山歩き

苦楽をデジカメで

6月の北海道 美瑛の想い出

2021年06月24日 | 旅のつれずれに

2014年6月の北海道旅行です。 今から丁度8年前になります。

写真を見るとそんなに年月が経ったとは思えないほど鮮やかに、しかし とても懐かしく

思い出されます。

旭川からJR富良野線に乗って美瑛に。

次が「美瑛」

江戸後期に 美瑛は幕府の天領となり1899年(明治32年)には 

十勝線(現在の富良野線) 美瑛・旭川間が開通したという

美瑛駅前

美瑛町役場に立ち寄る(手前左の石板の文字は「やすらぎ広場」)

美瑛は アイヌ語の「ビイエ」(油の意味)に由来する

現在の美瑛川に 十勝岳からの硫黄が溶け込んで濁っていた様を表現した言葉

「美しく明朗で 王者のごとし」という意味を込めて「美瑛」と当て字されたとのこと

美瑛川を渡り 徒歩で宿に向かう

道端の花 コウリンタンポポ

ルピナス

憧れるような風景

ハナダイコンでしょうか

ビートの畑のよう

宿に到着  ペンション星ヶ丘

宿からの眺め

宿近くの道標

散歩に出かける

ヒメナデシコ

 

夕食

宿からの夕陽

早朝の散歩

ペンション星ヶ丘の全景(北海道上川郡美瑛町みどり)

 

天体ドームもあり 親子星座教室も開催される

宿近く

宿を出る

また 徒歩で駅に向かう

ごみ処理車に出会う

日本で一番美しい村 連合と表示されている

駅に向かう途中の畑の風景

通りがかりのお宅の庭先に 見事なオオデマリ

美瑛駅に到着!

富良野から根室本線に乗り換えて 釧路へ

 

広々とした畑の広がる美瑛

ゆったりとした静かな 心地よい旅でした(^^♪

 

 

 

 


仙台の旅~作並温泉~

2020年01月09日 | 旅のつれずれに

2019年12月25日~27日

一年間の骨休めという感じで、クリスマスの諸行事を済ませて仙台への旅に出ました。

25日に東京駅から東北新幹線「やまびこ」で一路仙台駅へ

丁度お昼になっていたので 駅ビルで「タンシチュー」を注文。おなかを満たしてホテルお迎えのバス時間まで仙台の地下鉄 東西線に初乗車。余り時間もなく、帰りに寄る場所の下見を兼ねて 一駅だけ乗って仙台に戻りました。

JR仙台駅

駅前のケヤキ並木

ホテルお迎えのバスの乗って作並温泉へ

26日は 作並温泉の観光スポットを巡る

雨天の中 路線バスで滝見物

 

大小さまざまな滝が織りなす神秘的な水音が 伝説の「鳳凰」の鳴き声のように聞こえたことが

その名の由来とか

JR仙山線

湯神神社

再び 路線バスで移動

店内で 一体だけ購入(下の写真 左手 背が高く細いのがそれ)

我が家のこけしたちに仲間入り

お昼になったので 宿 近くのレストランへ

作並産はちみちとレモンのホットドリンクとパニーニ(マルゲリータ)を半分にしてもらい

二人で とても!美味しく頂いた(^^)

店内の飾り  落花生の殻で作られたスズメたち

 

27日 朝 作並温泉から宿のバスで仙台駅へ

地下鉄東西線で仙台駅から一駅「青葉通一番町」駅で下車

改札を出て左手のアーケードを南へ

アーケードに並ぶ出店

さらに南に10分ほど歩くと 日本基督教団 仙台東一番丁教会がある

礼拝堂

ギャラリーから

教会学校礼拝室  ガラス張りでとても明るい

沢山ある小部屋の一つ 会議室として使われている  椅子が独特(重い!)

