
NNNドキュメント「放射線を浴びたX年後 ビキニ水爆実験、そして…」
番組内容
1954年ビキニ水爆実験の放射性物質が日本をすっぽり覆った事実が判明。第五福竜丸以外に延べ992隻もの魚船が被爆していた。X年後船員たちはバタバタ死んでいった…
詳細
「直ちに健康に影響はない」原発事故後繰り返されたこの言葉。放射線の影響はずっと後で出る事は誰もが知る事なのに。
58年前ビキニの水爆実験に巻 き込まれたのは第五福竜丸だけではなかった。延べ992隻の漁船が被曝、しかも放射性物質は日本をすっぽり包み込んでいた。日米政府は僅かな金で幕を引い た。その後何も無かったかの様に実験海域のマグロが日本の食卓にあがり続ける。X年後、船員は若くしてバタバタ死んでいった…
(なにがブラボーだ! 激怒)
この番組は、1954年に米国が南太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験で「死の灰」を浴びた漁船の乗組員の被害の実態、日米両政府の思惑で封印された事件の全容を、独自入手した米国の機密文書などで浮かび上がらせます。
日米両政府は、水爆実験からわずか7カ月後に200万ドルの慰謝料で事件を封印し、被災者や遺族は偏見や差別を恐れて口を閉ざし、巨大被曝事件は歴史から消え去ったのです。
当時、上の写真のように、延べ千隻以上のマグロ漁船が南の海に向かったのにもかかわらず、下の本にもなっている第五福竜丸事件しか知られていないことに疑問を持った高知県の元高校教師の山下正寿さんは、1980年代半ばから漁船乗組員を訪ね歩き、多くが50~60代の若さでがんで亡くなっていることを突き止めましたのだそうです。
写真でたどる第五福竜丸―ビキニ水爆実験被災50周年記念・図録 [大型本]
第五福竜丸平和協会 (編集)
今回の作品は、その山下さんの長年の調査に光をあて、2011年の日本民間放送連盟賞の優秀賞受賞作「棄てられたヒバク」に、さらに原発事故後の福島での取材を加えて再構築した作品です。
この番組を制作した南海放送の伊東英朗ディレクターは、2003年から調査報道を開始し、被災者の証言を記録するとともに、「死の灰」が日本や米国本土にまで広がっていたことを示す米国の極秘文書を特報しました。
伊東さんは通常業務の合間をぬい、休日に自家用車で取材を続けたそうです。そして、ほぼ毎年、取材成果をローカル枠で流したのに、真夜中の放送時間帯だったこともあり、反応はまったくなかったのだそうです。
ところが。。。。これらの作品は皮肉にも福島原発事故で光を浴びることになりました。本当なら放射線による被曝の恐怖をもっと真正面から我々が見つめて原発にノーと言っていたら、今回の被曝は避けられたかもしれなかったのに。
究極の環境破壊で世界中にヒバクシャを作る福島原発事故 そしてセシウム137は30年後に戻ってくる
日米合作の隠蔽工作は沖縄返還密約事件を想起させます。
沖縄返還密約文書開示請求訴訟 原告ら逆転敗訴 外務省が文書を隠すか捨てるかしてしまった!
原爆事故があっても、ただちに健康に影響はない?
日本人全員がヒバクシャになった今、この番組の中の
「いつの時代にも弱いものにしわ寄せがくる」
という遺族の言葉は我々日本列島に住む者にとって明日は我が身です。
そのしわ寄せが、誰に、いつ、どんな形で来るかはわからない。放射線被曝が「悪魔のくじ」と言われる所以です。
核と人類は共存できないのです。
フクシマだけでなく、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニのヒバクシャを忘れないで
核兵器とも原子力発電所とも人類は共存できない。
よろしかったら上下ともクリックして頂けると大変嬉しいです!
まあ、一日遅く間違えていたよりは良いとしてください<m(__)m>
早速、録画の予約をしました。
このような番組はできればもっと沢山の人が観れる時間帯に放送してもらいたいものですよね・・・。