4月3日
とりあえずは7時間ほどの睡眠を摂って、そしてまともなような、でも相変わらず本調子ではないような自分である。昨日と同様、ちゃんと文章を書ける自信がない。しかしそれでも朝のモーニングルーティンはいつものようにこなし、昼の仕事もちゃんと終わらせられて、今に至るのだ。それならばそれでいいはずなのに、相変わらず自分は自分を許せないでいる。求めるものが肥大化して、普通に一日を終えることに対して、もう一声、もうふた声と、どんどん自分を加速させてやりたくなるわけだ。完璧主義の自分が未だに拭えない。早く行動したい、何か形に残したい、そんな前のめりな部分が強調されている。
しかし実際は、まだライブ終わりのふわふわしたものがまだ染み付いているようにも感じる。そして心の中に妙なささくれだったものも感じている。このささくれはいかなるものであろうか。なんだか久しぶりのもののような、不安が見出されそな感情である。せつないものに近いだろうか。おそらくは人を想っての感情でもある。人に対してそれなりに距離をおいて、ただひたすらに自分の道を進みたい自分にあてがわれているようだ。これは警告なのかもしれない。ちゃんと人たる生き方をしなければいけないという、孤独を好き好んで人間を失ってはいけないという、そんなサイレンが遠くの方で聞こえてきたのかもしれない。
そうだ。最近は以前よりも人間関係を深めることも減ってきて、同じ仕事先の人たちとも、それなりの距離を保とうとしてしまっている。別にわざとではない。つい無意識のような形で遠ざかってしまうのだ。それでも業務をこなしていくのは相変わらずで、なんなら以前よりも丁寧で早く動くことができている。それもまた怖いような気がする。自分は目的のためにしか動けない生き物なのだろうか。幸せよりも、楽しさよりも、自分の求めるものを第一に考えて、あとは全部後ろにしてしまう奴になってしまったのだろうか。自分のことをよく思ってくれている人にも、まともに信用をおいていない。そして自分は自分しか信用していなくて、そしてその自分すらも許しをおくことがない。それでも自分が潰れないのは、その先を見るためだからかもしれない。
これは正しいのだろうか。正しくないとしたら、自分は何をすべきで、どうやっていらないものを拾えばいいのか。蛇足めいた自分を呪う自分は、きっと誰かと談笑することだってできやしない。今の自分で行けば、文章だってたくさん書くことだってできるし、ブレる自分にはなりにくい。でもそれでいいのか。わからない。わからないから、とりあえず今日はぐだぐだして寝てやろうと思う。きっと疲れている。