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当ブログは社会派リベラルブログとして、権力監視をその大きな目標としています。
それは、「権力は腐敗する。絶対的な権力は絶対的に腐敗する」という政治的箴言を真実だと考えているからです。
ですから、民主党政権であろうが、安倍政権であろうが、国家権力に対しては厳しく批判してきました。
また、政権与党よりさらに右な悪党の日本維新の会はもう権力の一部ですから痛烈に批判しています。
そして、特に安倍・菅・岸田と続く今の自公政権はどうしようもない、日本に暮らすすべての市民のためにとって無益どころか極めて有害だと考えているので、これに対抗するまともな野党として立憲民主党・日本共産党・社民党・れいわ新選組に政権交代を期待しています。
そんなわけで、それぞれ問題はあるものの自公両党や維新に比べればはるかに良いこの4党については、批判するにしてもその党がより前進するために必要な限りで諫言するという抑制的な態度で来たわけです。
これはパックンのツッコミが鋭い。
そんな中、書かざるを得なかった記事が、日本共産党が松竹伸幸氏を除名処分にした事件についての
日本共産党の党首公選制騒動。一番の問題は志位和夫委員長と田村智子副委員長が自らの言葉で丁寧に説明しようとせず、「赤旗の論文にすべて書いてある」としか言おうとしない風通しの悪い体質だ。
日本共産党が、党首公選制を主張して本を出し記者会見をした松竹伸幸氏を党に対する敵対行為をしたとして除名処分。こんなに狭量で党員の自由な表現を圧殺する「民主」集中制では市民の支持は得られない。
でしたが、これだけにとどめて、その後は
【野党でもめてる場合じゃございません!】岸田政権が福島原発事故以来の原発政策を大転換、原発推進の方針を閣議決定。原発の新規建設、60年超運転も。軍拡と原発推進の岸田内閣を総辞職に追い込もう。
という記事の表題にあるように、もう書くまい、いやもう書かせないでくれ、と願っていたわけなのです。
しかし、その後も新聞各紙やネット上で轟々たる共産党批判が鳴りやまず、また松竹氏と共産党批判者側が表現の自由や出版の自由を、共産党側が結社の自由という共に憲法上の人権を根拠にして批判しあっているので、法学を学んだことのあるものの端くれとして、今回限り(笑)、できるだけ中立的に整理してコメントしたいと思います。
さて、日本共産党が松竹氏の除名処分にあたって説明したことで、松竹氏も認めた事実関係の中で最も重要なのは、
「党員は、党のどの機関に対しても、党大会、中央委員会、都道府県委員会、地区委員会、どの機関に対しても自由に意見を述べることができる。あるいは質問することができる。この権利を保障している」(志位委員長の記者会見から)
のに、松竹氏は共産党内部のどの機関にも一回も共産党は党首公選制にすべきだという意見を述べたことがないという点です。
これは松竹氏が除名になるまで彼が明言をしていなかったので、私も知らずに冒頭の記事を書いてしまったのですが、はっきり言ってこれには呆れて唖然としました。
松竹氏が共産党を良くするためにさまざまな提案をしていると主張する割には、党内部でその努力を全くしていないのでは、自分が共産党を「善意」で改善努力している改革者だという言い分は全く説得力がなく、他に何を言おうが意味ないほどこれは致命的です。
共産党に何十年もいたのに、何してたんですか!?って話です。
これに対して、松竹氏は除名を受けた直後の2月6日の日本記者クラブでの質問に対し、事実関係を認めたうえで
「党首公選が党の決定に反する意見だと見なさなかった。
この問題を党内できちんと議論していくためには、自分のやり方がベターだと判断した」
と釈明していますが、共産党の制度が民主集中制で党首公選になっていないからそれに変更しろと主張しているのに、党首公選制が党の決定に反する意見だと思わなかったなど矛盾も甚だしいですよね。
また、松竹氏が、「党内できちんと議論していくために」党内で全く議論せず本を出版したり記者会見したりする方がベターだと判断した、などというのは、説得力がないどころかはっきり言って嘘八百としか言いようがありません。
他方、日本共産党規約には、
