QOOTESの脳ミソ

日記や旅の記録(現在進行中および過去の旅)がほとんどですが、たまに「腹黒日記風」になっているのでお気を付けください。

アメリカ南部の思い出 8 [Boarding Houseとはどういうところか]

2025-02-15 11:07:51 | Memories of the Southern States
約束の時間に指定された家に着き、車寄せに駐車するとすでに勤め先の初老の女性の担当者が待っていた。

ニューヨークの方からフロリダの方にまで続く線路の真ん前にある古い大きな木造二階建ての家。一階は外をぐるっと囲むように一段高くなったところにポーチがあり、玄関脇には映画「カラーパープル」でウーピーゴールドバーグが乗っていたような二人乗りのブランコがある、典型的なアメリカ南部の民家。

担当者に付き添われて玄関のベルを押すと、でっぷりと、でもがっしりとした大家の女性が出てきた。南部のGreasy(脂っこい)でタンパク質たっぷりの料理で作られた頑丈な身体だ(笑)。これが、英語の時間で習う「Landlady」だなと思った。Landloadが家主、Landladyがその女性版、女家主と言う意味。

ただ、スチュワーデスさんと同じで、今の英語では性別によって単語を使い分けるようなことを避ける傾向にあるので、実際にはOwnerとか呼ばれているのかもしれない。会話の中でそれに対応する単語は出てこなかったのでその部分は不明だ。

今時の正確な用法はわからなくてもLandload、Landlady、Ownerのどれかで意味は伝わる。最近は「正しい英語」について「いちゃもん」・・・もとい、アドバイスをされる方が多いが。間違ったor時代遅れの単語でも近い単語を言えば文脈で伝わるし、その時にネイティブが正しい単語を教えてくれるのでその時に正しい表現を覚えれば十分。今の人が好きな「タイパ的正義」である。

語学の堪能な方とか語学系Youtuberの皆さんには、「その単語は古い(or間違ってる)、今は〇〇〇って言うのよ」とか、初学者に不必要な余計なアドバイスをする方が多い。

語学留学の行き先選択で「〇〇の英語はなまりなあるから・・・」と言っている人をよく見かけるが、大丈夫。逆になまりが身に着いたら大成功。そこまで英語が習得できる人の方が少ない(笑)。僕の英語は日本に帰って来る頃には南部訛りだったが、メディアの力で訛りはだんだんとなくなっていった。全然心配する必要はない。

大家さんを含め3人、ひとしきり挨拶をして世間話を終えると、勤務先の担当者は「じゃ、大丈夫そうね。Have fun!」と一言確認して帰って行った。

家主の女性は「じゃ、家の中を案内するね。」と僕を中に促す。

Boarding HouseをGoogleの辞書で調べると「有料の宿泊客に食事や設備を提供する個人住宅、または下宿(屋)を指します 」とあった。僕の場合、部屋を一部屋お借りするのみで食事の提供はない、気楽な環境だった。

内部もハリウッド映画に出てくるような典型的なアメリカの住宅で、まず一階に入ると正面に映画「エクソシスト」でリンダ・ブレア演じる少女リーガンがブリッジしたまま降りてきて血反吐を吐きそうな階段がある。

「左側が私『達』が住んでいるエリアで、こっちの右側は今はアラブ人の一家が住んでいるけど家賃滞納してるのよね・・・」と困った顔で言うので、僕も困った表情を作って「そうなんですか・・・」と言っておいた。

「使ってもらう部屋は2階。」

エクソシストの階段を上ったところに一部屋、その裏ホールに面して何部屋かあった。その時点ではすべての部屋がどうなっているのかは知らなかったが、その後結果的にすべての部屋の内部を知ることができたので、間取りを書いておくと、

エクソシスト階段を上がったところの一部屋はベッドルームとリビングルームの二部屋の一番大きい世帯。あとの4部屋は全てワンルームだが、一部屋だけが広い12畳ほどのワンルームで他の3部屋が各8畳ほど。3部屋のうち一部屋は電子レンジとでかい共用の冷蔵庫があるのみの「キッチン」スペースだったので、じっさいに居住できるのは4世帯。そのうち一番広い方から2世帯はすでに住んでいる人がいるとのことだった。

大家さんは残り2部屋のうちの一部屋の鍵を開けて「ここを使ってもらおうと思う。」と僕を促した。「もう一部屋の方も空いてるけど、あっちがいい?」と聞くので、両方見比べたらどちらもそうたいして変わらないので「こっちで問題ないです。」と返答。

部屋にはベッドと棚があり、棚にはテレビが置いてあった。窓には窓用のエアコンが設置してありその上から裏庭が見えた。裏庭にはビニールのモノだがやたら大きな円形のスイミングプールがあった。「夏はあのプールで泳いでもいいよ。ちゃんと水質のメンテナンスもしてるから、安心して使ってもらえると思う。」と家主。

