旧堀田古城園では、5月の準備が始まりました

2022-04-15 14:18:08 | 紹介
時の流れの早さに驚いております(゜o゜;
早、卯の花月、4月後半。・・そうなると頭をかすめるのはGW、でしょうか!?

信玄ミュージアム内の旧堀田古城園の庭では、その準備とばかりに、
初夏を思わせる陽射しも、雨も、すべてを糧にして✨若葉は芽吹き、つぼみも膨らみ始めました。

ちょっとご紹介させていただきますと・・・
こちらはアセビ。「馬酔木」と書いてアセビです。
馬が葉を食べると、その毒で酔っ払ったようにふらふらするから、だそうです。
ちなみに、アセビの花言葉は「献身」。

そうなると、こちら、ひし形のお茶室そばのヒメウツギの花言葉も気になります。
幹の中が空洞になっているヒメウツギの花言葉はなんでしょう。
ヒントは「空洞」( ̄ー ̄)ニヤリ
答えは「秘密」、「秘めた恋」❤

昭和初期に開業した料亭旅館、旧堀田古城園。そして庭を彩る植木。
天候や土との相性、寿命などで、植木にも建物同様、それなりの変遷があったと思いますが、
およそ90年の間に、入れかわり立ちかわりしつつも、和風に、他の木々と和せる植木がちゃんと選ばれてます。

小さなかわいいツツジは早速咲き始めました。
信玄公のお暮らしになった館も「躑躅が崎館」です。
ツツジの花言葉は「節度」「慎み」で、
赤いツツジは「恋の喜び」、白は「初恋」だそうです。

せっかくなので、旧堀田古城園の庭に咲く花々の花言葉を一部ご紹介・・・
(ご注意)下の写真は去年のもの。コムラサキ以下の花の開花は、もう少しお待ちください🙇

コムラサキ「気品」「知性」「聡明」

コアジサイ「忍耐強い愛」

オトコヨウゾメ「委ねられた想い」

シュウメイギク「薄れゆく愛」「淡い思い」

キンモクセイ「謙虚」「気高い人」など

ザクロの花「成熟した美しさ」、実は「結合」「愚かしさ」、木は「互いを思う」

花言葉は17世紀頃、オスマン帝国のイスタンブールで生まれ、その後、ヨーロッパ全土、そしてアメリカへ。
日本に花言葉が紹介されたのは19世紀末の明治初期。
当初は、欧米の花言葉をそのまま用いていたようですが、
次第に日本の風習や歴史に合わせ独自の花言葉を当てはめていったとか。
一つの花に複数の花言葉があったり、ザクロの実のように「結合」と「愚かしさ」といった、
少々かけ離れたイメージが混在しているのも、どうやらそのため。
花を目にして、どんな印象、イメージを持つかは、私たち一人ひとり違うもの。
そんなイメージを重ね合わせながら、庭をのんびり歩くのも、時には楽しいかもしれません。

シランの花言葉は「あなたを忘れない」「変わらぬ愛」
咲き始めたシランの奥に、垂れ幕のようなものが見えますか?
次回は、5月ならではのお飾りをご紹介したいと思います。

武田神社にご参拝の折には、信玄ミュージアムにもぜひお越しください。
武田神社の「勝負に勝つ」というご利益の裏付けとなった、
信玄公のこと、武田氏や家臣団が暮らした土地の歴史などをご紹介しております。
皆さまのご来館を、スタッフ一同、お待ちしております🙇
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桜散り、新緑深まる。

2022-04-13 12:47:16 | 紹介
信玄ミュージアム周辺もすっかり新緑に覆われ、
旧堀田古城園の庭木も若葉が芽吹いてきました。
樹齢120年以上のザクロの木も、今年も元気に新芽が出ました。

ここ数日は、初夏のような暑さ、は大げさかもしれませんが、
最高気温28度、29度と汗ばむ陽気になっています。
異常気象で心配になります。
それも今日までで一段落しそうなので、気温の寒暖差で体調を崩さないよう
皆さまもお気をつけ下さい。

写真のこの子は新顔さんです。
急な暑さに耐えかねて涼しい灯籠の下で休んでいたのかな?

