ゴールデンウィークに入ります。特別展も「信玄公の姿」始まります。

2021-04-30 11:02:21 | イベント
以前、告知をしました、通年開催の信玄公生誕500年記念特別展
「遺産から語る武田信玄」
5月から新しいテーマで展示を行います。

テーマ2「信玄公の姿」
期 間:令和3年5月1日(土)~6月21日(月)毎週火曜休館
    前期展示:5月1日(土)~5月31日(月)まで
    後期展示:6月2日(水)~6月21日(月)まで
   ※施設の開館につきまして
    連休中の5月4日(火)・5日(水)は、通常どおり開館いたします。
   (最終入館16時30分)
    振り替えで6日(木)が休館日となりますので、ご注意ください。 

1日からの前期展示は、甲府市大泉寺で所蔵されています、寺宝の「武田信玄像」です。
狩野探信作で、制作年もわかる絵画になります。
このたび、大泉寺のご住職さまのご厚意で公開となりました。
武田信玄の画像は数多くありますが、この絵画は、晩年の法師武者姿の信玄を丁寧に描いた作品です。
普段は非公開となっている資料ですので、短い期間ですが、この機会にぜひご覧ください。
なお、後期展示は、山梨県立博物館所蔵の「武田信玄画像」をお借りする予定です。

新型コロナウイルス感染再拡大を受けて、一部地域には緊急事態宣言も発令されました。
該当する地域の方には申し訳ございませんが、宣言下でのご来館はお控えいただくよう、お願い申し上げます。
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ゴールデンウイークに、武田氏館跡の散策👟はいかがですか。

2021-04-29 13:20:18 | 紹介
今年のゴールデンウイークは、最大11日!
けれども、ある全国調査でGWの過ごし方を聞いたところ、
76%の方が「自宅で過ごす」と回答したとか。
複数回答ができるアンケートなので、
76%の全員が、「GW中、ずぅっと自宅にこもりっきり!」の予定ではないはずですが、
そういう気持ち、「その方がいいよね・・」ということなんだと思います。

再び、一部の地域で非常事態宣言が発出されましたが、
「でも、ずっと巣ごもりもナンだよね!?」ということでしょうか。
「近所の公園や神社へ」と回答した方は、
去年2020年(12%)よりもポイントを上げ、19%までアップ。

確かに、緑豊かな公園、お寺や神社を歩くのには楽しい季節。
バラに加え、そろそろアヤメ(菖蒲)や藤、ハナミズキなどがきれいです。
ツツジが街路などを飾る光景も、気持ちを華やかにしてくれるかも。
旧暦で言えば、5月はサ(=田植え)ツキ、または皐月(さつき)ですが、
花のサツキもツツジ科で、共に咲き誇るのもこの時分。


当館、信玄ミュージアムがご紹介する武田氏館跡も、
かつては躑躅が崎館(つつじがさきやかた)と呼ばれていました。
信玄公の父・信虎公の下で築かれた館ですが、そう呼ばれるようになった所以は、
館の東側に、躑躅が美しく咲く崎=山のでっぱりがあったから・・のようです。

写真の真ん中が、躑躅が崎

当館の旧堀田古城園のお庭のツツジも咲き始めました。

ヒメウツギ(左)にシラン(右)も。
それぞれは小ぶりですが、そういう可憐さが、和風建築には似合います。

武田神社のご祭神は信玄公ということもあり、得意分野はやっぱり「勝運」!
それだけでなく、戦国大名の居館の遺構が残される国史跡です。
武田神社と目と鼻の先、信玄ミュージアムにも、お散歩がてらお立ち寄りください。
「館跡」という、ちょっと違うアプローチで、信玄公や武田氏を再発見することができるかもしれません。
武田氏館跡の御城印、春の限定版(通常サイズ)は、5月も配布しております。


ご来館、お待ちしております💕
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【信玄公生誕500年歴史情報】上原城(うえはらじょう)の鍬立(くわたて)

2021-04-26 13:09:01 | イベント
天文10年(1541)に父・信虎を追放した信玄は、翌年から信濃侵攻を本格的に開始します。
諏訪地方を領有していた諏訪氏の居城「上原城」(長野県茅野市)は、
諏訪氏陥落後の天文12年(1543)、武田氏に接収され、大改修されます。
(『甲陽日記(高白斎記)』に5月25日に行われた「鍬立」の模様が伝えられています。)
「鍬立」とは、今日の地鎮祭、起工式の鍬入れなどに該当します。
鍬立の後は普請(土木工事や建設工事)が施され、
建築では立柱式、上棟式などの儀礼が行われました。
いわゆる御建前(おたてまえ)のお祝いです。
 城や館の建設に伴って行われた一連のセレモニーは、
工事の安全と竣工の無事を土地の神々などに祈願する呪術的な築城儀礼といえます。
信虎によって甲府が開創された時も「鍬立」は執り行われていることからも、
「鍬立」は武田氏にとって重要な行事のひとつであったと考えられます。   
(上原城の石碑)
                                                                                          
※『甲陽日記(高白斎記)』
古くから「武田氏研究の重要なる資料の一なり」と言われています。
信虎の誕生(1498年)から義信(信玄長男)の名乗りの御祝儀(1553年)まで、
武田家55年間の日記です。「武田氏の全盛とも称すべき期間の珍重すべき文献也」。
武田家重臣・駒井高白斎(こまいこうはくさい)が記録しました。

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神さまの〇り〇+武者絵=かなかんぶつ!?

