3月5日は、武田信虎公の命日です。

2022-03-05 09:10:05 | 紹介
信虎公は、明応7年(1498)に誕生(※従来は明応3年)し、
天正2年(1574)3月5日に信濃国高遠で78歳の生涯を閉じました。
『甲陽軍鑑』など、信玄公の正統性と偉大さを強調するために、
追放された信虎公の評価は著しく落とされてしまい、今でも払拭しきれずにいます。
現在の県都甲府を誕生させた生みの親ともいうべき存在ですので、
令和元年(2019)の開府500年では、改めて再評価も進みましたが、
江戸時代の情報操作によって形成された武田信虎像を変えるまでには至らずです。
追放の際は、内乱は起こっていませんし、みな信玄公を新たな当主として担いでいますし、
甲斐国内の万民が喜んだ、という趣旨の記録もありますので、当時の社会情勢など
からも、信虎公には皆不満を抱いていたことは間違いないようです。

とはいえ、現在の山梨県の県庁所在地が甲府市となった起源は、躑躅が崎への
館の移転と、新たな甲斐府中の建設ですので、まさに信虎公最大の業績です。
2019年の開府500年の記念に甲府駅北口の広場に造立された信虎公の像
駅南口の信玄公とともに、南北で甲府駅を挟んでいますが、いずれ勝頼公の
像も建てられて、武田三代が揃う日が来るのか・・・。

歴史にもしも、はありませんが、信虎公に力がなければ、信玄公が誕生する以前に
守護武田宗家は滅亡していたでしょうし、甲斐国は、他国の領地となっていた可能性
もあります。
その意味でも、これから時間はかかるでしょうけれども、少しでも名誉回復が
なされるのではないかと、期待するところです。

その信虎公のご命日に合わせて、再びご来館記念の御城印も信虎公の虎朱印版
を配布の予定でしたが、残念ながら、今週末も臨時休館が続いています。
まもなく、3月11日には勝頼公の命日まで来てしまうので、この先、果たして
どうしようかと悩ましい今日このごろです。
とはいえ、信虎公・勝頼公の御城印もいつも短い期間での配布ですので、
お持ちになっていらっしゃらない方も多いはず。
再開が決まりましたら、何らかの形で今回の休館期間分の補填をしたいと
思いますので、もうしばらくお待ちいただきたいと思います。

誠に申し訳ございませんが、何卒ご理解ください。


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