ロビー  ここも光が取り入れられて明るい

右側の棚の上に人形が・・・

クリスマス クリッペ(クリスマスシーズンなので飾られていた)

教会訪問の後 仙台市博物館へ

伊達家ゆかりの仙台の歴史を詳しく観ることが出来た

また 仙台藩祖 伊達政宗に抜擢され 東西文化交流の使命を帯びて 当時600石の士 支倉常長がローマへ渡ったのが1613年(慶長18年) 国産の500トンのガレオン型黒船に日本人150人 南蛮人40人を乗せ イスパニアの神父ソテロをパイロットとして出航  太平洋を横断し2年後ローマに到着 盛大な入府式の後 教皇パウロ五世に謁見

常長はこのローマで洗礼を受けている(洗礼名:ドン・フィリップ・フランシスコ・ファセクラ)

彼が交流の使命を果たし7年後1620年に帰国したが その間に 幕府によりキリシタン禁止令が発布されていた

帰国後 常長がどのような運命をたどったかは 不明(何の記述も遺されていない)

彼が持ち帰った資料もお蔵入りして散逸したかに見えたが 明治に入り 欧米使節団 全権大使として欧米諸国を巡った岩倉具視が 何百年も前に日本人が渡欧した事実を知り 証拠となる資料を探し ついに発見

その資料(今は 国宝となっている常長のローマ市公民権証書 当地で描かれた常長の肖像画 ローマ教皇パウロ五世像など)の展示があり とても興味深く 一見の価値ありといったところ

 

雪見風呂とはいきませんでしたが、とても楽しい 有意義な旅になりました。


涼を求めて ~片品村 の丸沼へ~

2019年09月02日 | 旅のつれずれに

2019年8月28日~29日

骨休めと長く続く暑さから少しでも涼しいところへ行きたい、と思い 出かけました。

東京から上越新幹線で「上毛高原」へ

駅前から鎌田行バスに乗り 1時間半 

鎌田でバスを乗り換え 日光白根山ロープウェイ乗り場へ 約20分

ロープウェイ終点は ロックガーデンになっている

僅かに 夏の咲き残っている 高山植物が見られた

 

トリカブトの仲間

コマクサ

鳥居をくぐると 白根山への登山道が続く

再び ロープウェイで戻る途中 丸沼が見える

高原の駅で昼食

チャーシューが厚めで 美味しいらーめんでした!

ここからバスで 丸沼へ

丸沼 に建つ環湖荘

営業開始は 昭和8年とか

文人たちが 釣りなどで 好んで宿泊したという宿 

翌朝 丸沼散策

日本観光地百選 湖沼の部 第一位

遊歩道入り口の橋の上から

奥に見える建物が環湖荘

今回は 降ったり止んだりの天候で ダムまでは行けなかった

あら! 誰かの落とし物(-_-;) (鹿かしら?)

園内にバス停がある

上着に 赤とんぼ

珍しい 蝶も

バスに乗って 鎌田へ

鎌田で 上毛高原駅行のバスに乗り換え 吹割(ふきわれ)の滝入り口で途中下車

吹割の滝入口と表示のある所を奥に入りどんどん下っていくと

一枚岩

滝を見下ろす位置にかかる橋の上から

しかし ここからは 独特の吹割の様子は まるで分からない!

左の 崖下の点のようなのが 見物の人たち

ここからバスに乗って 上毛高原駅へ

 

二日間、降ったり止んだりの雨模様でしたが、時々青空も見え 空気がひんやりとして涼しく、自然の中に

身を置く幸いを 豊かに味わった旅でした。

 


桜巡りと都踊り鑑賞の旅 その二 京都から吉野へ

2019年05月07日 | 旅のつれずれに

4月12日 京都 仁和寺へ

仁和寺山門

ここの桜を 御室桜(おむろざくら)という

 

修理中の五重塔

御室桜は樹高が低く 開花はソメイヨシノより一週間から十日前後遅く 京都の春の終わりを飾る

境内に二百余株 植えられている

起源は古く 平安時代にまで遡るも 現在のものは江戸時代初期に植えられたもの

ミツバツツジは満開

ツツジの下に遊ぶ小鳥(残念ながら 名前は??)

