星の上の馬鹿者

これは放浪記です。いろんなところに行っています。

衝動でHSPの本を買うという、そんな休日。

2023-04-10 22:54:43 | 日記

4月10日

 

まったく外に出ることもない休日だった。人と話すこともほとんどないような日であった。しばらくは仕事もそう忙しくなることはない。気を抜くと怠慢とか退屈に呑み込まれていきそうな日々である。そんなことを言っているうちにきっとGWが始まり、多忙なる日々が自分を呑み込んでいくことも容易に想像できそうではあるのだが。

 

あまりにも退屈になりがちな日であったので、インターネットで見て興味を抱いたHSPについての本をkindleで衝動買いして読んでいた。そんな、専門的かつ実用的な本を衝動買いするのも変な話ではある。しかも購買理由がamazonのレビュー数の多さと評価の高さという、いかにもな衝動買いである。これは普段の自分にはない購買意欲であった。今すぐに必要でもないものを、そんな即決で買う理由がどこにあったのであろう。買うか買わないかを決めるのに、もっと時間を割いてみてもよかったのではないかと思う現在夜の22時すぎであるが、今更そんなことを考えてもすでに手遅れなわけである。そして自分は今日の昼間、700円ほどの電子マネーを引き換えに手に入れた活字データを読み漁っていたのだ。

 

わざわざ金を出してまでそのHSPとやらの本を買った理由は一つ、それは自分がHSPではないかという心当たりがあるからである。完全に思い込みならばそれに越したことはないのだが、今までの人生経験上とか、なんかインターネットで出てくる情報とかをあてにする限りでは、おそらくその類であろうことが考えられる。もし自分がHSPではないのだとしたら、それはインターネットの情報が間違っているか、本当に自分の思い過ごしだということだ。しかし心の面でどこか他の人とは違うのではという悩み的なものは現にある。そして自分にあてはまる特徴を探していたらこのHSPとかいう言葉に出くわしたわけだ。なのでそれについての情報が欲しくなった。

 

今回の本はHSPといういわゆる繊細な気質を持ってしまった人に対して、いかにして人生を過ごしやすく生きていくかを説いた、指南書のようなものである。HSPの特質を持った人は基本的に感受性が強く働いているので、なにかと不便な生き物であったりする。しかもそれは五感に限らず、場の空気感を読む力や、人の感情を読み解こうとする力、雰囲気とかイラつきとかそんなものも含めて、他の人よりも深く見てしまいがちな人なのである。それはプラスに働くこともあるかもしれないが、この情報化社会、仕事や人間関係に時間を割かれがちな現代では、なにかと損な役回りに立たされがちである。いろいろなものに気がついてしまうということは、そのいろいろなものが自分の意識に入ってきているということだ。社会で生きるにあたって、特に気付くことなく、深読みすることなくスルーしまったほうがいいものが多いだろう現代では、かなりの苦痛を要する。

 

本書はそういった過敏になってしまった人たちがいかにうまく社会に順応できるかと説いているわけある。読んでみた感想は、徳に目新しいことが書かれているわけではなかったが、自分の繊細な一面と向き合うための、お守りになるような内容だったと思う。自分のなかでたくさんの「あるある」のような事例が数多く書かれていたし、それが自分だけでないということに安心させられた気がした。自分がHSPなのかそうではないのか、それはどっちでもいいと思う。ただ自分の繊細さとかたくさんのことに気づく力を生かすためには、本書のようなアドバイスは素直に受け止めるべきだろう。


独り占めできているようでそうでない可能性。

2023-04-09 23:36:29 | 日記

4月9日

 

風の強い日である。相変わらずの野辺山生活でもある。もはやここでの生活も完全に板についてきたようで、違和感のかけらも見出せなくなっているのである。コンビニまでの長い道のりを自転車で行くのも、1時間に一本あるかないかの電車に乗ることも、真っ暗闇の夜を一人で過ごすことも、これが日常なのだと思ってしまうくらいである。そして夜になってそろそろ眠たくなった時に、おもむろにパソコンを開いて、これを書くのもまた日常と化しているわけである。こういうものだと、自分の理想もあやふやなままに、今の自分はこういう環境だろうと不思議な納得に辿り着いてしまったのである。

