人生、失敗しちゃった~ニート後遺症 闘病記~

十数年のニートをやめて一年。ニート後遺症と戦う、ニート研究家。

高齢ニートの社会復帰を考えてくれ5と、元ニートが社会を斬り始めた。どうする?1

2016年04月12日 | 高齢ニートの社会復帰を考えてくれ
高齢ニートは生活保護直行。そうじゃなきゃ死。じゃなきゃホームレス。下手すれば犯罪者。それを解消するには働かせること。自力で探しても無理だし、職安で相談しても実は結構無理なことを言われたり怒られたりするだけで、追い詰められるだけだったりする。だったらもうスッキリと条例なり法律で「働かないとダメ」にしてしまえばいい。そして働かせればいい。

これを高齢ニートな俺が救われたいがための戯言、空想、妄想と笑いますか?

救われたいから言っています。それは間違いないです。ですが、高齢ニートならびに全ニートがそれなりに社会復帰でき生活を安定化させられ、かつ彼ら俺らが目減りさせてしまう税金他に歯止めをかけ、税金年金の未納滞納が減るのなら、悪い話ではないとは思うんですね。
どうでしょうか。

こういう法律なり条例なりで働かせて生活を保障し税金等の徴収を安定化する、という発想、ものすごく社会主義的です。ここからは、元ニートが社会を語る、に突入します。ちょっとだけ。

今現在、人間の集団活動安定化システムは大別して二つ、資本主義と社会主義があります。
資本主義も社会主義も、当然のように完璧なシステムではありません。「主義」とついています。資本システムではなく。要するに、○○を主体として集団をうまいこと回していこうよ、という「考え方」であり、その○○が「資本」であったり「社会」であったりするわけです。なので完璧なシステムもなにも、資本主義自体、システムをさす言葉ではないんですね、そうなってくると。資本(を持っている人)ベースの集団活動の考え方。それだけなので、「こういうのが資本主義!」というカチっとした、数式的回答が用意はされていない。ということは常に流動的であり、実際に運用される「資本主義的活動」はその時々の世のあり方に大きく影響される、となります。なりますよね?

資本主義的活動が超絶化すればするほど、徹底的な個人競争を産んだり富の一点集中を産んだり社会的敗北者を大量に産んだりと、なかなかエグい方向にぶっちぎります。ところがその敗北者が多くなってくると、そいつら、まあ俺らみたいなのも含めて、そいつらは「金」を回せなくなります。
「社会(主義じゃないよ)」の存在理由は「その集団に属するものが一人で生きるよりも安全安心で、よりよい生活を送る」にあります。相互助け合いです。相互とつけると意味が固定化されるというなら、「個より数を集めれば有利に暮らせるよね会」という感じです。その大きな要素が「税」ですよね。なんでそんなモン払わないとダメなんだ、は常々誰しもが思うところですが、その「税」で、本来ならなかなかできないことができているのも事実。みんなで少しずつお金集めてでかいことしようぜ!です。
ところが、敗北者が増えてしまうとその「税」が集まらなくなる。出したくても出せないもん。そこに、敗北者は自業自得、知るか!となってしまうと更に困った問題が起きます。「社会」にはそういう人たちを助けるという機能が要求され、現代社会ではほぼ搭載されているんです。「福祉」的なそれです。ざっくりいえば、そういう「税」を払えない人たちを「税」で助けてあげている、わけです。こんなバカバカしい話、ないなあと思いません?俺は思います。助けてもらう側になりつつあるんですけどね。俺(続きます)


元ニートがバイトの新人を一人立ちさせる 【ニート後遺症、闘病中】

2016年04月11日 | 脱ニート者の日常
バイトの新人教育もいよいよ佳境。

そろそろ一人立ちさせます。

簡単・単純な肉体労働ではありますが、それでも新人さんは一人では何もできない。教えなくてはならない。自分がここに入った時、今に至るまで何がしんどかったかを思い返して教えるカリキュラムを考えました。OJTといえるほどのOJTでもなく、ただひたすら先輩の後ろで説明を聞きながらまねていく、それも毎日違う場所、違う人につくもんだからやり方も微妙に違えば聞いていないことも多い。よくあることとはいえ、自分が、何を分かっていないかが分からない。