京料理の昼食

朱い蓋物の中は

温かい豆乳

 

 

円山公園で

枝垂れ桜

阿国歌舞伎発祥の地

京都四條南座で 都をどり鑑賞

緞帳を眺めながら 開演を待つ 

「都をどりは ヨーヤサー」の掛け声と共に 芸妓 舞妓が登場

 京の名所を巡って 長唄とともに 春 夏 秋 冬と舞い進み 第八景 嵯峨野にある大覚寺 満開の桜で舞い納め

という華やかな舞台  写真でお見せすることは出来ませんが どうぞご想像ください

南座界隈の桜

大津湊から 琵琶湖のショートクルーズで 琵琶湖ビューのホテルへ

対岸から 朝陽が昇る(部屋の窓から撮影)

8時にホテルを出発 千本桜を楽しみに 吉野山へ向かう

バスの車窓から

吉野山到着  ここは パス

 

中千本の見られる吉水神社への階段

遠くの屋根は蔵王堂

吉水神社辺りから(中千本)

吉水神社の由来

下千本 中千本 上千本とあり  これは 下千本辺りの眺め・・・少し色が淡くなっている

写真を撮りながら駐車場に向かう

坂の途中  古くからの薬屋

吉野山に別れを告げ バスに乗る

車窓から

三河安城駅到着  新幹線で帰路につく

日本の春を 心ゆくまで楽しんだ旅でした。


桜巡りと都踊り鑑賞の旅 その一 姫路城から有馬温泉へ

2019年05月07日 | 旅のつれずれに

2019年4月11日~13日の二泊三日で 某交通社のツアーに乗り、関西の桜見物に出かけました。

東京駅から新幹線で新大阪へ

ここからバスで 世界文化遺産で 国宝 姫路城へ 150分の旅

白い天守閣は 白い鷺が舞い立つように見えるというので「白鷺城」とも言われる。

姫路城は築城以来400年。天守閣は 明治の修理 昭和の修理を経て、更に 2009年(平成21年)に保存修理着工、6年かけて2015年に終了。

その修理の様子をDVDで写していた。

狭く急な階段を 何とか6階まで上れた。

武具掛け(天守閣は 武器倉庫としても使われていた とのこと)

6階からの眺め

天守閣

天守閣と桜

 

いろいろな角度から楽しむ

天守閣を下りて 千姫ゆかりの西の丸御殿へ

 

石垣には 石棺も利用されたとのこと

桜の絨毯

大天守のシャチ

昭和のシャチ

平成のシャチ

桜門橋

第一日目の宿である有馬温泉へ

炭酸煎餅屋さんの看板

私にとっては昔懐かしい炭酸煎餅で 美味しい!

宝塚歌劇を観た帰りに よくお土産に買って帰ったもの

温泉街の佇まい

湯泉(とうせん)神社

  ~桜巡りの旅 その二 に続く~


水上温泉紀行

2018年08月30日 | 旅のつれずれに

2018年8月17日~18日

孫たちの夏休みに合わせて その家族と総勢6人で温泉旅行を楽しみました。

朝早い上越新幹線で 上毛高原へ。改札口を出た直ぐのところにバス停があり「谷川岳ロープウェイ行き」で終点下車。

さらに ロープウェイに乗り込み 天神平へ。小雨が降ったりやんだりの生憎の空模様なので、散歩だけにとどめました。

一、二日前の横浜の暑さ(摂氏35度)は嘘のよう、寒いこと、寒いこと!薄手の上着を着込んでも何の役にもたたない。

ロープウェイ山頂

雨が止んでいたので 少しだけ歩く

谷川岳山岳資料館で 熊の剥製に跨がり・・・

ここでは「触れてはいけません」と言う表示はなく、全て「触ってください」「試してください」で

子ども達は 喜んで 何でも試してみて楽しんでいた

ここまで来たのだから せめて 一の倉沢まで行きたかったが 雨が降りだし断念(一の倉沢行きの電気自動車も既に満員でアウト)

ロープウェイ駅のレストランで軽く昼食を済ませ 宿泊予定のホテルへ

ホテルの玄関前で     冷たく冷やしたキュウリとミニトマトは 美味しかった!