そう言えば、先月から旧堀田古城園でくつろぐ猫たちの姿が
一日を通して見られなくなりました。
閉館後の静かになった施設に現れるニャンニャンパトロール隊員も
姿を消してしまい、何かあったのでは、と心配です。

昨日12日は、信玄公のご命日で、菩提寺であります甲州市恵林寺でも
450回忌の法要が催されたようです。
いよいよ没後450年までカウントダウンが始まりました。
企画展も開催中ですが、この先、年間の中で様々な催し物も予定していますので、
引き続き、よろしくお願いいたします。

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4月12日といえば~刻まれた記憶!?

2022-04-11 14:14:33 | 紹介
明日4月12日は、信玄公のご命日です。
この時期は、「信玄公祭り」を中心に甲府がにぎわう時、なのですが、
残念ながら、今年も感染症の拡大状況を考慮し、
信玄公祭りは今秋への延期、「武田二十四将騎馬行列」は中止が決まりました。
武田神社では神輿の行列など一部祭礼を簡略化し、神事は挙行される予定です。
こんな時だからこそのお祭りだけど、こんな時だからできないお祭り。
むずかしいですね。
諸々の行事が中止や縮小で、信玄ミュージアムも定休の火曜に重なってしまい、
休館とさせていただきます。

さて、「信玄公祭り」は、川中島合戦の出陣の様子を再現した、
「侍の最大集合記録」でギネス世界記録にも認定されたお祭り。

その前身は、第二次世界大戦後、舞鶴城(=甲府城)公園で行われるようになった春物セールの「桜祭り」。
それが、昭和30年代に入り、笹子トンネルと中央自動車道開通あたりから、
山梨を象徴する存在としての信玄公に新たな注目が集まり始め、
昭和44年(1969)、甲府駅南口に陣取る「信玄公之像」が完成し、武田二十四将騎馬行列がメインイベントに。
翌年には現在の「信玄公祭り・甲州軍団出陣」となります。

桜が彩る春のお祭りは、新年度のスタートを心地よく飾ってくれます。
でも、甲斐国の人たちのDNAには「4月と言えば、信玄公のご命日」という記憶も刻まれているのかもしれません。

信玄公と土地の人たちとの切っても切れないご縁。
菩提寺である恵林寺(甲州市)では、100回忌、133回忌と節目節目の法要が執り行われてきましたし、
長らく国内で使用されてきた「甲州枡」が廃止の危機を免れた時も、
これはもう、やっぱりお館さまのおかげ(!)と感謝の思いの先は信玄公へ。
「信玄公祭礼」が強く強く望まれて再興されました。
嘉永3年(1850)のある記録によれば、
ご命日の4月12日、信虎公の菩提寺でもある大泉寺(甲府市)では武田三代の木造が開帳され、
参詣者は少しでも近くで拝もうと押しに押し、商人見世物までもお寺に群がったとか。
大正時代に記された「御祭礼及縁日」という記録にも、甲府では東は恵林寺(甲州市)、西は大泉寺に人々が参詣し、
武田浪人(!?)たちなどは前の晩から寺に集まり、翌朝早々にお香典をお供えし、特別なお札をGET!
弓馬剣槍の試合も執り行ったとか。

ご祭礼のありようは、時代によりけり。時々途切れることもあるかもしれないけれど・・・。
これからも「4月12日といえば〜」と、受け継がれていくのでしょうね。

こんなところにも信玄公!
かつての5月の節句人形「かなかんぶつ」にも信玄公を模したものが。
信玄ミュージアムの旧堀田古城園で展示中です。
ぜひご覧にいらしてください。
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企画展の舞台裏

2022-04-10 09:51:39 | イベント
現在、企画展「甲斐国領主と善光寺」を開催中。
全国の博物館などでも、年間で何度か特別展、企画展を開催していますが、
学芸員の皆さんは、テーマや資料の選定に知恵を絞られていると思います。
テーマが先か、資料が先か、あるいは予算はあるかなど、
決める上での様々な条件があると思うのですが、
今回は、先に資料が決まってから後付でテーマを設定しました。

当館の場合、どうしても信玄ミュージアムの名のもとに、関連するテーマが限られて
しまうため、展示の幅自体に大きな制約が出てしまいます。
そうした中、今回の展示は、いろいろな意味で幅のある内容になる予定です。
これまでと違う点は2つ。
ひとつ目は、時代幅。武田氏以外にも甲斐を治めた領主に関わる資料が多数。
ふたつ目は、寺院がテーマ。善光寺というお寺さんが企画展の中心であること。