「決定されたことは、みんなでその実行にあたる。行動の統一は、国民にたいする公党としての責任である。」(第3条2号)
「党内に派閥・分派はつくらない。」(第3条4号)
「党の統一と団結に努力し、党に敵対する行為はおこなわない。」(第5条2号)
というような条文を受けて
「党の内部問題は、党内で解決する。」(第5条8号)
と明記されています。
松竹氏が党内部で党首公選制について一度たりとも議論をせず提案もせず、党規約第5条8号に明らかに反した行動をとったことは許されず、これが党の懲戒処分の対象となるのは当然です。
ただし、共産党が松竹氏を最終的には除名処分にするにしても、その手続きと手順が適正であったどうかには疑問の余地があります。
この問題と比べるのもどうかと思いますが、ガーシーって国会議員がいますよね、NHK党に(笑)。
あの人は参議院議員に選ばれてからずっとドバイにいて一度も国会に出席しようとしていないのですが、それでも参議院の懲罰委員会は4つある処分「除名、登院停止、議場での陳謝、戒告」(国会法122条)のうちの下から2番目の「議場での陳謝」という処分を下し、それでもガーシー議員が陳謝に国会に来ないようなら、次は除名という段取りを取ろうとしています。
これは国会議員が国民の代表としてその地位を最大限尊重しなければいけないからで、委員長が鈴木宗男氏とは思えない(笑)非常に真っ当な手続きを踏んだ手順と評価すべきだと思います。
適正手続(due process of law)は刑事手続きの大原則であるばかりでなく、適正な手続きで作られた法やなされた処分であれば内容も人権を侵害しないであろうという意味で、法の支配の重要な要素になっているんです。
最初から登院しないといっている候補者に28万人も投票する有権者がおかしい。
志位委員長が共産党には結社の自由があると何度も強調しており、だから党首の選び方や党規約の制定を党が自律的に決める権限があると言っているのは正しいのです。
しかし、党籍を剥奪する除名処分は松竹氏の結社の自由を奪う最も重い処分です。
そもそも、共産党という組織に結社の自由があるように、一人一人の共産党員にも共産党という結社を作りまた参加する結社の自由はあるんです。
結社の自由とは、
①個人が結社の結成、不結成、結社への加入、不加入、結社の成員の継続、脱退についての意思を形成し、その意思実現のための諸活動を行う権利。
②結成された結社が団体としての意思を形成し、その意思実現のための諸活動を行う権利
の両方を保障した基本的人権なんです。
ですから本件のように結社が構成員を除名する重大場面では、団体と構成員相互の結社の自由と結社の自由同士が対立するのですから、共産党も特に慎重な手順を踏むべきでした。
(私人間でも人権は保障されます。自由権というのは「国家からの自由」と言われ、国家権力の排除を本質としますが、表現の自由VS名誉権などのように私人間の自由と自由が衝突する場面ももちろんあります)
そして、共産党が以上の手順を踏むのが、本件では実はそれが可能だったし容易でもあったのです。
松竹氏はその界隈では有名なブログを持っていて、誰もに公開されているそのブログで彼は何年も前から党首公選制や共産党の安保政策の転換を求める意見を書いているんです。
これ自体がもう「党の内部問題は、党内で解決する。」(第5条8号)という規約に本当は反していますよね。
だから、今回松竹氏に除名処分を下した共産党京都南地区委員会常任委員会や京都府委員会常任委員会は松竹氏を呼んで、このブログ記事はどういうことかと釈明を求めることができたし、
『警告、権利(部分または全面)停止、機関からの罷免、除名』(第49条)
という処分のうちの警告や権利停止などの比較的軽い処分をすることもできました。
共産党はそれもせず、松竹氏がもうブログに同じような意見をさんざん書いているのに放置してきたのですから、共産党にとって松竹氏が外でそのような意見を言うことは実は除名しなければいけないほど重大事ではなかったのだろうと言われても仕方ありません。
そして、共産党が松竹氏のことをこれまで一回も問題にしなかったのに、彼がブログと同じ内容の意見の本を出版したらいきなり除名というのでは、これは適正な手続きを踏んだとは言えませんし、出版の自由侵害と言われても仕方ないでしょう。