 

しかし昨日書いた通り、仕事での負担はそこそこであるわけだけれども、完全に一人の辛さではないはずなのである。内向的な自分は、どうしても自分の感情とか感想が自分一人のものだと思いこみがちであるが、多少は同じ環境の人たちが同じような気持ちを抱いているものである。今の自分が大変だとするならば、周りの人たちもまあまあ大変であろうし、自分が楽しいものに触れられたら、他の人もそこそこには触れるものであろう。なので、あまり独り占めしないことだ。独り占めしたって、そうそう隠し通せるものではないのだから。恥ずかしがっても、結局はそんな大したことではないのだから。

 

大胆さを求めたいわけではない。外交的な、明るい自分があるとは思えない。ただ一人のものだと思い込んでいることが、全然一人のものではないことが往々にしてあるものではないかと、そう考えたりする。もちろん一人でしか抱えられないものもあるのだが。意外に人は共感したり、洞察しているものじゃないだろうか。

 

でなければ社会なんて成り立たないだろう。自分はまさしくその社会に生きているわけだから、その法則をうまく活用することこそが、自分の可能性として秘めていることでもある。社会の法則、人の法則を読み取るのだ。もしかしたら無意識にしている部分もあるだろうが、これに関してはもっと積極的に、意識的にやり進めてもいいとは思っている。人にわかってもらうこと、人からその能動的な力を見出すことの大切さ。そういうものがわかればいいのだけれども。難しいけれど、一つ考えてみたくある。


溜まる疲労、進む心配。

2023-04-08 23:32:58 | 日記

4月8日

 

疲労は溜まり、先の不安とか、そんなもの自分で抱えてもしようがないこととか、そういったもので満たされている。職場では新しい人たちがたくさん入ってきて、馴染みのあった人たちはほとんど辞めてしまった現状である。このような現状に、正直安心とかあったものではない。12月の頃は自分が一番の新人で、色んな人たちに頼っていたはずなのに、今や色んな人たちに頼られる始末である。自分より上の人たちは、アルバイトの人たちの中の総意が自分にあるのかのように、自分に色々と指示をしてくる。そして新しく入ってきた人たちはこぞって、わからないことを自分に聞いてくる。それがまあ、職場でのあるべき姿というか、中間管理職の辛いところではある。そんな疲れた具合の部分に触れてやるのもまた難しいわけである。ときおり、新人の仕事に対する悠長な構え方、危機感のなさ、責任感のなさ、そんなところに腹が立つこともある。今日がそうであった。でも、あまりこの件に関して細々としたことを言うと、愚痴として歯止めが利かなくなりそうなのでこの辺にしておく。

 

しかしこのままではGWが心配である。このままなわけはないのだが、このまま特にみんなの進歩なくGWを迎えることだってあり得なくはないことだと、自分の中に杞憂が走る。思えば自分が入った頃はみんな優秀な人たちばかりだったのだ。みんな仕事ができて、足を引っ張り合うこともなく、実力に差があるわけでもなかった。みんながほぼ均等に職務を全うしていたように思う。今はどうかと言えば、もうわざわざ言う必要はないのである。しかしこうしてつい仕事のことを考えると、愚痴を言わないようにしようとしても愚痴っぽくなってくる。別に大した問題はないのだが、なんとなく皆ちゃんとしてくれるのかが心配なだけだ。そして自分の今書いている小説も、ちゃんと完成してくれるのかがまた心配のひとつではあるのだが。

 

どうしたってこれからのことは心配だらけで、今の職場を延長してよかったのだという正当性がほしくて、そんなものはないはずなのにどこかに探してしまう。そんな悩みのたくさん芽生える日々である。自分がこういう人間だからしかたがないのだが。もう寝るしかない気がする。その前に皿を片付けなければいけないが。疲れることの多いことだ。


とりあえず書き始める。

2023-04-07 23:02:35 | 日記

 

4月7日

 