※写真は、御開帳前の信濃善光寺

企画展開催までの舞台裏を明かすと、
昨年、令和5年4月12日に信玄公が亡くなられて450年の節目となることから、
1年前の企画展をどうしようか悩んでいました。
そんな折、昨年長野市立博物館で開催されました、
「THE EXPO 善光寺2021 甲信越戦国物語」で、善光寺大本願様が所蔵する
栗田家文書を目にする機会がありました。

それは、善光寺が信玄公によって甲斐へ移転した後、徳川の世が訪れるまで
甲斐国を治めた領主たち、武田・徳川・羽柴・加藤・浅野の5大名家が
善光寺を支配した栗田氏に出した書状群でした。
その中で武田家の書状は、山県昌景が奉じた信玄公の朱印状と
勝頼公の花押のある判物の2点がありました。
一堂に並べられた姿は圧巻でした。

折しも令和4年4月から御開帳も開催予定でしたので、
この古文書群を借用させていただき、当館でも企画展ができないかと考えました。
残念ながら、当館では貴重資料を多数並べるスペースや設備もないため、
分割でも展示できればと、思い切って大本願様にご相談しました。
すると、快く内諾をいただくことができまして、今回の企画展の目途が立ちました。

展示の核となる資料が決まったところで、次に内容の検討です。
借用させていただく期間と、一度に展示できるボリュームを考慮し、
全体を3つの時代構成に分割することにしました。
さらに、古文書だけでは見た目に難しい展示になってしまうため、
テーマに合った絵画資料などを数点添える形で
今回の企画展を構成することにしました。

そして、栗田家文書は、長野市の善光寺大本願様が所蔵されている資料とはいえ、
内容は、甲斐善光寺様関連でしたので、その協力をいただくことでした。
せっかくの機会なので、なぜ甲府にも善光寺があるのか、
その歴史をもっと知っていただきたい、という思いと、
信玄ミュージアム経由で信濃善光寺、そして、甲斐善光寺と
御開帳の参拝に行っていただければ、という思いもありました。
そんな思いで甲府の甲斐善光寺様にもご協力いただけないかご相談し、
この展示に合わせて貴重な資料を快く借用させていただくことになりました。
こうして、企画展開催にこぎつけた、というところです。

今回のような企画展は、文化財所有者の方のご理解とご協力があってこそ
開催ができますので、この場を借りて、心より感謝を申し上げます。
こんなことを考えながら開催していますので、ぜひ一度ご来館の上、
展示をご覧いただき、そして、各地の善光寺様へ参拝し、7年に1度拝すことができる
阿弥陀如来様と回向柱を通じてご縁を結んでくださいませ。
写真は、甲斐善光寺御開帳中
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山梨の春、桃色の絨毯

2022-04-08 19:01:58 | イベント
4月も半ばにさしかかり、信玄ミュージアム周辺の並木の桜の花も
さすがに散ってしまい、今は葉桜になりつつあります。
そんな甲府の状況ですが、盆地内をぐるっと見渡しますと、まだまだピンク色が
目立つ景色が広がっています。
そう、山梨県は桃の生産量日本一と言われていまして、
この時期、桜の花より少し遅れて桃の花が満開を迎えます。
甲府盆地の南側から甲府方面を撮影。
ここも桃・桃・桃畑
この時期、甲府盆地を囲む山裾では、
あちらこちらで桃の花が車を走られると見られます。
もちろん、甲府へ向かう電車の車窓からも楽しめます。
まさに桃源郷と言ったところですが、年々面積は減少しているようです。
20年ほど前は、もっと広く、鮮やかな桃色の絨毯が甲府盆地を覆っていたのですが、
農家さんの跡継ぎ問題やら、天災による廃業やら、
いろいろと果樹栽培を取り巻く環境も厳しいようで、春の風物詩も縮小傾向です。

撮影している間にも農家さんが美味しい桃を育てるため、
適度な量にするための花摘み作業をしていましたから、景色を楽しむのが先か、
農家さんの摘果作業が早いか、勝負です。
今週日曜くらいまではギリギリ、
花が散る、あるいは摘花で花が減る前の桃色の景色が楽しめますよ。
山梨にぜひ、お出かけいただき、車窓からの花を楽しみながら信玄ミュージアムへ
お越しください。
配布中の春限定御城印も薄ピンク仕様です。
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