つまり、党内で一度も党首公選制を主張しなかったという松竹氏はそもそも手続きゼロですが、すでに党外でその主張をしていた松竹氏に警告も何もせず放置していて今回いきなり除名した共産党も手続き不十分なんですよ。
改憲的護憲論 (集英社新書)
『日本共産党の自主的・自律的な決定に対する外部からの攻撃です。』
『そういう問題について、「朝日」社説に指図されるいわれはないんです。
また、そういう指図をする権利もないんです。』
と言っているのは、いつもの緻密な志位さんらしくない激昂ぶりで、ますます共産党を不利にしたと思います。
共産党に結社の自由があり、自主的自律的な運営権があることは当然ですが、それに対してマスメディアが批判したら外部からの攻撃で結社の自由を侵害するというのでは、新聞・メディアが持っている言論の自由や報道の自由に対する尊重がないと言われるでしょう。
記者会見の最後の「朝日新聞社の社説は悪意だったということですか。」
という質問に志位委員長は
「そうです。そう思っています。」
と答えたのですが、松竹氏に「悪意」があるというのはいいけれど、自分たちを新聞が批判したらその新聞に「悪意」があると言い出したら、これは批判を許さない態度で議論にならない政党だと言われても仕方ありません。
松竹氏を最終的に除名にするのはいいけれども、そこに至る過程と手続、そして説明の仕方については共産党に十分に検証・反省してもらいたいです。
志位委員長の言い分をそのままなぞっただけで、小林節先生にしてはちょっとだらしがない。
参考記事
村野瀬玲奈の秘書課広報室さんから
日本共産党と党員松竹伸幸氏の「対決」をめぐる懸念 (2) (メモ)
kojitakenの日記さんから
共産党が朝日新聞による「民主集中制批判」に対抗するために担ぎ出した小林節氏の反批判を醍醐聰氏がさらに批判した
このあたりの説明もころころ変わる。
あと、共産党は松竹氏を処分したのは異論を許さないせいではない、その意見の中身が共産党の立場と違うという理由ではなくて、党外にこれを持ち出したからだと何度も言うのですが、その割には松竹氏の主張する日米安保条約の承認とか自衛隊合憲論が共産党の綱領に反しているという事も繰り返し言うので、これは全く矛盾しています。
松竹氏の主張が綱領に反していることは彼の意見の内容だからです。
そして、綱領に反しているくらいに党の立場と違う意見でも、党内であればいくらでも言う自由があるんだということを共産党は言いたかったはずなのに、松竹氏の著作や彼が連動しようとした別の党員の著作内容が綱領違反だということを言うとすべてが台無しです。
結局、共産党は異論は許さないという事ではないかという事になってしまいます。
そして、外野から言いたいのは、日本共産党も自衛隊の扱いとか、天皇制への姿勢とかは結構変更していて、綱領も大転換したことが何度かあるのだから、今の綱領に反した意見でも議論の末には明日の綱領になるかもしれない、というのが言論の自由の真価だということを落ち着いて考えてほしいですね。
権力に一番対抗する政党だからこそ、共産党に求められるレベルは他の政党より高いんです。
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2023年2月10日(金)
志位委員長の記者会見
松竹氏をめぐる問題についての一問一答
日本共産党の志位和夫委員長の9日の記者会見での松竹伸幸氏の除名処分をめぐる一問一答は次の通りです。
異論を持っているからでなく、党攻撃を問題にしている
記者 松竹伸幸氏が先日、御党を除名処分になりましたけど、改めてこれについて委員長自身の見解、どのようにお考えでしょうか。
志位 松竹伸幸氏の除名処分については、党京都南地区委員会常任委員会と京都府委員会常任委員会の連名での発表文が詳しく事実関係を明らかにしております。
それから、昨日と今日の2回にわたって「しんぶん赤旗」で論説を発表しております。問題の基本点はそれらですべてのべております。
それを前提にしてのべますと、今回、なぜ除名処分になったかというのは、異論を持っていたからではないとはっきりと言いたいと思います。
異論を持っているから排除するということをしたわけではない。そういうことは絶対にやってはならないということは、規約に明記されています。