宿に荷物を置き 徒歩5分ほどの 利根川へ

早速 平たい石を選んで 2段 3段 4段と 石投げに興じる孫たち

ラフティングボートを楽しんでいる人たちも

夜8時半から宿のサービスで花火も(これは 部屋の窓から撮影)

女性二人は 露天風呂から花火見物

 

第二日目   朝4時半起きで 5時過ぎのにはロービーに集合

実は「早朝散歩カヌーツアー」(http://www.lakewalk.jp/)に予約していて ガイドさんの車で洞元湖へ

前日に引続き 気温が低く 貸出しの雨具上下を着込み 長靴を履いても 震えるほど寒い

カヌーを湖畔に担ぎ出し 二人一組で乗り込む

 

幻想的な朝靄の中へ漕ぎ出す 朝日を浴びて とても気持ちがよい

二家族 揃って

小1も 頑張ってます!

ライフジャケットが チョット(^_^;)

樹下をくぐる

 

カーヌーツアーも終盤   山びこ遊び

みんな揃って「ヤッホ!」 微かに返ってくるこだまに  耳を澄ませた

 

この地方で この夏一番の冷え込みの中でしたが、とても爽やかな 早朝散歩が楽しめた旅でした。

 

 

 

 

 

 

 


南三陸への旅

2018年06月22日 | 旅のつれずれに

 

2018年5月29日~31日

東日本大震災後 初めて 被災地を訪れる機会が与えられました。 主に 海外支援(国内も)の リサイクルショップを通して、話に聴いたり  被災地で採れる海産物などを購入したりしていましたが、 実際に この目で見るのは初めて。復興は 未だ道半ばの印象でした。

東京駅発11:00のやまびこ135号に乗車(夫の学生時代の級友の会に同行~総勢9名で)

 

車窓からの風景

北上川

仙台駅着13:04

仙台駅東口からホテルのシャトルバスで「ホテル観洋」へ(ほぼ2時間)

ホテルに到着後各部屋へ

部屋の窓からの風景(牡蠣の養殖だろうか)

ベランダの柵に悠々のカモメ

ホテルの近くに「海の見える命の森」があるというので、散策に出かける(森の入り口まで 徒歩20分余り)

ようやく広場に到着

石碑の傍の説明書き

左側の白い建物がホテル 右は黒崎トンネル(震災で大きな被害を受け 廃線となった気仙沼線 鉄道跡)

ホテル観洋に戻る

ずっと以前に泊まりたいと思っていたホテルが どんな被害を受け 地元にとって どんな役割を担っていたのかを知りたいと思い調べてみた

2011年3月11日 14:46 M9.0の東日本大震災発生 ホテルの建つ南三陸町では震度6弱の揺れと最大20m以上の津波が襲来 直後停電・断水となったが 宿泊客とホテルスタッフ、避難してきた近くの住民 合わせて約350名が滞在

2F大浴場まで津波で浸水したというが 食材の在庫から一週間分の献立作成 食事の提供を開始

震災から7日目に宿泊客全員がチェックアウト 何とか帰路に着けた由

その後 南三陸町内のインフラが徐々に復旧し 震災後56日目にして 二次避難場所として地元の方々約600名を受容れて コミュニティーを作り ボランティア等の協力もあって 様々な支援を続けたとのこと

震災から4ヶ月後に大浴場も復旧し 半年後には仮設住宅への入居が始まり二次避難場所としての役割 終了 (ホテル観洋の冊子 3.11からの記憶より)

公式HP http://www.mkanyo.jp

ホテルのバスで被災地を巡る(約1時間)

自らも被災者となったホテル観洋スタッフが「語り部」となって 当時の様子を伝えながら 復興途上の現状を見学する「語り部バス」を 2012年2月からスタート  

南三陸町旧 防災対策庁舎(左上に見える赤い鉄骨)近くに設えた 慰霊の祭壇

2011年3月11日 午後2時46分(少しずれているが)で 止まった時計

新しく造られた堤防にいたキジ(元々 この辺りにいたのだろうか・・・)

 

