あの日この時間真っ暗な部屋の中、ラジオの音と今にも電源が無くなりそうな携帯のワンセグで悲惨な状況に怯えながら震災の第一夜を過ごしていました。
それでも子煩悩で年度末仕事が忙しい中、娘の卒業式に出席し命拾いした夫、娘達、両親。市内に住んでいる姉家族…(義理の兄は岩沼の仙台空港のすぐそばで仕事をしていたが、無事を確認)も家に集まり、不安な中でも肉親が無事であるという状態に安堵していた夜でした。
塩竈市内も海岸線近くと島々は、甚大な被害ではありました。それでも浦戸の島々と神様に守られ、奇跡的に守られた地域も多数ありました。私たちは高台に住んでいる為この時点ではまだまだ市内の悲惨な状況も知らず、ただ明日からどうなるのかと家族単位での心配をするばかりの夜でした。
何だか今までこのときの状況や気持ちを残したいと思いつつ…でも書くのも辛く余裕もなく…でも一年過ぎて三日坊主だったブログを更新したくなりました。