そうではなくて、あれこれの異論を、党内の党規約に基づく正式のルートで表明するということを一切やらないまま、突然、外から党の規約や綱領の根本的立場を攻撃するということを行った。これは規約に違反するわけですから、しかるべき対応をやったということです。
「結社の自由」という角度からとらえていただきたい
志位 松竹氏は、自分の行動は、「言論の自由」「出版の自由」にもとづくものだということも言っているようです。しかし、「結社の自由」という角度からこの問題をぜひ捉えていただきたいと思うんです。
憲法21条には、「言論、出版の自由」などとともに、「結社の自由」が明記されています。これは1988年12月20日に出された「結社の自由」に関する最高裁の判示ですが、読み上げたいと思います。
「(結社の自由とは)各人に対して、政党を結成し、又は政党に加入し、若しくはそれから脱退する自由を保障するとともに、政党に対しては、高度の自主性と自律性を与えて自主的に組織運営をなしうる自由を保障しなければならない。他方、右のような政党の性質、目的からすると、自由な意思によって政党を結成し、あるいはそれに加入した以上、党員が政党の存立及び組織の秩序維持のために、自己の権利や自由に一定の制約を受けることがあることもまた当然である」
これが、「結社の自由」の意味であります。松竹氏は、自らの自由な意思で、わが党の綱領および規約を認めて入党しました。そうである以上、かりに意見があれば、党規約というルールに基づいて、それを表明すべきでした。そういう権利は党規約に保障されております。それを一切せずに、党の外から攻撃するということは、これは党規約に違反する。松竹氏が、自らの自由な意思で党に加入した以上、異論があったら、そういう正式なやり方で表明したらよかった。しかし一度もそれをやらなかった。党から脱退する自由もあるんです。しかし、そうではなくて、党員でありながら、ルールを破ったわけですから、これは私たちとしては、当然、「政党の存立及び組織の秩序維持」のために一定の対処をするのは、これは当たり前のことになります。
彼は、「言論の自由」「出版の自由」といいますけれども、この最高裁判示にあるように、自分の自由な意思で党に参加した以上、「自己の権利や自由に一定の制約を受けることがあることもまた当然」なのです。ですから、「言論の自由」「出版の自由」ということで、党に対する攻撃を合理化することはできないということをはっきり言っておきたい。
私たちは、憲法21条が保障している「言論の自由」「出版の自由」「表現の自由」などを全面的に擁護してまいります。ただ、「結社の自由」も重要な基本的人権なんだということを、ぜひご理解いただきたいし、それに基づく対応なんだということを理解いただければと思います。
手続き上も除名という判断も適切だった
記者 共産党には大きく分けて四つの処分があると思うんですが、松竹さんは最も重い除名となりました。もう少し話し合いや妥協点を探ることはできなかったのでしょうか。
志位 私は、妥当な対応だと考えております。
先ほど、党攻撃の事実ということを申しました。
京都の党組織の発表文が詳しく明らかにしているように、松竹氏は、「党首公選制」という党規約と相いれない主張を公然と行うとともに、党規約に基づく党首選出方法や党運営について、「党内に存在する異論を可視化するようになっていない」、「国民の目から見ると、共産党は異論のない(あるいはそれを許さない)政党だとみなされる」などとのべた。「異論を許さない政党」であるかのように攻撃したわけです。これは事実とまったく違う不当なものです。
もう一つは、日米安保条約堅持、自衛隊合憲という党綱領に反する主張を公然と行うとともに、日米安保条約廃棄、自衛隊の段階的解消の方針――わが党綱領とそれに基づく党の政策的立場に対して、「野党共闘の障害になっている」「あまりにご都合主義」と言って攻撃したわけです。
さらに、鈴木(元)氏の本が党を攻撃する内容のものであるということを知りながら、その発刊を督促するなど、党攻撃のための分派活動を行った。
このような事実を私たちは、たいへんに重く見ております。ああいう処分を下したのは妥当だと考えます。
