ほぼ20年前になります。
振り返って見ると、素晴らしい紅葉に目を奪われました。
ピラカンサの実
もみじの紅葉 青空に映えて
海蔵寺
海蔵寺の庭園
落ち葉散り敷く
鎌倉の海を見下ろす
下界に下りるとバスの窓に黄葉が見事!
ほぼ20年前になります。
振り返って見ると、素晴らしい紅葉に目を奪われました。
ピラカンサの実
もみじの紅葉 青空に映えて
海蔵寺
海蔵寺の庭園
落ち葉散り敷く
鎌倉の海を見下ろす
下界に下りるとバスの窓に黄葉が見事!
2007年2月の蔵王です。
今から16年前になりますが、昨日のことのように思い出されます。
ロープウェイで宿へ
ロープウェイからの眺め
標高1450m
一日目は、宿の主人に案内して頂いて 蔵王中腹まで、樹氷を楽しみながら歩く(*^^)v
樹氷遠望
記念撮影(^_-)-☆
遠くに樹氷の群れ
樹氷を楽しむ
まるでギャザーの入ったフードのよう(*^^)v
ここは宮城県 七ケ宿町
樹氷の大群
ここは山形県上山(かみやま)町 (一日目は 夫の同僚と行動を共に)
冬芽
今宵の宿
宿近くからの眺め
沈みゆく夕陽
ついに山の端に沈みました
第二日
今日は 二人で出発
昨日も歩いた辺り
吹き付けられて
無事に 刈田岳到着
お釜のある辺りだが お釜は雪に覆われて見えない!
雪に覆われた刈田岳 神社と鳥居
神社の屋根
刈田岳山頂
山頂からの眺め
冬芽
無事に宿まで戻りました
宿の玄関で記念撮影
宿 too Cotton 全景
料理も美味しく とてもよい宿でした(^^♪
楽しかった蔵王の想い出は尽きません💛
紫陽花の季節になり、以前 見に行った開成町の紫陽花を懐かしく思い出します。
その時は、花菖蒲も花盛りで とてもきれいでした!
田園風景 田植えが終わったところですね
ハルジオンでしょうか
ベニシジミが蜜を吸いに、、、
田んぼにキジが見えました
何と 花菖蒲も!
紫陽花と花菖蒲のコラボ!
柏葉アジサイ
辺りに広がる風景 酒匂川の流れも見えます
自然の中での紫陽花や花菖蒲、キジにも会えて 心楽しいウォーキングでした(^^♪
2010年10月 旭川から釧路への旅の続きです!
旭川から大雪山国立公園へ ここは広大な山岳公園
層雲峡へ
「ヒグマに近づかないでください」と書いてあります。
ヒグマの足跡でしょうか
層雲峡からロープウェイで5合目へ
銀河の滝
天狗のひき臼岩
キノコ
石狩川沿いの歩道に出ると 黒岳の頭は 早くも 雪
層雲峡園地
翌日は 層雲峡から北見へ 高速バス「石北号」で ほぼ2時間
北見薄荷記念館
左から 薄荷取卸油、はっか脳、はっか赤油、はっか白油
北見駅前
JR北見駅から 石北本線で網走へ
能取岬
オホーツク海と知床連山を眺望する景勝地
能取岬灯台
網走駅から釧網線で釧路へ
途中駅 原生花園
知床斜里駅で列車乗り換え
知床斜里駅から知床連山を望む
一路釧路へ
線路は続くよ♪
紅葉も ほぼ終っていましたが、それなりに楽しい観光の旅でした(^^♪
今まさに紅葉の時期!
