4月13日
野辺山での暮らしは基本的に静けさに包まれている。夜は街灯もほとんどなく、車の通りも少なく、静寂の中でただタイピングを進めていく音だけが響いていく。自分が住んでいる寮には、他にも数名の人々が住んでいるわけだが、果たしてみんな何をして暮らしているのだろうか。すこし気になるところだ。あまり刺激を求めすぎないようにしている自分にとって、この空間はいろいろと精神のバランスを保つのに丁度いいものだと気づいたわけだが、他の人たちもそうであるとは限らない。みな、部屋で酒を呑んでぐったりしているのだろうか。暇じゃないのだろうか。
都会のようにさまざまな情報が溢れている、そのようなカオスと化している空間から逸脱してしまったことは、たんなる偶然でしかない。しかし自分は自分なりに、この野辺山で暮らしていることに対しての意義のようなものを、最近は感じざるを得ない。この意義は、大阪や京都で暮らしていたときには得られなかったものだと思う。離れてしまったたくさんの地域には、それぞれの意味があったかもしれないが、その意味は目に見えるものがほとんどであった。人間関係や、その地域でしか見られない景観、食べ物や飲食店、給料や仕事や娯楽なんかも含めて。
今まで、何かと放浪のような形でさまざまな地域を移動してきた。それは自分の中に答えを見出せていない最大の証拠のようなものだった。理由があろうともなかろうとも、移動してきたたくさんの場所では、自分を見つけ出せてはいなかったのだ。そもそも自分探しなんて馬鹿らしいと思っていたし、自分なんてすでにあるものだと過信していたのだ。常にあり続ける葛藤こそが自分であると思い込んでいた。矛盾している内面を引きずり歩いていくことこそが人生でしかなかったのだ。これに定義する言葉なんてものはなく、自分は一生涯このままなのだろうと当然のように悟っていたし、なんなら他の人たちも同じだと思っていたのだ。
結局自分はこの野辺山で、他の人にはない自分特有のものを、なるべく偏見もなく真正面で見据えるための空間としているのだった。それが以前もここに書いたHSPについてのことも大いに関係しており、とにかく頑固で意地を張っていた都会暮らしの時の自分を少しずつ解きほぐしてあげているわけである。別に楽をしようとか、理想的な自分を探そうとかしているわけでもない。ただ淡々とした具合で、自分がどんな生き物なのかを知った上で、新しい生き方を探したいだけだ。そうでもしなければ、いつまで経ってもただの頑固者でしかなく、本当の心の向きなんてわからないだろう。だから自分は、静寂に包まれて探している。誰の声も聞かずに、誰の影響も受けずに、ここで生活をする。多分もうすぐで、わかるものがあると信じている。