その辺踏まえて、ひとつひとつ教え漏らしがないようにチェックしつつ、段階を考えて同じ場所を最低三回は一人で頑張ってもらう機会を作り、その都度作業内容を確認し、作業と連動しない知識・用語・センスを教えてきました。

「分からないところは?」と聞くと、「だいたい大丈夫です」と返ってくる人なので、注意しないといけませんでした。

様子を伺いつつ細かな穴を埋めていき、作業後のチェックでもフォローをしなくてよくなってきたので、そろそろかなと。

今週末からは完全に一人の日ができます。それ以降は繁盛予定日以外は別日になります。

面白かった新人教育編も終了。
そろそろ俺もここを辞めて、ちゃんとした職に就かないとです。単純労働の四時間バイトで新人教育ごっこして喜んでる場合じゃないですもん。

さあどうしましょうかね…相変わらず、仕事、ないです。

ニート時代は春を満喫していたよなぁ 【ニート後遺症、闘病中】

2016年04月08日 | 今、思う。
風が暖かくなり、日差しが柔らかくなり、匂いが青々しくなると、春です。

ここから春が萌えていくわけですが元ニートなどにはキツい季節到来です。
世間の新生活で盛り上がる空気、先細る未来へまっしぐらな元ニートには純度100パーセントの酸素くらい毒でして。俺の場合、それでもまだそれを憎むことはなく、たんぽぽを見ても切なくなるくらいなので病根は深くないのかもと、変な角度のバロメーターになっています。

それでも結構な分量で、いらつき、ざらつきますよね。この感情、一番の、そして根本的な原因は今現在、春を満喫できないことではないんです。春の次は夏がきます。夏の次は、なんと秋です。そういう四季折々を楽しめないことが確定している感。これです。後少し頑張れば、辛いのは今だけ、がない。それが元ニート、ニート後遺症にのたうつ男の現状。打開されない現状。

思い返せばニート時代、季節は満喫してました。経済的には今より少しマシな程度でしたが、なんだかんだと工夫しては楽しんでいたのを思い出してしまいます。玄関脇に種をまいてクローバーや朝顔育てたりね。春野菜の漬物祭り開催したりね。無料で遊べる街の春イベントを散策したりね。春物衣料を漁りにリサイクルショップ回ったりね。
根本がそういう遊びが好きなので、十分でした。ピクニックやバーベキュー、飲みにいく、おいしいものを食べる、流行のファッションを楽しむ、TVを観る等の行楽•嗜好はないんですよね。TVを全く観ないので、なおさら派手めな遊びには疎くなります。

というときっと、多くの人がインターネットにかじりついて部屋から出てこない男、を想像するかと思います。ところがそれも違ったりします。ネットは好きです。でもかじりついても3時間が限界。2時間も座っていたらイライラします。で、外に出て活動。散歩がてら図書館で半日、とかやってました。
後は、筋トレやジョギング。庭いじり。ご近所や顔見知りのジョガーとフレンドリーに会話を楽しんで陽が暮れ、夕食を作り、夕食後は漫画読んで、就寝前にネットで遊んで。大学生の夏休みまんまです。せめてね、そこでバイトでもしていれば良かったんですけどね。この愚か者で怠け者で親不幸者は、延々と夏休みを享受し続けたんです。
そういう、ニートの一日の詳細をまとめるのもやっておきたいですね。まだ記憶が鮮明なうちに。

なんて思うともう、ニート時代への憧れがまた顔を出します。ニート時代というか学生時代の夏休みへの憧れ、が正解ですね。本来はその憧れ、憧れのままで断ち切るものなんですが、ニートというのは何を勘違いするのか「自分はそれをしても大丈夫」と無根拠な自信と勢いで、憧れを遂行してしまうんです。そんなファンタジー、どこにもありはしないのに。


