星の上の馬鹿者

これは放浪記です。いろんなところに行っています。

標高1000メートル以上の現状

2023-02-12 23:20:52 | 日記

2月10日

 結局、昨日書いたこのブログの内容で現状報告の一才をすることをせずにいたわけだけれども、今現在、自分は長野県の山奥のホテルで働いており、そこの寮に住んでいる。2月の長野県、それも標高1000メートルを超える地点にあるホテルで、今期の冬を越すことを選んだわけなのだけれども、当然のようにこちらでは雪が積もり、気温は氷点下を下ることが非常に多い。11月までは常夏のような環境が続くような、鹿児島県の最南端に位置する与論島に住んでいたわけなのだけども、今度は雪が降り積もる長野県に住むことを決めたのだ。全くもって真逆の環境であり、本当につい数ヶ月前まで、自分があのジメジメした環境の与論島に住んでいたのかと思うとなんだか不思議な気分になる。地元の人たちもよく言っていることではあるが、ここら一帯の地域の冬場は、他と比べても乾燥しているようだ。その感覚は文字通り肌でわかるような具合で、風呂上がりなんかはいつも保湿しておかないと水分の不足にやられてしまいそうである。 

 

 で、そんな長野県の野辺山での生活の期間は3ヶ月半ほどとなっており、予定では来月の3月末までいることになっている。ここの現場でも他と変わらず、延長する気はないのかと聞かれるのももうおなじみの流れだ。周辺環境に関しては、今まで暮らしてきた派遣先の中でも随一に何もないようなところで、周り一帯はほぼ畑と、遠くに見える絶景の八ヶ岳、そして徒歩30分をかけてたどり着くセブンイレブンくらいのもの。そんな状況でも、他での生活よりかは気持ち等も安定しているので不思議だ。その原因はここの職場の人の良さもあるだろうし、なんだかんだ思っても気候が身体にあっているのかもしれない。なので、延長するかと聞かれたら、そりゃあ延長したくなるような気もする。しかし周りに何もなく、車も持っていない自分はここでの生活を長く続けることに少し恐ろしい気もしてくる。そしてここの時点で旅を辞めてしまうのもなんとも言えず、一応は次の場所を探して、それがあくまでも自分の道としておくのが望ましい。

 

 まあ確かに、いつも次の場所に移動するたびに慣れてきた職場環境をリセットするのは、それなりにもったいないことをしていると思えてくるのもまた事実なのだ。人見知りであまり強気でもない、そしてどちらかといえば人に合わせるのだって大変な自分が、よくもまあ慣れない放浪生活をしているものだと我ながら感心してしまう。この前まで、自分は八ヶ岳の雪山ではなく、常夏のヤシの実とヨロンブルーに囲まれた生活をしていたはずなのに。そしてこの前まで、自分はハウステンボスのオランダ風の街並みと、佐世保の入り組んだ瀬戸の水辺に囲まれて生活していたはずなのに。そしてそしてこの前まで自分は、箱根中に咲き誇る桜と、視界を遮る鬱蒼とした霧に囲まれた生活をしていたはずなのに。 

 

 そして・・・いやもうよそう。こんなん10回くらい続けても終わらなさそうなくらい、転々としている。何か悪いことでもしたかのようにずっと動き続けているのだ。実際悪いことをしているのかもしれない。家族とも連絡をとっていないし、自分はとことん悪い奴なのだろう。いつか地獄に落ちる気がする。こんなわけわからん暮らしの果てに、ふと地獄の入り口に誘われて、そのまま戻ってこない。そんな哀れな自分が空想めいた形で頭に思い浮かぶのだ。馬鹿らしい。もう寝よう。


よくわからない長さ、2ヶ月ぶりという空白。

2023-02-12 23:17:54 | 日記

2月9日

 久しぶりに何か書いてみたくなる。最後に更新したのが約2ヶ月前というご無沙汰ぶりである。なんかもっと日が空いているような気がしたけれど、2ヶ月という言葉で表してみると、実はそこまででもないように感じる。でも約60日の間、ブログどころかパソコンすらまともに開いていなかったということを考えれば、やっぱり随分とご無沙汰なのかもしれない。それを指し示すかのように、タイピングの速度も朧げな具合で、頭の中で反射的に思いついた刹那的な言葉が、ウダウダとキーボードを叩いているうちにスッと消えてしまうようで、まるで自由がきかない。これだとノートに向かって手書きで文章を書いている方が早いかもしれない。いやそれは流石にない。流石にないのだが、この2ヶ月余りの期間、全く持ってブログを書くことをやめていた中で、文章を書くこと自体すらもやめていたわけではない。むしろ文章を書くこと自体はブログを書いていた時よりも積極的に行っており、そういう点では手書きの方がタイピングよりも滞りなく齟齬もなく文章を収められるような気がしているのだ。そしてその文章を書く行為は12月からのルーティンとして今も続けている。

