眺める空に描くもの

高齢者女子のおひとりさま暮らしノート

福島産のこしひかりのおにぎり / 私の新人時代

2025-02-28 08:06:43 | わたし記
2月27日(木)のあさ空。
日の出前。今日はくもりの予報ですが、日の出は見えそうな気配です。
今のところ、青空は見えていて気持ちがいい。
左手からの日の出はちょっと見えにくいので、少し上に上がってから撮影。


昨日(26日)手に入れた福島産こしひかり。確認すると、泉石蔵のお米よりもだいぶ、精米時期が早かったので、先にいただこうと炊いて、おにぎりに。自家製梅干しを入れました。販売業者さんのおすすめのお米は、とてもおいしくて、納得の味でした。福島のお米農家さんに感謝です。
ごちそうさまでした。


お米の味には大満足でしたが、2キロ2060円はやはり、2倍近い価格。
家計には痛いお値段なのが辛いですね。続けて買えるかどうか…。

ニュースで低価格が売りのお弁当屋さんが国産のお米は高すぎて使えなくなって、カリフォルニア米を使うようにしたけれど、それさえも値上がりしつつあるそうで、低価格を守り続けることが難しく、泣く泣くご飯の量を50g減らしたとのことでした。
どなたにとっても主食の値上がりは本当に辛いですね。

晴れているけれど、ぼんやりとかすむ桜島。


最近の若者たちは職場で人に聞くことをせずにスマホで検索し、指導を受ける
ことを嫌がるというお話で、私の若いころは、逆に聞いても教えてもらえなかったということを思い出しました。私はいわゆる研修とか指導を受けた経験がない。私の時代は先輩の仕事のやり方を盗むのが仕事と言われていました。

なんだか頑固職人さんのお話みたいですが、ライターや編集の仕事は手取り足取りはしてもらうことがなくて、自分で試行錯誤してやりこなして行くのが「あたりまえ」。日々、胃が痛む思いで仕事をしていました。

母に泣いて頼まれて地元に戻って来たあと、入社した出版社で編集の仕事を経験することになりました。当時、職安(ハローワーク)に行って「正社員に応募するな。嫁に行け」と邪魔されて、この会社にも「紹介しない」と言われたのですが、担当の方を説得して、ようやく紹介してもらった仕事でした。もともと東京でのライター経験があったので、出版社の方は「貴重な人材」と面接の場で即時採用されたのはよかったのですが、入社初日、先輩に仕事の指示をお願いしたら、「あんたには教えない」と言われて、びっくり。さすがにはじめて行った会社で仕事を振ってもらえないと何をしていいのかわかりません。目がテンになってしまったことをいまだによく覚えています。その当時のことを思うと、今とはやはり大きく時代が違いました。今なら、「それはパワハラだ」と言う新人の方もいるのでしょうか。当時はパワハラなんていうことばは存在せず、言われたら逆らえないのが「ふつう」でした。

結局、私は編集作業には就かず、社長から、一台のパソコンを与えられて、「これからはコンピュータの時代だから、使えるようになって欲しいんだ」と言われました。社長が教えたのは、パソコンの立ち上げ方とシャットダウンの方法。ワープロソフトが入っていることや表計算ソフトが入っていることくらいは教えてもらいましたが、実際の使い方は社長も全くマスターしていなかったので、そこからは独学です。当時、オフコン等は使われていて、東京で触った程度のことはありましたが、パソコンは一般的ではなく、社内にもパソコンを扱ったことのある人はだれもいなかった。つまり、編集作業もすべてが手作業。今の時代だと手作業で編集作業をするなんて考えられないと思いますが、雑誌の編集は設計図のようなものを編集者が手描きで描いて、誌面を作っていたのです。

そんな時代に何の経験もなく、パソコンを与えられましたが、これが私にはとてもおもしろかった。毎日、触っているうちにすぐに使いこなすことができるようになり、当時、編集部でとても時間のかかっていた統計作業をパソコンでやれるのではないかと思いついて、大量のデータ入力を開始。地道なデータ入力は大変でしたが、その後にソートするだけで、データが一気に並べ替えられるのがなかなかの快感でした。それまで、手計算をするのは本当に大変な作業だったわけですから、これこそがパソコンの能力を最大に活用できる仕事なんだなと思ったこともよく覚えています。

基本的な大量のデータ入力ができていれば、あとは追加でデータを入力していけばいいので、これは大幅な時短となったものの、これが思わぬ軋轢を生むことになりました。この統計データを作っていたのが、入社初日に「仕事は教えない」と私を突っぱねた先輩社員でした。30代の男性Aさんは結婚してお子さんもいらっしゃる方でしたが、彼が何かを言ったのか、その後も編集作業は教えられず、彼と仕事をすることはありませんでしたが、社長の方はそのおかげで、購入しただけでほったらかしになっていた高額のパソコン(当時は驚くほどの高額)が活用されるようになって、しかも、編集作業の中でも時間がかかっていた統計作業の時短になったので、それはもう、ご機嫌でした。ただ、その時短具合が半端ではなかったので、社長は気がついたことがあったようです。
「A君はこのデータ作成に1か月はかかると言ってかかりきりになっていたよな? でも、(私)君は2日で君と同じデータを作り上げた。もちろん、彼女はパソコンを使っているからできることではあると思う。それにしても、1か月は時間をかけ過ぎだったんじゃないか? 君はわざと時間をかけていたんじゃないのか?」とAさんを叱責したのです。

Aさんは翌日から出社せず、そのまま退職して行きました。奥様もお子様もいらっしゃるのに、「どうしてそんなことを?」と私はびっくりしてしまったことを鮮明に覚えています。データ作成にわざと無駄な時間をかけていたとしても、それは謝罪すればすむ話しではなかったのかと。当時は編集の仕事に就くことは難しく(そもそも働く場所がない)、雇用する側も人材を確保するのも難しい状況でしたから、簡単にどちらも手離す必要はないと私には思えたのですが、Aさんは会社に何も申告することなく無断欠勤でフェードアウトしてしまったことからも、どこか無責任なところがおありだったのかなと想像していました(つづく、かも?)。

ゆう空。お天気は下り坂。

太陽も雲に隠れています。

その後、Aさんはどういう人生を送られたのでしょうか。
かなり遠方から出勤されていたことからも、ご自分でのぞんだ職種だったと
思いますが。この編集部に在籍していたときに出会った方たちは波乱な
人生を送られた方が多かった。え? 私も自身も、でしょうか?(笑)

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