基本的にこれは、愚痴ブログであり闘病ブログであり遺言ブログなのでこんな、日々思った取るに足らないことも記します。


元ニートが語る、誰でも知っているOJTのあり方【ニート後遺症、闘病中】

2016年04月08日 | 脱ニート者の日常
引き続き、バイトの後輩に作業を教えています。

いわゆるOJTです。底辺OJTです。

俺も昨年はなんだかんだで幾つかの職場に出入りしOJT経験をしてきました。OJTを気取るなら、それなりの人がそれなりの進行をコントロールしないと、ただ雑に物をねじ込んでいくだけになります。また教える人のスタンス、リアクションも大事です。
たとえばある事務関係に短期で入った時のこと。
とにかく何でもしっかり聞いてから行動するように、と言われたのですが、入って二日目くらいに作業の仕方を忘れて聞いたところものすごく深く「はぁ~~~…」とため息をつかれました。一度教えたじゃん!かもしれません。簡単な仕事じゃん!かもしれません。俺も一度聞いた作業だったので、そう言われても仕方ないとは思います。でも余りにも大げさなリアクションに、次、何かを聞きたい時に二の足を踏みたくなります。
また研修ではなく、OJTで新人に作業を覚えさせるなら、どうしても説明が不足になったり雑になったり、その場その場のイレギュラーなことも一緒に教えてしまったりと、教える事柄にムラが出てしまいます。である場合、甘やかさない程度には「許す」「耐える」は必要です。同じことを何回も聞いてくることもあるかと思います。でもそれは、その現場で教えられたことなので、どれが現在の作業に該当するかを見失っていることもあるんですね。つまり、教える側は二つとも「A」の作業だと分かっている、新人はそれを「A」と断定できないから「A」の対処法でいいのかが不安。どの場合が「A」なのか、そのパターンを講義することができないからその場その場で「A」が出てきたらこれが「A」だよと教えていかなくてはならない。結果、何度も同じことを聞かれる可能性がでてくる。でもそれをもって、その新人を「できない」と決めつけるのは違うし、そこは忍耐強く優しく教えていくしかない。
ある程度は。

なんてことを考えながら、元ニート、今日も単純労働に向かいます。

色々なブログさんから学ぶ「馬鹿は黙っていられない」【ニート後遺症、闘病中】

2016年04月08日 | 今、思う。
おはようございます。
今日は少しだけ時間に余裕ができてしまいました。

バイト休み、求職活動の予定もない。そんな日に限って外は晴天。風は丸く鳥も鳴く。仕事をさせてくれよとうなだれても仕方ないので、思い切って完全にスイッチ切って朝から色々なブログさんを巡回。

その中で、脳髄引き抜かれる思いの一文を見つけました。

「馬鹿は黙ってられない」

勝手な引用、すみません。

これ、刺さります。
ここのところこのブログでも親戚のオジ襲来について愚痴ってきましたが、その根本・核心がまさにこのフレーズ。オジもそう。何でもかんでも頭つっこんでくちばしねじこんでくるけど、何もわかっちゃいない。そう思っていたんです。でもそれは真逆。何もわかっちゃいない馬鹿だから黙っていられない。何でもかんでも大騒ぎする。一方の俺も、それを理知的に受け流せばいいものを馬鹿だから、余計な一言をいって自分を不利にして、つけいる隙を与えてしまった。「馬鹿は黙っていられない」にもほどがある。
同じ血が流れていることを実感して、また、血を全て抜き去ってしまいたい衝動に駆られます…。

とか猛省した直後に、こんなもの書き始めるのだから、やっぱり「馬鹿は黙っていられない」んだろうなぁ。

そんなことを思いながらの今日の午後は、お墓参りに行ってきます。