今まで練習はいつもヤマハのピアノ(アメリカにいた時はBaldwin)、本番はたいていSteinwayかヤマハorカワイ、場合によってはBösendorferやBechsteinという環境でした。私たちピアニストはそこにある楽器を弾くしかないので、BostonやEssexも弾きました。
ピアノの選定のお仕事も沢山させて頂きました。特に山形テルサホールの2台のSteinway Dを選定した時は相当頑張りました。これだー!というポイントを研ぎ澄ませて粘りに粘り、少々性格は違うが最良のピアノを選んだと思います。(選定員は4名でした)
と、自分ではけっこうピアノの音を知っていると思っていたのですが、昨年ふと、もっと色んなピアノの音色を知りたい!欲望がふつふつと沸き、それが自分の演奏には絶対必要だと勝手に確信したのです。今思えば、6月のDuo356コンサートがきっかけだったかも。あの時はカワイの2台だったのですが、まるで溶け合うかのような響きで、ああやはりピアノの音色のバラエティは無限だ!と思いました。そして実際に自分の手で鳴らさなければその色もわからないし、同じメーカーでも一台一台が全く違う。とにかく経験を積まなくては、とピアノを弾き比べる機会を作りました。
それがこの一月。
浜松まで勉強のために行ったはずでしたが‥‥
1923年製のハンブルク・スタインウェイ。
出会いをピピッと感じた訳ではありません。
何台ものピアノを弾いて弾いて弾いて弾いて弾いて‥
同行してもらったピアニストにも同じ曲弾いてもらって
今度は聞いて聞いて聞いて聞いて聞いて‥
また自分が弾いて弾いて弾いて弾いて弾いて‥
これを約5時間繰り返し、
このピアノがワタクシの人生の伴侶になる。
と
根拠はわかりませんが絶対の確信を得て
御契約!!
大した収入があるわけでもなく、
これからも大した収入もないのですが。
お金じゃなくて、このピアノ!
気が狂うほど嬉しかった。
そこからがまた早いのなんのって。
契約からわずか一週間で搬入。
奥にヤマハC5とG2を向かい合わせに置き、部屋の中央にSteinway。
このピアノが家で待っているかと思うと、
もう仕事先からそそくさと家に帰る新婚男のようになったワタクシ。
仕事場でも「ウチのヨメは世界中で一番可愛い」と自慢するでれでれ男さながら
もうピアノの話ばっかりで、一部の人に妬み僻みをもたらしている。
ごめんなさい。
しかし搬入後は調整必要です。なんたってこのピアノくん御年90歳、
丁寧なケアがこれから先に影響します。
そして搬入からわずか一週間で調整のための技術のOさんが浜松から来てくれた。
ピンを一本打ち直し、アクションの調整をして。
Oさんはとても丁寧で、私の要求に諦めることなく真摯に対応してくれました。
そしてOさんは仕事を終えて、ピアノに語りかけました。
「縁があってここに来たんだから、可愛がってもらいなさいね。」
まるでペットを手放す時のセリフ。Oさんのピアノへの愛情、しっかり受け止めました。
このピアノは今私のものであるけど、私以外の人、つまり1923年のハンブルクの職人さんから始まり90年の間このピアノを修復してきた人たちと弾いてきた人たち、そして日本に渡り可能な限りの技術を注いでくれた人たちの思いが沢山詰まった楽器なんですね。
大切にします。そして晴れて今日から思う存分、このパートナーと人生謳歌していきます。
あと2ヶ月にせまったピアノワールドですが、このピアノに出会ったことでなんだか「ピアノワールド」の意味がひとつ広がった気がします。