暖炉もあったがセメントで埋められて使えないようになっていた。その代わりただ燃やすだけの質実剛健なガスストーブがあった。ただ、ガスストーブが必要な時期まではそこにはいないだろうと思っていた。

「今見たと思うけど、向かいの部屋が『キッチン』。自分の食糧はわかるようにして冷蔵庫に入れて。これも見たと思うけど、部屋を出て左にあったのが共同のトイレとシャワー。一つしかないから朝は混雑するかもしれないよ。気を付けて。電気代は家賃に含まれてる。家賃は職場が払うからあなたが追加で払うものは全くない。テレビはケーブルテレビで、有料チャンネルのうちHBO(チャンネル)だけは観られるようにしてある。」

「あ、そうそう。ちょっとこっち来て。」と部屋の外へ促されると、部屋の外ドアのわきの柱に電話が設置してあった。

「電話は共用。市内は無料でかけられる。市外にはかけられないけど、市外からかかってくる電話はつながる。海外、日本からかかってくる電話もつながるはずだよ。電話が鳴ったのに気づいたら出て取り次いであげて。その辺は適当に。」

「質問は?」

「ないです。」

そうやって僕のBoarding Houseでの一人暮らしが始まった。

後で聞いた話だが、僕が住んだその部屋の家賃は一週間40ドルだった。



アメリカ南部の思い出 7 [Boarding Houseへ一時転居が決まる]

2025-02-15 00:03:45 | Memories of the Southern States
前回の続きと考えればここで南部料理の夕べと言うことになるのだが、その前に一つ大きな出来事があった。

最初にお世話になっていた家での滞在期限が迫っていたが、その後一年に渡るステイ先の都合を勤め先が用意できないとのことで「街のはずれにあるBoarding Houseにしばらく住んでもらえないかな」と打診を受けた。Boarding Houseというのはなんと訳したらいいかわからないけど、アパートとは違う下宿と言えばいいのかそういう住居。

一人で暮らすのもアメリカの思い出に残る経験になると思い、二つ返事でそこへの移転を受け入れた。アメリカ人のお父さんとフランス人のお母さんのステキな家での暮らしはとても居心地が良かったが、ずっと住むわけにはいかないからそれは仕方ない。

お母さんが「一人で料理作るのは大変だろうから、たまにご飯食べにいらっしゃい」と言ってくださって、その通りその後も帰国するまでの1年間、1~2週間に一回ほど夕飯をいただきに伺うようになった。ステイしていた時もだったが、フランスの方らしく毎食ラタトュイユが副菜に出てきて、日本に帰ってきてからも自分で作るようになった。クスクスもよくいただいた。自分の料理のレパートリーも増えた。

キッシュも毎食出てきたが「パイ生地で作る茶碗蒸し」だということが分かった。なんでも知ってみれば意外と難しくはない。

たまに奥様が息子を連れてフランスに里帰りしてしまったりして暇になると、誰もいなくてつまらないから遊びに来いとご主人が電話をくれて、一緒にテレビを観ながらビールを飲んだ。

一度は、日曜日の昼間に同じように暇だからと電話をかけてきて、ホンダ系部品メーカーの工場がある(と後で知った(笑))隣町の公園で開催されたコンサートに行った。もしかしたら駐在の日本人の方もあの会場にいたのかもしれない。あの当時、あの工場に何人の日本人がいたのかは知らないが。

ただ、その田舎町では1年間の滞在中、僕は日本人には一度も会うことはなかった。おそらくすれ違ってさえいない。それくらい、日本とは縁遠い町だった。それは僕にとって圧倒的なプラス要素だった。折角アメリカに住んだからには、その間は日本人にはできるだけ会いたくなかった。100%機会を活かしたかった。

約束した時間に家に行くと、彼は目下鍋でポップコーンを大量製造中(笑)。何度か鍋でPopさせてでかい紙袋一杯にポップコーンを作ると「じゃ、行こうか」と、パントリーから赤ワインを一本取って、ワイングラスを二つ持って車で20分ほどかけて公園に向かった。コンサートはオーケストラで、曲のほとんどは映画音楽、ジョンウィリアムズの作品が多かった。E.T.とスターウォーズのテーマでは特に会場が盛り上がった。

The United States of America.

それを聴きながらオジサン二人が芝生に寝転がって、ポップコーンをつまみながら赤ワインを飲んで午後のひと時を過ごした。

今思い返してみても、ステキな午後だった。

1995年6月の終わりごろだったかな、そんなご家族と別れてBoarding Houseに転居した。もう運転免許も車もあるので、スーツケース一つをトランクに入れて、お世話になったご家族に感謝を伝えてハイウェイを20分ほど南に下った新しい住居に向かった。

新住居はなかなか面白いところだった。