「語り部」バスで ホテルに戻り 引続き ホテルのバスで陸前戸倉へ送ってもらう

ここから JRのバス(気仙沼線の代替バス)に乗り換えて 志津川駅へ

 

志津川の展望台

展望台上の展示 2007年の志津川地区

 

展望台から直ぐの さんさん商店街  志津川町五日町にあり 飲食・鮮魚・雑貨など28店舗が軒を連ねている

商店街のシンボル

「さんさん」表通り

裏通りに 地元の方たちの 散髪屋

「さんさん」の表通り 観光客向けの食事処で昼食

食事は 屋外のテント内に並んだテーブルで

思い思いのメニューで

カメラショップで「南三陸の記憶」と題する写真展を見る

南三陸とチリは1960年チリ地震以来友好関係を結んできた その後1991年に絆の証として モアイ像が贈られたが 2011年3月11日に流出

震災から2年後2013年5月に 再び チリ国民の「南三陸 復興への願い」を込めて贈られた このモアイ像には黒曜石と珊瑚で作られた目が入っている目の入った像は稀少だとか

商店街を後に 9人乗りジャンボタクシーを呼んで 観光スポットである神割崎(かんわりざき)へ

 

カンゾー(キスゲ)が咲いていた

 

さらに 多くの児童や教師が犠牲になった 旧 大川小学校へ

黒い矢印は 児童が移動したルート 学校の裏山に何故 逃げられなかったのか という思いは今も

真ん中の白い板には 津波到達地点と書かれている

見学を終えて 言葉なく タクシーへ

丘の中程に見えるのは 宿にしているホテル観洋か

 

第三日 10:00 ホテル発 仙台駅に向かう(正午頃に仙台駅に到着)

仙台駅

駅ビルで昼食

12:44 仙台発のやまびこ140号で 東京へ

震災から 7年になりますが、 被害の規模が そして犠牲が如何に大きかったかを思い知らされた旅でした。

復興は 未だまだ これから という思いですが、 関わっているリサイクルショップで扱っている 「(岩手県)大槌を応援する会」が     取寄せている 被災地の産品を購入したり 僅かながらでも 応援して いこうと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


岳温泉~奥岳温泉~安達太良山

2017年11月08日 | 旅のつれずれに
2017年10月16日
二本松駅から 路線バスで 安達太良山麓に広がる高原の温泉郷 岳温泉に向かいました。
この日は、陽も傾き掛けていて 温泉に浸かって のんびり。

翌日 朝9時頃宿を出て 先ずは 温泉街を散歩

温泉街 本通り



引き湯小屋
岳温泉の歴史は古く 奈良・平安時代まで遡るという
その湯元は 安達太良山連峰と並んでそびえる鉄山(くろがねやま)の直下標高1,500mに位置している
温泉街までは 約8㎞ その間を 昔は 下の写真のような木管で 湯が送られていた



木管の断面
このような管の中で 適度に湯もみされ 柔らかな肌触りのよい湯となった
強い殺菌効果のある酸性泉

引き湯の説明板

この道の下に 湯樋が埋められていると思われる


桜坂

足湯


温泉街はずれの鏡ヶ池公園

鏡ヶ池
安達太良の山並みを映すところからこの名が付けられたという

いよいよ ロープウェイで安達太良山へ


ロープウェイからの眺め



ロープウェイを下りて 安達太良山中腹まで登ってみた


登山道を行く

五葉松

中腹から安達太良山を望む(真ん中の小さなコブが山頂)



左側が安達太良山 右奥が 鉄山


中腹辺りの紅葉  この辺りまでで引返す


薬師岳(ロープウェイ乗り場近く)

安達太良渓谷自然歩道入り口



滝見橋から
(上部に見えるのは 多分 魚止滝)


立派な五葉松

岳温泉に戻る

マンホールの蓋


菊人形の切手を買った郵便局


宿の温泉バッグ(滞在中 重宝した)