ほぼ10年前の 2010年10月の北海道の旅を 懐かしく振り返ってみました(^^♪
東京羽田から空路旭川へ
石狩川
神居大橋
旧神居古潭駅
旭川神居古潭にあった旧国鉄 函館本線の駅
滝川ー旭川間が開通したのが1898年(明治31年)、1901年((明治34年)から停車場だったところに
神居古潭駅が誕生した
しかし 1969年10月に旭川ー滝川間の電化と複線化により 旧線上にあったこの駅が廃止された
駅舎は 廃駅時の姿形をもとに復元され明治期の貴重な西洋建築として旭川市の指定文化財として
多くの人に親しまれている
旧神居古潭駅のホーム
当時のSLが展示されている
橋梁跡
駅周辺
駅舎遠望
険しい渓谷を縫うように列車が走っていた
夢殿観音前バス停
バス時刻表
川村カ子ト アイヌ記念館内部
アイヌの文化を今に伝える
入り口に鎮座している猫 可愛い(^^♪
藁ぶき屋根が記念館
周辺の紅葉
古潭公園
公園辺りの紅葉(白く見えるのが石狩川)
旭川駅到着
~(その二)へ続く~
2014年6月の北海道旅行です。 今から丁度8年前になります。
写真を見るとそんなに年月が経ったとは思えないほど鮮やかに、しかし とても懐かしく
思い出されます。
旭川からJR富良野線に乗って美瑛に。
次が「美瑛」
江戸後期に 美瑛は幕府の天領となり1899年(明治32年)には
十勝線(現在の富良野線) 美瑛・旭川間が開通したという
美瑛駅前
美瑛町役場に立ち寄る(手前左の石板の文字は「やすらぎ広場」)
美瑛は アイヌ語の「ビイエ」(油の意味)に由来する
現在の美瑛川に 十勝岳からの硫黄が溶け込んで濁っていた様を表現した言葉
「美しく明朗で 王者のごとし」という意味を込めて「美瑛」と当て字されたとのこと
美瑛川を渡り 徒歩で宿に向かう
道端の花 コウリンタンポポ
ルピナス
憧れるような風景
ハナダイコンでしょうか
ビートの畑のよう
宿に到着 ペンション星ヶ丘
宿からの眺め
宿近くの道標
散歩に出かける
ヒメナデシコ
夕食
宿からの夕陽
早朝の散歩
ペンション星ヶ丘の全景(北海道上川郡美瑛町みどり)
天体ドームもあり 親子星座教室も開催される
宿近く
宿を出る
また 徒歩で駅に向かう
ごみ処理車に出会う
日本で一番美しい村 連合と表示されている
駅に向かう途中の畑の風景
通りがかりのお宅の庭先に 見事なオオデマリ
美瑛駅に到着!
富良野から根室本線に乗り換えて 釧路へ
広々とした畑の広がる美瑛
ゆったりとした静かな 心地よい旅でした(^^♪
2021年6月8日
大船駅笠間のバスターミナルか発旧栄プール行に乗り、上郷ネオポリス下車。
バス停前のコンビニ裏手の道を進む。程なく「あじさい祭り」の幟が立っていた。
左方向に緩やかな坂を上り、野七里第一公園のそぼの傾斜地に紫陽花の群落が見える。
階段を少し上り
紫陽花の丘
階段の途中に散策路があり 様々な種類のアジサイを楽しみながら歩く
柏葉アジサイの仲間だろうか・・・見事なもこもこ!(^^)!
途中 保育園のおさんぽに出会う
保育士さんに連れられた二才児かな(?)が 私たちを見て立ち止まって 一瞬動かないので
「エンスト」かと思いきや 丁寧におじぎをしてくれた(^^♪ 慌てて「コンニチワ!」
ちゃんとあいさつが出来るんだね(#^^#)
白いガクアジサイも清楚
青も爽やか!
階段を下りて帰路に着く
暑い日でしたが 風はさわやかで、アジサイを愛でながら の楽しい半日でした(^^♪
2021年5月22日
JR保土ヶ谷駅東口バスターミナルから児童遊園方面行きのバスに乗り
児童遊園地前バス停で降り、遊園地正門前の坂を上っていくと左手に入り口があります。
正面左側
正面右側に見える看板の文字
各エリアの地図と説明書き
説明書きを読んでいます
英連邦軍墓地には 第二次世界大戦時に日本軍の捕虜となり 収容所で召された英連邦諸国
(イギリス・カナダ・ニュージーランド・オーストラリア・インド・パキスタン)の兵士ら
1,873人の墓がある
イギリスエリアの全体を見渡す
静寂に包まれている
墓地を整備されている方々 芝生も雑草一つ見当たらず とても!手入れが行き届いている
墓碑銘とばら
KNOWN UNTO GOD
神さまに「あなた」として覚えられ 愛されている・・・とても心に残る墓碑銘
所謂 無名戦士の墓ではない 個人個人の墓
この感覚の違いは どこからくるのか・・・
インドエリアへの入り口
インド パキスタン軍の墓地
ここでは 十字架はない
文字は とても読めない(-"-)
ここも 個々人の墓
墓碑銘の 左のある「しるし」は 一つ一つ異なっている
農業を営んでいた兵士の墓だろうか・・・
他にも いくつかのエリアがあるが この日は ここで墓地を去ることに・・・
近くのバス停から 市バス(保土ヶ谷駅東口行き)に乗って帰る
数年ぶりの訪問で、ゆっくりと墓碑銘などを見ながら 平和への願いを新たにしました。
2021年5月11日
30年ほど前に横浜市保土ヶ谷区瀬戸ヶ谷町(丘の上)の会社の社宅に住んでいました。
その頃 時々訪ねた児童遊園地・こども植物園と英連邦軍墓地を久しぶりに訪ねました。
(英連邦軍墓地の方は、別のブログで紹介することにいたします)
社宅の辺り、数年前に訪ねた頃よりも更に、さらに環境の変化が激しく どこをどう歩けば
目的地に着くのかさっぱり分からないという感じ(何と!社宅がなくなって造成地になっていました)。
iPhoneを頼りに、 通りがかりの人にも聞き々々、ようやくたどり着けました。
保土谷駅 バスターミナル3番乗り場から「児童遊園地行」に乗ればよかったのですが、
一時間に2本というバスを待つよりは、と別のバスに乗ったのがまずかった!
