先日、ゲーム会で、天九牌の牌九を8人でプレイし、とても楽しい時を過ごした。
遊んだ人たちも、牌九のスリリングでダイナミックな展開に満足していたように思う。 最近、中国のゲームに関して中国文献を色々と調べているのだが、その中で、天九牌の前身である宣和牌が、当時の民間人には牙牌(ヤーパイ)と呼ばれていたということが分った。
宣和牌というのは、後の人々に付けられた名称で、当時の名称は牙牌であったという。 そして、最近の中国内での新しい見解では、その牙牌が、明の時代(1368年~1644年)に骨牌に変遷し、そこから天九牌が生まれたのだという。 となると、朝鮮半島に伝わったコルペ(骨牌という漢字のハングル読み)は、牙牌という名前ではないので、牙牌が骨牌に変化した後に、朝鮮に伝わったものということになる。
朝鮮の骨牌は、現在の天九牌と違って、目数はドミノと同じ1-1から6-6まである。
ならば、現在の天九牌の天・地・人・和などの目は、明の時代の骨牌からさらに変化したものということになる。
ということは、中国に存在する天九牌と同じ目を持つ長牌(川牌)系統の紙牌は、明の時代頃か、それ以降にに生まれたことになる。
中国には、この長牌系統の他に、麻雀やトランプの起源であるといわれる銭牌系の紙牌が存在する。
この銭牌系の紙牌は、銭、紐、貫などのスートが存在し、麻雀とスートがほぼ同じである。
しかし、天九系の目数を持つ長牌(川牌)は、スートが文牌と武牌しかなく、麻雀とは別系統のものに思える。
麻雀という「骨牌」が銭牌という「紙牌」を元に生まれたのに対し、川牌系の「紙牌」は天九牌という「骨牌」から生まれている。
つまり、成立過程が真逆のものである。
銭牌スートの「紙牌を骨牌にした」ものが麻雀であり、天九スートの「骨牌を紙牌」にしたのがを川牌である。
確かに、銭牌を骨牌にして成立したということで、麻雀は、銭牌と骨牌の混合産物であると深く認識した。