくなるような気もする。しかし周りに何もなく、車も持っていない自分はここでの生活を長く続けることに少し恐ろしい気もしてくる。そしてここの時点で旅を辞めてしまうのもなんとも言えず、一応は次の場所を探して、それがあくまでも自分の道としておくのが望ましい。

 

 まあ確かに、いつも次の場所に移動するたびに慣れてきた職場環境をリセットするのは、それなりにもったいないことをしていると思えてくるのもまた事実なのだ。人見知りであまり強気でもない、そしてどちらかといえば人に合わせるのだって大変な自分が、よくもまあ慣れない放浪生活をしているものだと我ながら感心してしまう。この前まで、自分は八ヶ岳の雪山ではなく、常夏のヤシの実とヨロンブルーに囲まれた生活をしていたはずなのに。そしてこの前まで、自分はハウステンボスのオランダ風の街並みと、佐世保の入り組んだ瀬戸の水辺に囲まれて生活していたはずなのに。そしてそしてこの前まで自分は、箱根中に咲き誇る桜と、視界を遮る鬱蒼とした霧に囲まれた生活をしていたはずなのに。 

 

 そして・・・いやもうよそう。こんなん10回くらい続けても終わらなさそうなくらい、転々としている。何か悪いことでもしたかのようにずっと動き続けているのだ。実際悪いことをしているのかもしれない。家族とも連絡をとっていないし、自分はとことん悪い奴なのだろう。いつか地獄に落ちる気がする。こんなわけわからん暮らしの果てに、ふと地獄の入り口に誘われて、そのまま戻ってこない。そんな哀れな自分が空想めいた形で頭に思い浮かぶのだ。馬鹿らしい。もう寝よう。


よくわからない長さ、2ヶ月ぶりという空白。

2023-02-12 23:17:54 | 日記

2月9日

 久しぶりに何か書いてみたくなる。最後に更新したのが約2ヶ月前というご無沙汰ぶりである。なんかもっと日が空いているような気がしたけれど、2ヶ月という言葉で表してみると、実はそこまででもないように感じる。でも約60日の間、ブログどころかパソコンすらまともに開いていなかったということを考えれば、やっぱり随分とご無沙汰なのかもしれない。それを指し示すかのように、タイピングの速度も朧げな具合で、頭の中で反射的に思いついた刹那的な言葉が、ウダウダとキーボードを叩いているうちにスッと消えてしまうようで、まるで自由がきかない。これだとノートに向かって手書きで文章を書いている方が早いかもしれない。いやそれは流石にない。流石にないのだが、この2ヶ月余りの期間、全く持ってブログを書くことをやめていた中で、文章を書くこと自体すらもやめていたわけではない。むしろ文章を書くこと自体はブログを書いていた時よりも積極的に行っており、そういう点では手書きの方がタイピングよりも滞りなく齟齬もなく文章を収められるような気がしているのだ。そしてその文章を書く行為は12月からのルーティンとして今も続けている。

 

 そのルーティンは、まるで偶然のように見つけたとあるYouTubeの配信者が薦めていたことで知ることになった。その名をモーニングページという。うろ覚えではあるが、この作業は自分の悩みや不安から解消されたり、自分のやりたいことなどを見つけるためにはうってつけの作業とされている。ルールは簡単で、毎朝起きたらA4ノートに3ページほどの文章を書き込むというもの。内容はなんでもOK。最近あったこととか、自分が感じる不快な気持ち、楽しいこと、やりたいこと、人には言えないこと、なんでもいい。誰かに見せるものでもないので、自由に書くのが望まれる。そしてそれを毎朝繰り返す。たったこれだけのシンプルなものだが、このA4ノートというものがまた曲者で、そう簡単に3ページも埋められない。学生の頃にお世話になったA5ノートに比べても一回り大きいこの馴染みのないA4ノートは、書いても書いてもなかなか埋まらないものだ。しかも頭の働いていない朝の時間ということもあって、文章を書き慣れていない人なら数日で挫折してしまうだろう。自分も毎日3ページ書き切るのを続けるのは流石に困難で、12月上旬から始めているこのルーティンも、今では1日1ページくらいに留めている。厳密にいうと3ページというルールもまた曖昧なものらしい。元は海外発祥の自己啓発的な類のものであり、英語で表すとA4ノート3ページがふさわしいというだけで、日本語に考えるとまた長さは変わってくるだろうし、長ければいいものでもなさそうだ。このルーティンを続けて思ったのだが毎日すればいいものでもなさそうで、一旦2、3日ほど休みを挟んで、そのあと取り組んだ方がすんなりと自分の気持ちを吐き出せたりしたりもするので、この辺は個人で自由に決めても良さそうである。

 

 それで実際やってみて、効果を実感することはあるのかという点に関してだが・・・。最初の頃は目覚ましい効果があったような気がする。自分のモヤモヤが解消されたような気がするし、与論島にいた時に感じていた不安感や気怠さは無くなったようでもある。しかしそれは与論の気候との相性がそもそも良くなかっただけかもしれないし、今ではまた環境が変わったわけだから、その時との比較はあまり参考にならないのかもしれない。でもこれを続けていて、気づけなかった自分の感情をうまく言語化できているとも思えるし、何より終わったあとは頭が聡明なものに変わっていたりもする。そして文章でびっしりと埋め尽くした、自分にしか見せられないタブーなマイナス要素の数々を見て、やりがいと共に思わず苦笑いしてしまいそうにもなる。

 

 自分は愚痴を吐いたり、無駄口を叩いたりするのが苦手で、なんなら嫌いでもある。そんな自分がカッコ悪いように思えるし、その相手になってくれる人にもなんだか頭が上がらないような気がして、ついプライドが優ってしまうわけだ。なので愚痴を吐かないように生活している。でもだからと言って、悩みごとや面倒ごとやマイナス要素から逸脱した生き方をしているわけではない。いつも何かを思っているし、それが答えになったりならなかったりして頭の中で蠢いている。自分にとってのモーニングページは、それらのモヤモヤしたものを吐き出している作業になるのだろう。壁に向かって落書きするようなものにも等しい。内容次第ではすごく嫌なことを言っているような気にもなるが、いつでもどんな時でも綺麗な自分ではいられないのが現実だったりするし、ムカついたりイライラしたり悲しんだりした時の自分をこっそりと解放してあげるような作業なのだと思うことにしている。実際そうだろうし。でも特定の誰かを乏したりすることはないようにだけ気をつけてはいるが。12月から始めて、A4ノート1冊分はすでに文字で埋め尽くしたのだが、どれだけ親しい人にも見せられるものではない気がする。だからこそ続けていく意味がありそうではあるのだけれど・・・。