かくして、ようやく児童遊園地に到着
想い出の池
この「児童遊園地は 横浜市保土ヶ谷区狩場町にある都市公園
ここから こども植物園に向かう
ハルジオンの花盛り
以前はこんなベンチはなかった
以前は 山桜を楽しんだものだ
竹林
この案内板の近くに正門がある
正門を出て バス通りを渡ると「こども植物園」の門がある
こども植物園は 横浜市南区六ッ川にある
園内には バラ園のほか 野草園 くだもの園 竹園 花木園 生垣園 薬草園などが整備されている
展示室では 各種バラの展示
リュータン 1971年 フランス
スカーレットジャムの枝変わり
ロサ・キネンシス・ミニマ
ノイバラを詠んだ和歌と俳句
和歌 道の辺の荊(うまら)の末 (うれ)に延(は)ほ豆の からまる君を別れか行かん
(道端のノイバラの枝先にからみつくヤブマメのように 私になついて離れない
(主人の)若君を残して 防人として別れて行かなければならないのか つらいことである)
俳句 花いばら 古郷の路に 似たるかな 蕪村
古里や よるも さほるも 茨(ばら)の花 一茶
展示室を出て 沢山の種類の竹を鑑賞しながら バラ園へ
ブラッシュノ ワゼット
ソレイユ ドール ~1900年 フランス~
つる アイスバーグ
かがやき
余り見かけない品種 ノスタルジー
八重咲のバラ
クリスティアナ
クリーム色のバラに 一文字セセリ蝶
密にならず 150種 450株のバラを ゆっくり鑑賞
お弁当(植物園の中)の時間に少し降られただけで、陽ざしがなかったのが残念でしたが
楽しいひと時でした(^^)/
可能なら ぜひ!訪れてみてください。 お勧めです(^^♪
2014年3月
草津白根スノーシューの帰りに草津温泉を訪れました。
この数年前に国立療養所栗生楽泉園を訪ねた時以来、久しぶりの草津でした。
湯畑
湯畑全景
湯もみ風景
湯もみ体験中
湯もみ歌を聴きながら
草津温泉を流れる川へ
ベルツ博士とスクリバ博士両博士の胸像についての説明板
特にベルツ氏は日本人にとって馴染み深いと思う
ベルツ博士は ドイツ出身の医師で 明治政府に召喚されて来日
東京医学校(現東大医学部)の教師として当時の医学界に大きな影響を与え
1902年(明治35年)退任後は宮内省侍医を務めた
明治の知識人が 藩政時代の文化を否定し 表面だけの西洋文明を取り入れる姿勢を批判
「日本人は 先ず自国の文化を理解し 西洋文化と比べて何が優れ 何が劣っているかを知る
必要性がある」と説いた
当時は 西洋建築が次々と建てられる一方 廃仏毀釈運動が吹き荒れ 西洋人から見ると
素晴らしく価値ある寺院や仏像が破却される様子を見るに堪えがたかったようだ
学問を学ぶにも 知識や探求心の積み重ねが大切なのに 日本人は結果だけを求める姿勢を
批判している 今の日本にも 未だにその傾向があるように思われる
ベルツ博士が 草津温泉を訪れたのは 1878年(明治11年)頃で
「草津は温泉だけでなく 最上級の理想的な飲料水がある」と絶賛
草津温泉の研究書である「熱水浴療論」を発刊して 草津温泉の医学的有効性を評価
世界に紹介している
案内板によると 内科にベルツ 外科にスクリバとある 無二の親友だったとか
スクリバ博士も 町民に無料で診療を施したり 町民から慕われていたという
以前の訪問とは また違った面での草津を楽しむことが出来ました(^^)/