そして、「話し合い」とおっしゃいますけれども、さきほど言ったように、松竹氏はただの一度も、正規の党のルールに基づいて異論を表明するということをやっていないのです。わが党の規約というのは、党員は、党のどの機関に対しても、党大会、中央委員会、都道府県委員会、地区委員会、どの機関に対しても自由に意見を述べることができる。あるいは質問することができる。この権利を保障しているわけです。つまり異論を党内で唱える権利を保障しているわけです。そして、そういう異論が提起された場合には、きちんと回答しなければならないというルールになっているわけです。
「話し合い」とおっしゃいますけども、松竹氏が、この党のルールにのっとって「話し合い」を求めてきたならば、私たちは誠実に「話し合い」をしたでしょう。しかし彼は、「話し合い」を求めることは一切なく、いきなり攻撃を始めたわけです。ですから、それに対しては当然の対応になるんではないでしょうか。
それから、私たちとしては、1月21日に藤田健(しんぶん赤旗)編集局次長の論説を出しまして、いま(松竹氏が)やっていることは、党規約および党綱領からの逸脱だと批判しました。政治的批判です。これは、当然本人にも届いていると思います。あのときには、まだ私たちは規約上の処分の判断をしていなかった段階です。まず、政治的な警告を行いました。しかし、それに対して、彼は、まったく一顧だにしない態度をとりました。“こんな文書は問題にならない”というようなことを言って、反省をしない態度をとりました。
そして、2月2日に京都南地区常任委員会と京都府委員会常任委員会が行った本人への聞き取りのなかでも、“あなたの行動がいかに党規律に反しているか”とじゅんじゅんとお話をしました。しかし全く反省をしなかった。
私たちとしては、そういう手続きをとって、そのうえで、これはもう除名以外にないという判断をしたということであります。
ですから手続き上も、それから除名という判断も適切だったと考えております。
記者 鈴木元氏は、まだ現役の党員のようですが、『志位委員長への手紙』のなかで辞任を迫るようなこともしているのに、除名処分もなにもされていませんが。
志位 鈴木氏に対する対応をどうするのかは、中央としては、まだ報告を受けておりませんが、規約上の対応はいま検討されているんだろうと思っています。
「朝日」社説――日本共産党の自主的・自律的な決定に対する外部からの攻撃
記者 この問題に関して、朝日新聞が社説で今回の党の対応を批判しています。それを受けて、今日の「赤旗」では、政治部長名義で論文で批判していますが、新聞社の社説を批判するというのは、かなり特異な例だと思うんですが。
志位 あの「朝日」の社説は、あまりに不見識だと思います。簡単に言えば、私たちが規約違反の事実で処分をしたということについて言及はしていますけれども、「納得する人がどれほどいよう」と断定し、結局、日本共産党を、「異論を許さぬ強権体質」と描いているわけです。
何度もいいますけれども、異論を持ったから排除したわけでは決してありません。そんなことは規約上やってはならないんです。そうではなくて、公然と外から攻撃したことを問題にしています。そこの論理を全く飛ばして、あたかも異論を持ったから排除したかのように描いている。
もう一つは、松竹氏を“善意の立場からの改革者”であるかのように持ち上げていることです。
しかし、もしも善意の立場であるとしたならば、なぜ党の規約にのっとった正式のルートで一度も意見を述べることをしなかったのか。私は、中央委員会で仕事をしておりますが、私あての意見書も一度もありません。常任幹部会あてのものもない。幹部会あてのものもない。中央委員会あてのものもない。党大会にあてたものもない。一度もないんです。もし真面目に日本共産党を良くしようと思っているんだったら、まずそれやるべきじゃないですか。それでもかりに自分の意見が通らないのであれば、意見を保留する自由があるんです。異論があっても保留して、行動は統一していこうというのが党規約の立場です。そしてことの経過によって、どちらが正しいかは見ていこうという、そういう自由もあるんです。それが真面目な善意のある人のやり方だと思います。そういう努力を一切やらないで、いきなり外から、ああいう形で攻撃を始めるというのは、私たちは“善意の改革者”というのとは違うと思っています。
ところが、「朝日」の社説は、最初から“善意の改革者”に対して私たちが一方的に異論として断罪して切り捨てたというような構図に当てはめて、ものをいっています。