 

 そのルーティンは、まるで偶然のように見つけたとあるYouTubeの配信者が薦めていたことで知ることになった。その名をモーニングページという。うろ覚えではあるが、この作業は自分の悩みや不安から解消されたり、自分のやりたいことなどを見つけるためにはうってつけの作業とされている。ルールは簡単で、毎朝起きたらA4ノートに3ページほどの文章を書き込むというもの。内容はなんでもOK。最近あったこととか、自分が感じる不快な気持ち、楽しいこと、やりたいこと、人には言えないこと、なんでもいい。誰かに見せるものでもないので、自由に書くのが望まれる。そしてそれを毎朝繰り返す。たったこれだけのシンプルなものだが、このA4ノートというものがまた曲者で、そう簡単に3ページも埋められない。学生の頃にお世話になったA5ノートに比べても一回り大きいこの馴染みのないA4ノートは、書いても書いてもなかなか埋まらないものだ。しかも頭の働いていない朝の時間ということもあって、文章を書き慣れていない人なら数日で挫折してしまうだろう。自分も毎日3ページ書き切るのを続けるのは流石に困難で、12月上旬から始めているこのルーティンも、今では1日1ページくらいに留めている。厳密にいうと3ページというルールもまた曖昧なものらしい。元は海外発祥の自己啓発的な類のものであり、英語で表すとA4ノート3ページがふさわしいというだけで、日本語に考えるとまた長さは変わってくるだろうし、長ければいいものでもなさそうだ。このルーティンを続けて思ったのだが毎日すればいいものでもなさそうで、一旦2、3日ほど休みを挟んで、そのあと取り組んだ方がすんなりと自分の気持ちを吐き出せたりしたりもするので、この辺は個人で自由に決めても良さそうである。

 

 それで実際やってみて、効果を実感することはあるのかという点に関してだが・・・。最初の頃は目覚ましい効果があったような気がする。自分のモヤモヤが解消されたような気がするし、与論島にいた時に感じていた不安感や気怠さは無くなったようでもある。しかしそれは与論の気候との相性がそもそも良くなかっただけかもしれないし、今ではまた環境が変わったわけだから、その時との比較はあまり参考にならないのかもしれない。でもこれを続けていて、気づけなかった自分の感情をうまく言語化できているとも思えるし、何より終わったあとは頭が聡明なものに変わっていたりもする。そして文章でびっしりと埋め尽くした、自分にしか見せられないタブーなマイナス要素の数々を見て、やりがいと共に思わず苦笑いしてしまいそうにもなる。

 

 自分は愚痴を吐いたり、無駄口を叩いたりするのが苦手で、なんなら嫌いでもある。そんな自分がカッコ悪いように思えるし、その相手になってくれる人にもなんだか頭が上がらないような気がして、ついプライドが優ってしまうわけだ。なので愚痴を吐かないように生活している。でもだからと言って、悩みごとや面倒ごとやマイナス要素から逸脱した生き方をしているわけではない。いつも何かを思っているし、それが答えになったりならなかったりして頭の中で蠢いている。自分にとってのモーニングページは、それらのモヤモヤしたものを吐き出している作業になるのだろう。壁に向かって落書きするようなものにも等しい。内容次第ではすごく嫌なことを言っているような気にもなるが、いつでもどんな時でも綺麗な自分ではいられないのが現実だったりするし、ムカついたりイライラしたり悲しんだりした時の自分をこっそりと解放してあげるような作業なのだと思うことにしている。実際そうだろうし。でも特定の誰かを乏したりすることはないようにだけ気をつけてはいるが。12月から始めて、A4ノート1冊分はすでに文字で埋め尽くしたのだが、どれだけ親しい人にも見せられるものではない気がする。だからこそ続けていく意味がありそうではあるのだけれど・・・。