普段 お互いに忙しい合間を縫っての 温泉旅行。ゆったりと楽しいリフレッシュの時が与えられて 感謝。
翌日、二本松に戻り 資料館を見学して 帰浜しました。














二本松の菊人形

2017年10月25日 | 旅のつれずれに
2017年10月16日 私にとっては初めて 福島県二本松市を訪れました。

菊人形会場へのバスに乗るには 相当待たなくてはならないので、二本松城址まで歩いて行くことに。


駅近くの道案内

但し 最短距離ではなく 先に 本丸跡への大廻りの遊歩道を行く





桜並木を進む 桜咲く頃は さぞきれいだろうなあ・・・と思いながら






桜の古木




本丸跡へ

二本松城の歴史


駅から歩きづくめで 疲れた足に ウッドチップの道は とても心地よい



ようやく菊人形会場に到着


裏口のようなところ


菊松くんがお出迎え



屋根の菊は まだつぼみ


象に乗っているように見えます?


ミッキーマウスと仲間たち


その裏側は?

一本仕立て


滝と池


大輪の菊も その根元は?

一本の茎から このように


一番奥の 山型の裏側は?



(*^ー゚)


七福神




懸がい仕立て



千輪咲という





江戸時代へ タイムスリップ


家康と家来たち


女の子

男の子


大奥


お犬様


只今 松の廊下で着せ替え中



江戸の大火 火消したち


大相撲 双葉山の土俵入り


菊人形の切手


箕輪門
初代藩主丹羽光重公 入府間もなく 場内整備のため御殿と共に最初に建造した櫓門
手前の黒っぽい いくつかの像は 戊辰の役で戦死した二本松少年隊




戒石銘碑の説明

戒石銘(国指定史跡)
五代藩主(丹羽家七代)丹羽高寛公が 藩儒学者 岩井田昨非の進言により 藩士の戒めとするため 命じて刻ませたもの(1749年)
四句16文字より成っている
  爾の俸 爾の禄は
  民の膏 民の脂なり
  下民は虐げ易きも
  上天は 欺き難し
(ルーツは 中国で 日本の平安時代中頃とのこと)

近くの蕎麦屋で昼食

「ざる蕎麦」を注文したが いろいろ小鉢も付いていて 蕎麦も 腰があり とても美味しかった

ここからバスで日本松駅に戻り、さらに路線バスで岳温泉に向かいました。
岳温泉紀行は、また後程。







信州 松本・上高地に遊ぶ その二 上高地編

2017年09月11日 | 旅のつれずれに
一日目は、焼岳の麓 中の湯温泉に泊まる。
部屋からの明神岳の眺めもよし、松本・上高地への送迎もあって 温泉も気持ちよく(^^) お勧めです。


早朝 部屋の窓から明神岳を望む  お天気が良ければ もっときれいに見えることだろう


宿の朝食


朝の散歩

宿の車で 大正池バス停まで送ってもらう

大正池  若い頃訪れたときは 立ち枯れの木(焼岳の噴火による)が 林立していたが 段々に姿を消して僅かに残る
今では この背の高い枯れ木が 大正池のシンボルのようになっている


今も活動を続ける焼岳が 霧に覆われている


大正4年 焼岳の噴火によって流入した土砂が 梓川をせき止め 一夜にして出来た池(大正池)




鴨の仲間 夢中で食事中


大正池から田代池へ




猿の腰掛け?


どうやって出来たのだろう?




笹舟を浮かべて・・・なかなか 流れに乗らない


カメムシ


きれいな蝶々(名前が分からない)


約1500年かけて形成されたという田代湿原



ここでも食事中


ミゾソバの群落


梓川



川の好きな孫たち



河童橋まで500メートル

ひたすら歩く


宿で作ってもらったおむすびで昼食 丁度よい長いす!


上高地を紹介したウェストン





梓川に架かる河童橋に到着


河童橋から穂高の山々 この時も 霧に覆われて・・・


ゆったり流れる梓川

お昼の12時半、上高地バスターミナルから中の湯温泉の車で JR松本駅へ


駅ビルで一休みして 一路新宿へ

子ども達が小さいので、いろいろ端折った所は またの機会に。お天気も まずまずで、孫たちとの楽しい旅を終えました。