私は、はっきり申し上げておきたいけれども、「朝日」社説は、「結社の自由」ということをどう考えているのかと思います。「結社の自由」というのは、結社に自由に加入する自由とともに、結社がまさに自主的・自律的に運営する自由の両方を認めているわけです。
こうした「結社の自由」ということを全く無視した、これに対する乱暴な攻撃だといわざるをえない。それを「大手新聞」を名乗る「朝日」社説が行った。これは、あまりに不見識です。日本共産党の自主的・自律的な決定に対する外部からの攻撃です。
大手メディアが、どこどこの党の運営は「非民主的」だと勝手に決めて、外からバンバンたたくようなことをやりだしてごらんなさい。「結社の自由」は危うくされてしまいます。そういう性格の問題なんです。社説として掲げた以上、そういう性格の問題だということを自覚してほしいと思います。
朝日新聞は、昨年7月の社説でも、日本共産党に対して、「誤りを認めない無謬(むびゅう)主義や閉鎖的な体質」などと、事実を全くゆがめた非難をのべていましたが、今度の社説もその延長線上のものだと思いますが、まさに党の自主的・自律的な運営に対する乱暴な介入であり、干渉であり、攻撃だと断じざるをえません。この日本の大手新聞の社説がやっていることは、由々しきことだといいたい。
日本共産党がとっている党指導部の選出方法が一番民主的で合理的
志位 「党首公選制」なる問題についても、ご質問があればいくらでもお答えしますが、私たちは、いま私たち日本共産党がとっている党指導部の選出方法が一番民主的で合理的だと考えております。
第1に、個人の専断を排し、集団指導によって民主的に党運営をやっていくうえで、一番合理的だと考えております。
第2に、派閥や分派をつくらず、国民に対して公党として統一的に責任を果たしていくうえで、一番合理的だと考えております。
第3に、もともと日本共産党というのは、ポスト争いとは無縁な党なんです。“私が、私が”といって、いろんなポストを争ったりするような党じゃないんです。
日本共産党の党員は、だれでも、国民の苦難の軽減、平和、社会進歩のために、私利私欲なく頑張ろうということで、地位や名誉や、ましてや金もうけのために入っている人はいないんです。ですから、わが党に「党首公選制」なるものは合わないんです。
ですから、あらゆる角度から見て、「党首公選制」なるものをわが党に押し付けるというのは、私たちは道理がないと思っております。
ただ、いっておきたいのは、ある政党がどのような選出方法で党首を選ぶか、それは、その党の自主性と自律性に任せられるべき問題なんです。自民党がある制度をとる。立憲民主党がある制度をとる。私たちは、他党の党首選出のやり方について、けしからんと言ったことはありません。それは自由なんです。もちろん著しく反社会的なやり方であれば、批判がされると思いますけれども、基本的には自由なんです。それが「結社の自由」なんです。
私たちは、いまのやり方が、一番民主的で合理的だと思っております。そういう問題について、「朝日」社説に指図されるいわれはないんです。また、そういう指図をする権利もないんです。
もちろん「朝日」社説が自由な言論活動をやることを、私たちは否定するものではありません。言論の自由は断固として擁護します。ですから私たちは言論で応じています。
記者 この論文は、志位委員長のご意向で書かれたということですか。
志位 「しんぶん赤旗」の中祖政治部長が書いたものです。しかし、これは党の立場でもあります。「しんぶん赤旗」は中央委員会の機関紙ですから。
一番の根本には「日米安保条約堅持」への政治的変節がある
記者 松竹さんが急に外から意見をいいだした原因はなぜだとみていらっしゃいますか。
志位 私は、松竹氏の一連のものを読みました。そして、彼がこういう党攻撃に走った一番の根本には、政治的立場での変節があると考えます。いろんなことをいっていますが、彼は、日米安保条約堅持を、日本共産党の「基本政策」に据えるべきだと主張しているわけです。
