2月10日
結局、昨日書いたこのブログの内容で現状報告の一才をすることをせずにいたわけだけれども、今現在、自分は長野県の山奥のホテルで働いており、そこの寮に住んでいる。2月の長野県、それも標高1000メートルを超える地点にあるホテルで、今期の冬を越すことを選んだわけなのだけれども、当然のようにこちらでは雪が積もり、気温は氷点下を下ることが非常に多い。11月までは常夏のような環境が続くような、鹿児島県の最南端に位置する与論島に住んでいたわけなのだけども、今度は雪が降り積もる長野県に住むことを決めたのだ。全くもって真逆の環境であり、本当につい数ヶ月前まで、自分があのジメジメした環境の与論島に住んでいたのかと思うとなんだか不思議な気分になる。地元の人たちもよく言っていることではあるが、ここら一帯の地域の冬場は、他と比べても乾燥しているようだ。その感覚は文字通り肌でわかるような具合で、風呂上がりなんかはいつも保湿しておかないと水分の不足にやられてしまいそうである。
で、そんな長野県の野辺山での生活の期間は3ヶ月半ほどとなっており、予定では来月の3月末までいることになっている。ここの現場でも他と変わらず、延長する気はないのかと聞かれるのももうおなじみの流れだ。周辺環境に関しては、今まで暮らしてきた派遣先の中でも随一に何もないようなところで、周り一帯はほぼ畑と、遠くに見える絶景の八ヶ岳、そして徒歩30分をかけてたどり着くセブンイレブンくらいのもの。そんな状況でも、他での生活よりかは気持ち等も安定しているので不思議だ。その原因はここの職場の人の良さもあるだろうし、なんだかんだ思っても気候が身体にあっているのかもしれない。なので、延長するかと聞かれたら、そりゃあ延長したくなるような気もする。しかし周りに何もなく、車も持っていない自分はここでの生活を長く続けることに少し恐ろしい気もしてくる。そしてここの時点で旅を辞めてしまうのもなんとも言えず、一応は次の場所を探して、それがあくまでも自分の道としておくのが望ましい。
まあ確かに、いつも次の場所に移動するたびに慣れてきた職場環境をリセットするのは、それなりにもったいないことをしていると思えてくるのもまた事実なのだ。人見知りであまり強気でもない、そしてどちらかといえば人に合わせるのだって大変な自分が、よくもまあ慣れない放浪生活をしているものだと我ながら感心してしまう。この前まで、自分は八ヶ岳の雪山ではなく、常夏のヤシの実とヨロンブルーに囲まれた生活をしていたはずなのに。そしてこの前まで、自分はハウステンボスのオランダ風の街並みと、佐世保の入り組んだ瀬戸の水辺に囲まれて生活していたはずなのに。そしてそしてこの前まで自分は、箱根中に咲き誇る桜と、視界を遮る鬱蒼とした霧に囲まれた生活をしていたはずなのに。
そして・・・いやもうよそう。こんなん10回くらい続けても終わらなさそうなくらい、転々としている。何か悪いことでもしたかのようにずっと動き続けているのだ。実際悪いことをしているのかもしれない。家族とも連絡をとっていないし、自分はとことん悪い奴なのだろう。いつか地獄に落ちる気がする。こんなわけわからん暮らしの果てに、ふと地獄の入り口に誘われて、そのまま戻ってこない。そんな哀れな自分が空想めいた形で頭に思い浮かぶのだ。馬鹿らしい。もう寝よう。