眺める空に描くもの

高齢者女子のおひとりさま暮らしノート

旧友たちの「お嬢」なお母さまたち

2024-12-06 19:11:01 | わたし記
今日の空。
あさ空は雲で隠れ、日の出は見えませんでした。
冬空。寒い一日です。

大学時代の友人のお母さまが亡くなったというお知らせがあったので、
お花の手配をしました。
遠く離れているため、リアルタイムでのお知らせではないので、自宅に
お花を贈るようにさせていただいたわけですが、こういうとき、いつも、
ちょっとお花選びに迷います。

というのも、結婚している友人女性たちの義父母さまではなく、実両親が
亡くなられた、ということは、お花を贈った友人宅(嫁入り先)には
お仏壇とか、類するものが置かれていないわけで、ご実家にお届けするのも
友人への弔意が直接、伝えられないので、躊躇してしまいます。
(ご実家はご兄弟が継いでいらっしゃるため)

いかにもな供花をお届けしても、お仏壇などがない場合、置き場所に
困られるだろうなあと思うので、華美にならないアレンジメントを贈り、
お母さまへのお悔やみのお手紙を送るといったようにしています。
リアルタイムでお知らせを受けたときはお香典を包むこともありますが、
時間がたってのお知らせはどっちがいいのかなと迷ったり。

大学時代の友人たちとのお付き合いはかなり密度が濃くて、ご両親とも
お付き合いがあったので、卒業してこれほど時間がたっていても、
私自身もお母さま、お父さまとの思い出もあって、何かしらの思いは
お伝えできればと思います。

午後の空。


友人たちのお母さま方は娘たちが、私に大変、お世話になっていたので(笑)、
申し訳なく思ってくださって、貢物をいただいていました。
私が買えない牛肉とか、お米とか、食器とか。
私の家で頻繁にご飯を食べさせていましたから、さすがに大学3年あたり
から、私に食費を集っている状態であることを気にかけてくださる
お母さまが出現したのです。

私は突如、貢物が来たときは「どうして?」と不思議だったのですが
(それまで長く友達に食事をごちそうし続けていたけれど、お礼はないのが
当然だと思っていました)、一宿一飯の恩義なのだと気がつきました。
一番の親友Aが私のアパートの鍵のコピーをみんなに渡して、出入りが
自由になっていたので、泊まりたい放題で、ご飯も食べていることに、
「ご迷惑をかけているのでは?」とお気遣いいただいたようでした。

特に気にかけてくださったのが、親友Bのお母さま。お米のほかの
食器はBのお母さまが何度もくださるので、さすがにBが「ママ(私の
こと)にあげるのはかまわないんだけど、私が結婚するときには残って
いるのかしら?」と不安そうでした(笑)

Bのおうちにも行って泊まるようにすすめてくださることもよくあり、
何度か逆に泊まりに行ってごちそうしていただいたことがありました。
ただ、お母さまには「挨拶禁止」という、不思議なルールがありました。
Bのお母さまは超がつくお嬢さま育ち。ご姉妹ひとりひとりに乳母がついて
いて、目黒の柿の木坂の豪邸にお住まいだったとか。
超箱入り娘だったお母さまは、人と会話するのが苦手なので、
「挨拶はしないでいい。気を遣わないで」とのことだったようです。

2階のBの部屋で過ごしていると、部屋の外に音がして、ケーキと紅茶
などが置かれているいるという。今、思い出すと、引きこもりの子供への
接触なしの食事提供スタイルみたいなことがなされていました。

振り返ると、友人たちはみんな恵まれた環境にいましたが、そのお母さま
たちは、超がつくお嬢さま育ちだったという、レアケース。
Aのお母さまのご実家にはうかがったことがありますが、日本庭園が
どこまで広がっているか、目視では確認できないほどの豪邸でしたし、
Cのお母さまのご実家はお茶室がある豪邸で、Cはそのお庭で誘拐され
そうになったというお話でした。

Bのお母さまのご実家はそのときは、お祖父さまが大企業の会長職を
引退されてから、豪邸を建て直されてコンパクトになっていましたが、
泊りにうかがったときは、高級牛肉がこれでもかっというほど、
出て来て驚きました。Dのお母さま宅も豪邸でしたし…って、よく
考えてみると、友達の自宅はもちろんのこと、お母さまのご実家にまで
遊びに行っていた私って、これもまた、レアな体験だったかもしれません。

そして、そんなお嬢なお母さまたちを思い出すときに、当時は学歴社会
そのものだったんだなあと、妙に感心します。何しろ、結婚相手(つまり、
友人たちのお父さまたち)は、全員、T大やK大などの難関国立大学出身者で、
どなたでも知っている大企業の重役や開業医など。絵に描いたような
出世コースを歩いている方ばかりだったのです。

そう考えると、何か「あえて」似たような環境の人たちが集まったように
感じますが、たまたま友達になって、特に親しくなっただけなのです。
私は特に首都圏の出身でもない上に、地方のサラリーマンの娘ですから、
彼女たちとの環境の差は歴然でしたが、日本列島のはしっこから東京の
大学に進学しているというだけで、由緒正しいお家柄出身の
お嬢さまという間違ったイメージがあったのには驚きでした。

そして、似非お嬢の私は、Bのお祖母さまから、お見合いのお話をいただいた
ことがありました。私がお祖母さまのお宅に遊びに行って、高級牛肉の
すき焼きをご馳走していただいたあと、片づけをさせていただいたのですが、
何ひとつ、洗い物などした形跡が残らないほどの完璧な片づけ方をしていた
ことにお祖母さまが感動なさって、お祖父さまの会社のエリートの方と、
「どうかしら?」というお話だったようです(笑)

まだ、大学生の身分で結婚は考えもしていなかったので、お断りをさせて
いただきましたが、勉強ではなく、家のことばかりやって来た私は、
結構によい花嫁修業をしていたということに気がついたのでした。
私の父は学歴第一主義で、大学進学は当然と考えてくれましたが、
「女に学歴はいらん」という考え方も主流な時代で、特に東京の大学に
進学させるのは「無駄」ということもよく言われたものです。
そういう考え方の親元にいたら、逆に勉強をしたくなったのかしら。

よる空。

おかあさま、お世話になりました。ありがとうございました。


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