私たちの綱領では、日米安保条約というのは対米従属の根源にある、アメリカいいなりの政治の根源にある、これを国民多数の合意で廃棄して、対等・平等の日米関係に変えるべきだというのが大方針なんです。これは綱領の規定のなかの一番の根幹です。日米安保条約の廃棄というのは。これは容易なことではないけれども、世界の大勢を見たら、軍事同盟をなくしていく方向が、大きな流れなんです。日本もそういう流れに参加しようというのが私たちの大方針なんですね。
彼の政治的主張は、つまるところ日米安保条約堅持を党の「基本政策」にせよということです。そして在日米軍の核抑止力には頼らない方がいいけど、通常戦力の抑止は必要だということをはっきりいっている。つまり、在日米軍は日本を守る抑止力だといっているわけです。
沖縄の辺野古の基地を押し付ける理由として、日米両政府がいっているのは「抑止力」だといって押し付けている。沖縄の人たちはこれを「ゆくし」=ウソだといって批判している。基地押し付けの一番の「論理」となっている。在日米軍が日本を守る抑止力という立場は、綱領の立場とは全く違います。
私たちは、在日米軍というのは、その部隊の構成を見ても、海兵隊と、空母打撃群と、遠征打撃群と、航空宇宙遠征軍ですから、どれも遠征部隊ですよ。海外に「殴り込み」をかける部隊が中心です。日本を守っている「抑止力」だという考え方は根本からとっておりません。綱領の立場はそういう立場です。
それを「抑止力」だというと、辺野古の基地に反対できなくなります。
そういう根本のところでの変節がある。はっきりいえば、この間日本共産党に対するいろんな攻撃がありました。その攻撃のなかで、“いまのこのご時世に日米安保条約廃棄といっているのは、もうとんでもない安全保障論だ”という攻撃が中心です。“そんなことをいっているから野党共闘もうまくいかないんだ”と。こういってさんざん攻撃してきたものでした。同じ攻撃をやっているわけです。野党共闘がうまくいかない、その障害になっているのは、日本共産党のそういう安全保障政策にあると。あるいはわが党の自衛隊の段階的解消論が「ご都合主義だ」と。こういって攻撃しているわけです。根本にはそういう政治的変節があると思います。
かつては、彼はそういう立場ではなかったと思います。ですから、これは変節だと考えております。
善意の意見には誠実に対応するが、悪意からの攻撃には断固反撃する
記者 結社の自由は当然認められるべきだと思いますが、コミュニケーションが少し足りなかったんではないかと。
志位 誰に対するコミュニケーションですか。
記者 「朝日」であれ、メディアであれ。その橋渡しの努力はどう考えても足りないんじゃないかと。
志位 善意の方々で、本当の意味での善意で、私たちに対してさまざまな意見をいってくださっている方々に対しては、これは私たちは、誠実に対応して、一人一人に党の立場を丁寧にお伝えします。しかし、悪意で党を攻撃するものに対しては、私たちは断固として反撃します。これをやらなかったら、私たちは国民への責任を果たせません。そして、そういうことをやってこそ、この問題の本質を多くの方にわかっていただけると思っております。
記者 朝日新聞社の社説は悪意だったということですか。
志位 そうです。そう思っています。
しかし、自由と民主主義の名で独裁者カダフィーを虐殺し、幸せに暮らしていたリビアの人たちを混乱と不幸の渦中に落とし込んだのを見てから、困っていました。
で、この松竹問題。
中国が公選制に成ったら、漢民族が選挙で勝つに決まっています。少数民族の主張をどう担保するのか?
公選制は金科玉条の価値が無いのでしょうか?
今までの常識や正義がどんどん壊れて、私は困っています。
日本が共産党だとして、日本の問題は日本で解決すると言っても、共産党の様に独裁的に物事を決められれば、日本国民は独裁者の言うことを聞かなければ成りません。
結社の自由は勝手ですが、独裁的な政党が民主国家・日本の政権を獲って貰っては困るんです。
共産党が、絶対政権を獲らないというなら、共産党が独裁的であっても良いでしょう。
しかし、独裁的な共産党が政権を獲ることは、ナチスドイツが政権を獲ることと同義なのです。
もっと、危機感を持って下さい!
が、志位さんがこれほど長年に亘り委員長をやってるところを見ると、(彼が独裁者的に君臨しているのでないとすれば)共産党の後継者育成や若者のリクルートは上手くいってないのだろう。
(いろんなニュース映像を見ても、左巻き組織の高齢者率はかなり高そうだし。)