
冒頭画像は、横浜山手のフランス山の広場。
ここは大好きな「港の見える丘公園」から地続きになっている。
ベイブリッジが一望できるのも爽快で、
毎年、母と一緒に薔薇を愛でに出かける公園だ。

その奧がフランス山、
この一角に、ブロンズ像がある。
二人の幼子を母親が優しく抱きしめる「愛の母子像」だ。

わたしは通りがかると、必ず手を合わせているが・・・
このいわれを知る人は、もはや少ないのだろう。
足を止める人は、ほとんど見かけない。
皆さんは、以下の事故を覚えていらっしゃるだろうか。
1977(昭和52)年9月27日午後1時過ぎ。
神奈川県内の厚木基地を飛びたった直後の、
ファントム戦闘偵察機RF-4Bが火炎を吹き出し、
轟音をあげながら飛行を続けた結果、住宅地に墜落した。
横浜市緑区(現青葉区)荏田(エダ)町の住宅街だった。
付近は、一瞬にしてジェット燃料が燃え上がり火の海に。
炎の中から、二人の幼児を含む9人が助け出され、
病院へ運ばれた。
「3歳の裕一郎君」と「1歳の康宏ちゃん」は、苦しみ、もがき、
ベッドにくくりつけられていた。
必死に「水を頂戴」と声をあげるが、医師は禁じていた。
結果、水を飲むことすらかなわず、翌朝、息を引き取った。
「パパ・ママ・バイバイ」と、うわごとを残し、
「ポッ・ポッ・ポ」の歌を静かに歌い、兄弟、相次いで・・・
26歳だった母・和枝さんも全身8割に及ぶ火傷を負い、
別の病院へ運ばれていた。
何度も皮膚移植手術を受けたものの危篤状態が続く。
一年後、治療の甲斐あって、命の危機は脱したが・・・
我が子二人が、亡くなっていたことを知らされないままだった。
病状悪化を危惧し、伏せられていたのだ。
事故から4年4ヶ月後。
病室で真実が伝えられる。
病室の外では、医師と看護師が待機していたという。
その後、和枝さんは息子二人の遺骨と対面、
当初は、「二人の分まで生きる」と日記に綴り、
厳しい治療に向き合い続けた。
やがて和枝さんの心のケアが求められ、
精神科診療科目しかない国立武蔵診療所へ転院させられる。
「37日後、医師の手によって呼吸の補助具が外され」
「4日後の82年1月26日、2人の愛児がいる世に旅立った」という。
和枝さんの父親・土志田勇さんは、二人の孫と娘を亡くし、
「惨事を繰り返させないための願いを込めて公の土地に
『母子像』を建立することを求め」た。
さまざまな難題を超え、ようやく完成したのが
フランス山、広場の「愛の母子像」だ。
この事故は、
後にアニメ化もされた早乙女勝元の絵本「パパママバイバイ」や
ドラマなどで、ご記憶の方もいらっしゃるかもしれない。
わたしは事故当時10代、
同じ横浜市内の事故だからだけではなく
厚木基地の騒音は身近にあったので、
この事故は、あまりにも悲惨で恐ろしかったことを覚えている。
とはいえ事故から47年、
正直、このブロンズ像がなければ
記憶の奥に追いやられたままだったかも知れない。
幸い、毎年、薔薇を見に出かけているので、
ブロンズ像を眺めては、事故を想い出すことができている。
今年こそ、自分の整理のためにも、
拙ブログでまとめようと、図書館から資料を借り準備していた。
しかし、結局、そのまま・・・
今年も、まとめずにに終わるかと思ったのだが・・・
「2024 平和のための戦争展 in よこはま」 で、
思いがけず「愛の母子像」の展示に出会った。

お母さんの和枝さんにちなむ薔薇「カズエ バラ」が
育てられていることを初めて教えられてもいる。
だが・・・
展示で、一番衝撃を受けたのが、以下の画像だ。

キャプションをメモしなかったが、
事故現場で機体の収拾にあたるアメリカ軍の兵士の姿で
まちがいないだろう。
足下には焼け焦げた機体の一部が見えるのだが
米兵は、白い歯を見せ、おどけた表情を浮かべている。
・・・笑顔だよね?
なぜ、笑顔でいられる!?
日本人の命なんて、軽く考えていたのだろうか。
ただでさえ狭い日本、住宅が密集しているのに、
このような危険にさらされている地域が、
沖縄をはじめ、各地にある。
今、日本の空を飛ぶ米兵は、
日本人の命を尊ぶことはできるのだろうか?
あれから47年、和枝さんの年齢を、とっくに超えた今、
若くして亡くなったお母さんと、幼子を想うと
涙がとまらない。
*************
おつきあいいただき、どうもありがとうございます。
以下の資料を基にまとめましたが、
勘違いや思い違いがありましたら、
個人のブログと言うことで、どうぞお許し下さい。
◆参考
●横浜緑区(現・青葉区)米軍機墜落事故平和資料センター
「港の見える丘公園の『愛の母子像』をご存知ですか」