星の上の馬鹿者

これは放浪記です。いろんなところに行っています。

バレンタインと、不思議の渦との比較

2023-02-14 23:45:46 | 日記

2月14日

 

 バレンタインデーとか意味わからんくらいに今の自分には縁のないものである。こんな八ヶ岳が見える大自然の中で、チョコレートとかそんな甘いものがまかり通るような気がまるでしない。10畳ほどのだだっ広い部屋の中で、薄暗いスタンドライトを照らし、ストーブを焚いてこれを書いているのである。静かな時を過ごしているのである。ここで改めて思うことは、バレンタインは都会のイベントなのだということである。こうして静かに時を見過ごしているように生きていたら、それだけでいいと、不満とか不足を嘆く気にすらならない。世間では、心の裏で欲しい欲しいとチョコレートをせがんでいる男子と、あげようあげようと義理やら本名やらのチョコレートをせっせと溶かして作っている女子で溢れかえっているのだろうことが予想される。そんなことを予想している自分はバレンタインにあまり縁がないとは思っている。多分これからもそうだと思う。学生のころに縁がなかったのならば、あとはもう俯瞰して見ているしかない数多あるイベントのひとつだ。そんなものだろう。

 

 チョコレート自体も昔、甘いもの中毒でたくさん食べたおかげで肌荒れがひどくなり、あまり身体に合わないことが判明して、それ以来なるべく摂取しないようにしている。甘味は酒とかタバコのように、健康被害を伴うものじゃないかと自分の身体を振り返っては心当たりがあったりしている。しかしそうではない人も普通にいたりする。それは酒もタバコも同じである。ビール1缶の半分も呑めずに顔が真っ赤になる下戸もいれば、一日中酒ばかり呑んでもまだ呑み足りないと欲しがる愚か者もいる。副流煙をひと吸いして頭痛に悩まされる繊細な人もいれば、1日に2箱も3箱も吸い切ってしまうヘビースモーカーもいる。身体の健康さというものはどうしてこうも差があるのか。人体というものの不可思議さがここで推測されるような気がする。違う個体であっても、同じ種族のはずなのに、身体能力には天と地との差があるのはどういうことなのだろうか。さらに身体はともかくとして、精神面でも我々には千差万別の種々があるわけである。全くもってヒトというのは不可思議なものなのである。

 

 その不思議のなかに自分はいる。まるで自分が不思議ではないかのように超然としているのである。考えれば考えるほど不思議の渦にハマっていくことを、あえてこうしてちょうどいい具合に疑問を打ち消してここにいるのである。疑問を重ねたところで、いつかは合わせ鏡の限界地点のように先が見えなくなってしまうのであろう。限界の先は説明のつかない空間となっており、真っ暗な先は少し靄がかかったような、もどかしい答えのない到達点である。そこまでいくことがそもそもあまり賢い選択とも言い難い。人はそんなに深く考えて生きてはいないものだ。もっと慎ましく、程々に生きているものなのだ。それなのに自分はつい道草を食う要領で果ての世界のことを考えているのだ。それはとても愚かしくて、こりゃあバレンタインとも縁がないのも納得の愚かさである。もっと単純でいいはずなのだ。単純でいい。笑いたければ笑う。ムカついたら怒る。感動したら泣く。それだけだ。

 

 でもそんな単純に考えても、別にバレンタインのイベントを楽しみたいとは思わない。そもそもイベント事がそう好きではない。たまにならいいけれど、毎回イベントに振り回されるとおそらく頭が狂う。それならば色々考え過ぎて不思議の渦にハマっていく方がマシなくらい、賑やかしいイベントは程々にしておきたい。それくらい自分は、静かなのが好きなのだと思う。落ち着き過ぎかもしれない。