星の上の馬鹿者

これは放浪記です。いろんなところに行っています。

うだうだしているだけの話

2023-03-03 23:59:59 | 日記

3月3日

 

うだうだしてしまいそうで、でもそんな場合でもなさそうな3月の上旬である。環境が変わっていくのをただ呆然と見ているわけにはいかないだろう。そうはわかっていてもなんだか気が滅入ったり、何から手をつけたらいいのかもわからないことだってある。今日がその日である。今日どころか最近はずっと何やらぼんやりした面持ちで鬱屈した日々を送っている。時間の許す限りベッドに寝転がったり、部屋の片付けも散髪もサボりがちになったりして、普通にダメな人間だなとしみじみ思ったりしている。そこからうまく脱せないでいる。

 

やる気とかモチベーションの類なんかは気合いではどうすることもできないけれども、気持ちの持ち方次第ではどこまでも底をつくこともなく発動してくれるものだったりする。今の自分はそれを見失っている。一体今の自分にどんな要素が伴うとやる気は湧き出てくれるのか。原動力はどこにあるのか。そうやっていつまでもいつまでも探しているばかりで、見つかるまでは動きたくもないし動き方もわからない。先月までは毎日書いていたようなモーニングページも途切れ途切れになりがちだし、筋トレもやらなくなった。瞑想もしなくなった。これは自分の続けていることがわかりやすい結果として出てくれないことから、ついモチベーションが途切れてしまったからだろう。もっと実のなりやすいことはないのかと贅沢な悩みがこれまた発動する。そんなものはないのだ。たとえあったとしてもそれだけで飛びついてそれに愛情を注げるような自分ではないだろう。こだわりや情熱などは理にかなったものばかりではない。むしろ回り道をしたり、側から見れば何がいいのかと怪しまれることばかりだ。この日記だってそうではないか。何のためにこんなことをしているんだと日常の中でふと考える疑惑に取り込まれているのが今の自分だ。

 

自分を信じていないのだ。普段から特別、自分の才能とか運とかその他もろもろを信じているわけではないし、それが通常運転ではある。謙虚に生きることを履き違えるとこうなる。やるべきこととやりたいこととできないことの区別をまずはつけなければならない。自分の限界を知ること。同時に自分への可能性を知ること。どちも大事であり、これはどこまでリアルに想定できるかが鍵になる。できない自分にいくらやれと命じても動けないし、可能性を忘れたくても忘れられないのがこれまた現実だろう。一体自分は何がしたいのだ。本当にしたいと思っていることは本当にやりたいことなのか。何がしたくて何をしたくないのか。そんな疑問が半永久的に頭の中を回り続けてまたまたどうしようもないけれど、でもいつかは答えが見つかるはずだし、そのためには考えることではない、動くことでしか答えは見つからないと思っている。それだけの話。