信玄公の下で活躍した軍配者、山本菅助。
その軍配の術はどのようなものだったのでしょう。
甲州流軍学の書「甲陽軍鑑」によれば、菅助のそれは、陰陽五行説と仏・菩薩の神通力、
そして人間などが発散する気を見極め、判断するものだったようです。
その目指すところは、合戦の日時、方向、敵味方の調子などを見極め、勝ちに導けるよう努めること。
まず、陰陽五行説は、自然界に存在するものは、「陰」と「陽」相対する性質を持っているという理論と、
自然界は「木」「火」「土」「金」「水」の5つの要素で構成され、
それぞれが巡り、お互いに影響を与え合っているという理論が合わさったもの。
「甲陽軍鑑」によれば、菅助は陰陽五行説を元に、
東西南北の4方向には、天地がもたらす声(?)と、
例えば、東に対応する万物の構成要素は「木」、といったように、対応する構成要素があり、
さらに、「水」は「火」を消すなど、要素同士が争って相手を抑え弱めたり、反対に、協力して相手を補い強めたりもする。
人もまた、こうしたものの影響を受け、支配されているから、これが分かれば天災、盛衰、勝敗なども判断できる、と。
その他、軍勢を率いる総大将の「姓」や、季節も考慮したようで、
「陰陽五行説」から日取りなどを占うのも、なかなか複雑な手順を踏んでいたことが想像されます。
また、仏教には、仏や菩薩は6種類の神通力をそなえているという考えがあり、
どうやら菅助は、6つの神通力に通じる6つの理論「六通」も参考にしていたようです。
見方によっては、「六通」は自然の摂理って、こういうことだよね、という印象。
「天の告げるところ」や、「生あるものの心」、「物事の成就」や、その「栄枯」「盛衰」を知り、
「天地の気を見てすべての段階を悟る」・・・といった感じで。
さらにこの理論は、おそらく仏教の影響も色濃く、展開されていったと考えられるのですが、、
残念ながら、はっきりしたことがわかっていません。
人間などが発散するエネルギーが形となった、雲気や煙気なども大切な判断材料でした。
気を見るにふさわしい時間帯は、朝8時ごろとされ、
大将自ら、城や陣地から500mから1kmほど離れた場所に忍び(!)出て、
敵味方、双方の上空を眺め、気と城の様子を観察。
雲気、煙気は宮(きう)、商(しやう)、角(かく)、徴(ち)、羽(う)の5つに分類され、
この形によって、軍神の降臨、守護のあるなし、大将や軍勢の気などを推測し、
当時、3つの軍鳥と考えられた烏、鳶、鳩が飛んでいれば、それも参考にして、
結果として、どうすれば落城させることができるかを判断したようです。
小和田哲男「甲陽軍艦入門 武田軍団強さの秘密」より
菅助は「九字」も切っており、軍配術のエッセンスはこれだけではないかもしれませんが・・・、
自然界の構成要素はともかく、仏・菩薩の神通力や気を見て云々というのは、ともすればスピリチュアル。
でも、現代も、科学と精神世界は表裏一体な側面を持つことを考えると、
菅助は、わたしたちが想像する以上に「理系」で、
その軍配も、自然科学的に理に適ったものと評価されていた(!?)のかもしれません。
武田家家中において「知者」「知識」と尊敬を集めた菅助ですが、そこに至るまでは、偏見あり、嫉妬あり。
けれども、関東から西日本にかけて諸国を遍歴、会得したという兵法、築城などを、まさに現場で発揮。
菅助が足軽大将となるきっかけ、天文15年(1546)のいわゆる「戸石崩れ」で、
武田軍の大ピンチを救った「摩利支天」の如くの働きに至り、家中の信頼を勝ちえます・・・。
いまだ謎に包まれつつも、その軍配に興味は尽きません・・・!
3月もあっという間に終わり、明日から4月。
令和5年に訪れる信玄公没後450年に向けて、また新たな1年が始まります。
その夏には、山本菅助メインの企画展を計画していますのでご期待ください。
まずは、明日4月1日から善光寺御開帳を応援する企画展
「甲斐国領主と善光寺」が始まります。
ぜひ、花見をしながらお立ち寄りください。