2021-04-25 11:40:40 | 紹介
甲州ならではの端午の節句人形「かなかんぶつ」、
ただいま、信玄ミュージアム内、旧堀田古城園でご覧いただいております。

でも、この「かなかんぶつ」、
単に男の子の成長を祝い願ったもの・・でもなさそうなんです。


端午の節句は、言わずと知れた「こどもの日」、国民の祝日です。
この節句行事だけでなく、数々の伝統行事が、それぞれの変遷をたどって今日に至っていますが・・・

「節句」は、古代中国より日本に取り入れられた暦です。
季節の節目を示す「節句」は、宮中で年中行事が行われる日となり、
その後、江戸幕府に引き継がれ、祝日と定められます。
さらに、その土地その土地で行われていた行事と習合して・・。

しかし、古代中国で、5月は本来、歴史的にも天災や戦乱の重なった「悪月」。
日本でも、このころは水害が起こりやすくなったり、ものが傷みやすくなったり、
体調も崩しやすい要注意(!)な時期と・・言えなくもありません。
「悪月」対策として、中国ではよもぎや菖蒲などで邪気を祓う習慣が生まれます。
よもぎは豊かな薬効のみならず、その独特な香りは害虫や雑菌予防にも。
菖蒲は、葉が刀に似ていることに加え、芳香もさわやかであるため、邪気を祓う花として考えられました。

日本では、鎌倉時代以降、菖蒲は男の子の体を守る兜や刀に見立てられ、
加えて、菖蒲は「尚武」(武の道を重んずる)と連想されて、
次第次第に、端午の節句は男の子の節句へと変化していったようです。

一方、日本において、5月は田植えが行われる大切な時。

古来より、田植えは神事であり、
若い女性が田の神さまを迎えるために身を禊め、農耕の神に豊穣を祈りました。
若い女性に限らず、田植えの前はお祓いをしたり、穢れを避けるべく、忌み籠りが行われ、
その時、幟(のぼり)や人形が、忌み籠り中の家の目印や、
または神さまを招いて宿らせる依り代として立てられたと言います。

「かなかんぶつ」は、こうした田の神さまの依り代に、当時流行の武者絵が取り入れられて、
端午の節句飾りに変化したものではないかと推測されています。
その形、人の代わりに罪穢れを受ける人形代(ひとかたしろ)のようにも、
幟のようにも・・・見えませんか!?

甲州では、かなりの流行をみせた「かなかんぶつ」。
しかし、明治の文明開化の流れの中、日本の民俗的な行事の簡素化や廃止が進み、
また、交通網が発達することで、都市の影響も日に日に大きくなったのでしょう。
山梨でも、節句飾りが外飾りから内飾りに変わり・・・、
甲州ならではのお飾りはいつしか姿を消してしまいます。

こちらを参考にさせていただきました!
山梨県立博物館企画展「消えた「おかぶと」」
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ただいま展示中!甲斐の節句人形「かなかんぶつ」

2021-04-23 18:16:32 | 紹介
4月も後半突入。そろそろGWも気になります。
祝日の続くGWですが、最終日を飾る(!?)のは「こどもの日」、男の子の初節句です。

信玄ミュージアム内、旧堀田古城園でも、
甲州ならではの節句人形、「かなかんぶつ」をご覧いただいております。

旧堀田古城園 主屋の南の和室にて。
右がご寄付いただいた「かなかんぶつ」、左は復元したもの。

何だかテンポの良い「かなかんぶつ」という呼び名は、
「金兜」(かねかぶと)、「紙冠物」(かみかんぶつ)、
「紙の兜」(かみのかぶと)などを甲州流に発音したものとか!?


ベビーしんげん? なんともかわいいお顔です。
写真の「かなかんぶつ」のように、信玄公など、名だたる武者をモデルにしたものや、
般若や天狗、役者ものもあったとか。

「かなかんぶつ」は、男の子の初節句を祝うときの贈答品であり、
男の子の成長を願い、またその家の景気の良さを示すものとして、人目につく縁側に飾られました。
ずらりと飾られた色とりどりの「かなかんぶつ」。
さぞかし、にぎやかで楽しい光景だったに違いありません。

江戸後期から明治中頃まで、甲州やその周辺地域で「かなかんぶつ」はとても流行ったようで、
製造販売を巡り、問屋さんの間で訴訟が起きるほど💦だったとか。

・・・甲州独自の端午の節句の外飾り「かなかんぶつ」のお話し、あともう少し続きます。
お付き合いいただければ幸いです🙇

よろしければ、こちらもご覧ください。

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