平成31年(2019)に武田信虎公による躑躅が崎への館移転と、国の首都となる
甲斐府中を開いて500年という節目から、ここ数年ずっと歴史的な節目続きでありまして
今年は、信虎公没後450年、そして、江戸時代の大名柳澤家が
大和郡山に移封して300年の節目となっています。
柳澤家についてご存じの方がどのくらいいらっしゃるかわかりませんので、少々ご紹介を。
柳澤家は、武田遺臣の家柄で、武田氏滅亡後に徳川家に仕え、柳澤吉保が家督を継いだ
頃は、館林藩(群馬県)の当時藩主だった徳川綱吉の小姓組として仕えていました。
綱吉が五代将軍となると、幕臣として江戸に入り、将軍の側用人として幕政中枢で活躍し。
その功により先祖の地である甲斐国を賜る大大名にまで出世しました。
数値で示すと、石高530石の身分から石高約15万石(実高は22万石)という異例の出世でした。
吉保が将軍から幕政を任されていた頃は、赤穂浪士事件や水戸黄門などの時代劇で
どちらかというと悪役に描かれる場面が多かったこともあり、実績に比べ
評価が低くなっている状況があります。
実際には、礼節を重んじ、学問にも精通した賢明な人物だったことが明らかにされていますし、
武田を語る上でも様々な政策を打ち出した人物でもあります。
そして、その息子の吉里も父に似て学問好きだったようで、書画など優れた作品も
遺しています。
何より、江戸時代で唯一甲府城に入場したお殿様で、
その時、甲府のまちが最も繁栄したようです。
300年前に急な上意で国替えが決まったわけですが、その縁で現在、甲府市と
大和郡山市は姉妹都市を提携していまして、大和郡山市では様々な歴史的イベントが
計画されているわけです。
甲府側では、信玄ミュージアムで武田遺臣、さらにさかのぼると、信玄公と同じ甲斐源氏
という家柄ですので、その部分も含め、今回企画展でクローズアップしていきます。
そうそう、館跡北に位置する下積翠寺町内の興因寺様では、この時期あじさいが
咲き誇っております。
ここには、柳澤家の家老を務めた柳沢権太夫保格夫妻のお墓もあります。
そして、館跡東の大手外曲輪の堀にある蓮は、もう間もなくの開花予想です。
つぼみが多数確認できましたので、早ければ来週からきれいな蓮の花が楽しめると
思いますよ。