自分自身でもいいのか悪いのかも判別がつかないものを、とりあえず書き殴っていた今日の午後であった。書き殴っていたと言っても、macbookのpagesでただひたすら思いつくままに文章を打っていただけなのだが。やはり頭に思い浮かんだものを素早く表現するのは手書きよりもタイピングの方は有利である。もちろん手書きは手書きの良さがあるわけなのだが。今の自分にはこうして画面上に文字を起こす方が滞りなく作業が進む。

 

今の自分は、文章をたくさん書ける状態へと移行しているようなもののようだ。逆に読書とか、何か勉強して習得することとか、そのようなものは難しくなっている気がする。せっかく買った三島由紀夫の全集を読み始めても、全くと言っていいほど内容が頭に入ってこない。こういう時は、とことんアウトプットしていくに限る。

 

正直、書き始める時は、自分なんか何も出すことの出来やしない人間なのだと卑下していた。本当に何も思い浮かばなかったし、そんな自分と向き合うのが本当に嫌だったわけだ。しかし実際蓋を開けてみるとどうだろう。まるで脳みそがそれを望んでいたかのように、自分の手は何かしらの文章を紡いで見せるわけだ。こうして文字を打ち込めば打ち込むほどに、散々溜め込んでいたモヤモヤを吐き出すかのように頭は洗練されていく。こんなにも何かを溜め込んでいた自覚もなかったのだ。むしろもっと自分の頭には、色々な情報や感性を詰め込んでいかなければと考えていたので、それがしんどくなる原因にもなっていたのかもしれない。

 

手ぐせのような感覚で文章は進んでいくわけだけれども、このまま走り続けることをやめてはいけないだろう。もっと無意識の底へ潜り込むように、自分は潜在されているものを吐き出してやりたい。だから空っぽのような状態でも出すことだ。そして自分の限界を歓迎してやろうではないか。それを楽しみに、そして恐怖して、書き続ける。


そろそろ始めておかないと。

2023-04-06 22:50:25 | 日記

4月6日

 

三島由紀夫の全集第一巻をアマゾンで注文して、昨日ようやく届いたのだが、よく考えると今月末までに新人賞を応募したいと思っているのに、読書なんかしている場合ではないのかもしれないことに気づいたのだ。もう4月も一週間が経過しようとしているわけで、時間の経過の早さに焦りが生じてきている。しかし、今の自分が何か新しいものを生みだせるものなのかは疑問である。頭は空っぽのようであるし、毎日のスケジュールを立てたとしてもなかなかうまくいっていないこの頃だ。そんなこんなしているうちに、気がつけば一日が終わってしまう。

 

とりあえずは今月の読書は諦めて、闇雲にでもいいから何か書き始めるしかないかもしれない。このままではダメだということはわかっている。それなのに自分は読書をしているから大丈夫だと、そんな保険をかけるようなことしかできていない。本質は逃げているだけだ。何もできない自分に言い訳するような読書でしかないのだ。本当は怖いだけなんだ。何も生み出せないこととなる結果を迎えることが。その度胸ができあがっていないから、未だに前に進めていないのだ。

 

それでも朝のモーニングページと、このブログで日記を書くことは続けていきたいと思っている。むしろこれはやめないほうがいいのではないかと考えている。このルーティンを放棄してしまっては、自分の生活はいよいよ乱れていくだろう。ただでさえ今月は安定した日常を送られていないのだ。4月はじめに上田から帰ってきた自分は、そこから立て直すべき日常に苦労を要している。一応、朝の瞑想とか最近始めた筋トレなどは続けている感じではあるが、気がつくとすぐに部屋は散らかっていくし、余計なことばかり考えてはネガティブに襲われる。変わってきている自分がいる反面、相変わらずの自分がいる。結局自分はその程度だということが分かる。

 

その程度の自分で、どこまで戦えるかが今回の新人賞の鍵となる。すでに不安は無限大で、何してんだろうなと自分を卑下したくなる状態だ。昨日コーヒーを飲みすぎたせいで寝不足気味で、今日はまともな思考をしていないと思う。だから後ろ向きな気分なのだろう。だから今日は思いっきり寝てやるつもりだ。これからのことは、寝てから考えてやる。