QOOTESの脳ミソ

日記や旅の記録(現在進行中および過去の旅)がほとんどですが、たまに「腹黒日記風」になっているのでお気を付けください。

アメリカ南部の思い出。

2024-06-02 03:18:37 | Memories of the Southern States
30年ほど前、20代半ばのころにアメリカ南部の田舎町の中学校でなんちゃって日本語教師をしていたことがあった。日本の学校にもいるAET(Assistant English Teacher)のようなもので、一年間の期限付きで正規の先生がいる横でネイティブ要員として日本語の会話練習などをするのが業務・・・のはずだった。

しかしいざ言われた勤務地に一人で到着すると正規の先生なんか一人もおらず、「明日からこの教室つかってね!」と校長先生に言われ、授業の準備から生徒の成績付けまで全部一人でやらされることになった(笑)。毎日昼間は正規の先生の横で飾り物みたいに中学生相手にのんびり会話練習でもして、夜は地元の大学でいくつか授業でも取ったあと夜な夜なバーで飲んでアメリカ生活を楽しもうという僕の計画ががらがらと音を立てて崩れて行った(笑)。

と言いながらも上に書いたことはすべてやった。がっつり授業をしなければならない昼間が想定外に忙しくなっただけで、夜は大学(地元のCommunity College)でスペイン語、Windows3.1の使い方、英語のスピーチの3つの授業を取り、そのあとはハリウッド映画で荒くれモノが女性を巡ってけんかを始めるようなローカルのバー数軒に通って酒を飲んだ。

大学の授業の中ではスペイン語の授業が一番好きだった。先生は若い頃Peace Corps(ピースコー、青年海外協力隊に似たアメリカのプログラム)で南米に派遣されていたという隣町に住むJoeというおじいちゃん。アメリカ人学生が発音で苦労する中、スペイン語の単語をローマ字読みですらすらと音読する(意味は分かっていない)僕を非常にかわいがってくれたのをよく覚えている。「ペーパーテストが得意な日本人(笑)」でもあるので、なかなか喋れるようにならないのに試験はいつも満点だったのも気に入られた要因のようだった。

Joeのスペイン語の授業がレベル2まで終了したところで僕の一年間のアメリカ滞在は終わり帰国すると報告したら、最後の授業の日に「最優秀賞」の賞状を作ってきてくれたり最後までかわいがってくださった。その賞状は今でも大切に保管している。

すごく優しい先生だったけど、眼光は鋭く、目はいつも笑っていなかった。僕はひそかに、JoeはCIAのエージェントだったに違いないと思っていた(笑)。Peace Corpsは昔からCIAのスパイ活動によく使われていた(る?)と聞いたことがあったからだ。開発援助という目的だと世界中いろいろな国に入り込むことが容易になるので、それを隠れ蓑にCIAのエージェント活動をするということらしい。

我がスペイン語教師のJoeはきっと若い頃に中南米を駆け巡って、イーサンハントばりの活躍をしていたに違いない、と僕は今も思っているのだ(笑)。

彼は当時で60代だったので今はもう90を超えているだろう、もしかしたらご存命かもしれない。そのスペイン語のクラスで一年間一緒に学んだアメリカ人のDavidとは今も友人で付き合いがあるが(3月に彼の息子が円安の日本に遊びに来ていた(笑))、隣町に住んでいるものの彼もJoeの消息は知らないと言っていた。

前回その町に遊びに行ったのが2018年だったので、円安が少しでも緩和されたら来年にもその田舎町を再訪したいと思っている。

トムソーヤに出てきそうな南部らしい川がゆったりと流れ、人口の多くがアフリカ系アメリカ人。夜中にスーパーやバーガーキングに行くとやたら背の高い彼らが集団でマリファナのにおいをぷんぷんさせてラリってやってくる。でかい家にはポーチがありそこにウーピーゴールドバーグが座っていそうな二人乗りブランコがある。

そんな田舎町に僕は住んでいた。