山歩き

苦楽をデジカメで

児童遊園とこども植物園を訪ねて

2021年05月12日 | ウォーキング~楽しい発見~

2021年5月11日

30年ほど前に横浜市保土ヶ谷区瀬戸ヶ谷町(丘の上)の会社の社宅に住んでいました。

その頃 時々訪ねた児童遊園地・こども植物園と英連邦軍墓地を久しぶりに訪ねました。

(英連邦軍墓地の方は、別のブログで紹介することにいたします)

社宅の辺り、数年前に訪ねた頃よりも更に、さらに環境の変化が激しく どこをどう歩けば

目的地に着くのかさっぱり分からないという感じ(何と!社宅がなくなって造成地になっていました)。

iPhoneを頼りに、 通りがかりの人にも聞き々々、ようやくたどり着けました。

保土谷駅 バスターミナル3番乗り場から「児童遊園地行」に乗ればよかったのですが、

一時間に2本というバスを待つよりは、と別のバスに乗ったのがまずかった!

かくして、ようやく児童遊園地に到着

想い出の池

この「児童遊園地は 横浜市保土ヶ谷区狩場町にある都市公園

ここから こども植物園に向かう

ハルジオンの花盛り

以前はこんなベンチはなかった

以前は 山桜を楽しんだものだ

竹林

この案内板の近くに正門がある

正門を出て バス通りを渡ると「こども植物園」の門がある

こども植物園は 横浜市南区六ッ川にある

園内には バラ園のほか 野草園 くだもの園 竹園 花木園 生垣園 薬草園などが整備されている

展示室では 各種バラの展示

リュータン 1971年 フランス

スカーレットジャムの枝変わり

ロサ・キネンシス・ミニマ

ノイバラを詠んだ和歌と俳句

和歌 道の辺の荊(うまら)の末 (うれ)に延(は)ほ豆の からまる君を別れか行かん

  (道端のノイバラの枝先にからみつくヤブマメのように 私になついて離れない

   (主人の)若君を残して 防人として別れて行かなければならないのか つらいことである)

俳句 花いばら 古郷の路に 似たるかな      蕪村

   古里や よるも さほるも 茨(ばら)の花   一茶

 

展示室を出て 沢山の種類の竹を鑑賞しながら バラ園へ

ブラッシュノ ワゼット

ソレイユ ドール ~1900年 フランス~

つる アイスバーグ

かがやき

余り見かけない品種 ノスタルジー

八重咲のバラ

クリスティアナ

クリーム色のバラに 一文字セセリ蝶

 

密にならず 150種 450株のバラを ゆっくり鑑賞

お弁当(植物園の中)の時間に少し降られただけで、陽ざしがなかったのが残念でしたが

楽しいひと時でした(^^)/

可能なら ぜひ!訪れてみてください。 お勧めです(^^♪


草津温泉

2021年05月05日 | 旅の思い出

2014年3月

草津白根スノーシューの帰りに草津温泉を訪れました。

この数年前に国立療養所栗生楽泉園を訪ねた時以来、久しぶりの草津でした。

湯畑

湯畑全景

湯もみ風景

湯もみ体験中

湯もみ歌を聴きながら

草津温泉を流れる川へ

ベルツ博士とスクリバ博士両博士の胸像についての説明板

特にベルツ氏は日本人にとって馴染み深いと思う

ベルツ博士は ドイツ出身の医師で 明治政府に召喚されて来日

東京医学校(現東大医学部)の教師として当時の医学界に大きな影響を与え

1902年(明治35年)退任後は宮内省侍医を務めた

明治の知識人が 藩政時代の文化を否定し 表面だけの西洋文明を取り入れる姿勢を批判

「日本人は 先ず自国の文化を理解し 西洋文化と比べて何が優れ 何が劣っているかを知る

必要性がある」と説いた

当時は 西洋建築が次々と建てられる一方 廃仏毀釈運動が吹き荒れ 西洋人から見ると

素晴らしく価値ある寺院や仏像が破却される様子を見るに堪えがたかったようだ

 

学問を学ぶにも  知識や探求心の積み重ねが大切なのに 日本人は結果だけを求める姿勢を

批判している  今の日本にも 未だにその傾向があるように思われる

ベルツ博士が 草津温泉を訪れたのは 1878年(明治11年)頃で

「草津は温泉だけでなく 最上級の理想的な飲料水がある」と絶賛

草津温泉の研究書である「熱水浴療論」を発刊して 草津温泉の医学的有効性を評価

世界に紹介している

 案内板によると 内科にベルツ  外科にスクリバとある 無二の親友だったとか

スクリバ博士も 町民に無料で診療を施したり 町民から慕われていたという

 

以前の訪問とは また違った面での草津を楽しむことが出来ました(^^)/