コメント欄をのぞくと・・・・・
おったまげるほどの数のコメントになっていて、言葉を失いました。
改めて、こんなにたくさんの温かい方達がれれボンを見守って下さってたのだと、薄い胸が熱くなりました。
1件1件、うなずきながら、涙と鼻水をたらしながら読ませて頂きました。
皆さんの思いやりと優しさに包まれて、れれボンは今、虹の橋とウチを楽しそうに行ったり来たりしています。・・・・ついさっきも窓辺に居るよと七色が教えてくれました。
何度でも申し上げます。本当に本当に、どうもありがとうございます。
れれボンも隊長もこんな優しい皆さんに支えられて、本当に幸せです。
本来なら皆さんお一人お一人にお返事を差し上げなければいけないところですが、
私の想いや感情を正確にお伝えするのは今はまだ難しいので、
ここに、れれボンの最後の1週間の様子をご報告し、お返事の代わりとさせて頂くこと、何卒 お許し下さい。
長い話になりますので、お風呂やトイレは先に済ませて下さい。・・・・おい
以前のボログでもお話しましたが、
協会の獣医さんがいらした時、れれボンは何とかおしっことウンPは、介助して出させてました。
れれボンはずっと以前から、いつもおもらししてる状態で、圧迫排尿でも出し切ることもできませんでした。
膀胱炎は仕方がないとして、尿毒症が恐かったので、立って歩かせて自然な排尿をさせてあげたい一心で介助をしてました。
でも獣医さんに、もうこの状態では寝たきりにさせた方がいいよ。無理に立たせて歩かせようとして転んで大腿骨を骨折したら、大変なことになるから。と言われ、私もれれの脚に限界を感じていたので、その日から、寝たきりの生活になりました。
あんなに大変だったおしっこ介助が、時々、おむつを確認し圧迫排尿し、体位を変えてあげるだけになりました。
その時に気が付きました。寝たきりになると、介護がこんなに楽になるのだと。
1時間以上かかっていた食事の世話も、点滴をしてあげるだけとなり、口内炎がひどく、歯磨きもする必要もなくなりました。
夜中にワンと吠えて私を呼んだのは、寒かったからだということがわかり、夜中は湯たんぽと暖房をつけっぱなしにしたら吠えることもなくなりました。
私にできることは、寄り添って声をかけ、なでてあげることだけになりました。
亡くなる4日前、最後のウンPが出ました。色の濃い脂っぽい便でした。鼻がつまり、イビキをかき、目を開けたまま寝るようになりました。
その後、耳が上がったまま、戻らなくなりました。
代謝が悪くなり点滴が体に回らなくなったので、点滴もやめました。
時々、おう吐するようになりました。でも、食べていないので出てくるのは胃液と水だけ。
亡くなる前日から当日にかけて、30回もおう吐しました。おう吐する姿は、かわいそうで見てるのが辛かったです。
れれボンは、体内のいらない物を全て出し切っているかのようでした。
それでも苦しんでいる様子はなく、最後の最期まで、触るとビクっとするし、呼びかけにも反応していました。
体は全ての肉をそぎ落としたように骨ばり、その姿は即身仏のようでした。
亡くなる直前、おう吐が一段落しスヤスヤ寝ていたので、今のうちにと、七色を公園に連れて行こうとした時、
娘が大きな声を上げました。 「 ええ! 今、れれが 首をぐっと上げたよ! 」
全く動けなくなっていた れれボンが急に首を上げたというのです。
急いで様子を見に行くと、音もなくおう吐をし、既に呼吸が浅くなっていました。
・・・・・ 遂にお別れの時がきました。
みんなでれれボンを触りながら、名前を呼びました。
「 れれちゃん!れれちゃん!みんなここにいるからね。疲れたでしょう。もう楽になっていいんだよ。頑張ったね。ほんとによく頑張った。・・・・もう頑張らなくていいんだよ・・・・・」
そう言ってる間に、苦しむことなくス~っと、ともしびが消えるように静かに逝きました。目と口は開いたまま、体はまだ温かいままでした。
それから
娘が蒸しタオルで体を清拭し、パピーの時のアルバムと七色との写真を選びボードにまとめ、遺影を作りました。
私は口や穴に綿をつめ、目と口を閉じ、骨と皮になってしまった体に(カレンママさんに頂いた)レースの洋服をかけ、1対のお花を生けました。
夫は死後、出てきた体液を拭き、保冷剤で体を冷やし、脚を曲げ ← (結局、戻ったけど) れれボンの布団回りをキレイにしました。
七色は、虹の橋に持って行くお土産を用意しました。
そして供養だからと食べました。
5月に発作で倒れてから死は常に身近にあり、覚悟はできていたとはいえ、看取りはやはり戸惑い、分からないこともたくさんありました。
ボログの更新がままならず、れれボンの介護の様子をなかなか皆さんにお伝えすることができませんでしたので、最期は詳しくありのままをお伝えしたいと思いました。
また、少しでも今、介護中のワンコさんや、看取りを控えているワンコさん達の参考になればと思い、書きました。
長くなりましたが、ご清聴、ありがとうございました。どうぞご着席ください。・・・・ずっと立たせてたんかいっ
にほんブログ
おったまげるほどの数のコメントになっていて、言葉を失いました。
改めて、こんなにたくさんの温かい方達がれれボンを見守って下さってたのだと、薄い胸が熱くなりました。
1件1件、うなずきながら、涙と鼻水をたらしながら読ませて頂きました。
皆さんの思いやりと優しさに包まれて、れれボンは今、虹の橋とウチを楽しそうに行ったり来たりしています。・・・・ついさっきも窓辺に居るよと七色が教えてくれました。
何度でも申し上げます。本当に本当に、どうもありがとうございます。
れれボンも隊長もこんな優しい皆さんに支えられて、本当に幸せです。
本来なら皆さんお一人お一人にお返事を差し上げなければいけないところですが、
私の想いや感情を正確にお伝えするのは今はまだ難しいので、
ここに、れれボンの最後の1週間の様子をご報告し、お返事の代わりとさせて頂くこと、何卒 お許し下さい。
長い話になりますので、お風呂やトイレは先に済ませて下さい。・・・・おい
以前のボログでもお話しましたが、
協会の獣医さんがいらした時、れれボンは何とかおしっことウンPは、介助して出させてました。
れれボンはずっと以前から、いつもおもらししてる状態で、圧迫排尿でも出し切ることもできませんでした。
膀胱炎は仕方がないとして、尿毒症が恐かったので、立って歩かせて自然な排尿をさせてあげたい一心で介助をしてました。
でも獣医さんに、もうこの状態では寝たきりにさせた方がいいよ。無理に立たせて歩かせようとして転んで大腿骨を骨折したら、大変なことになるから。と言われ、私もれれの脚に限界を感じていたので、その日から、寝たきりの生活になりました。
あんなに大変だったおしっこ介助が、時々、おむつを確認し圧迫排尿し、体位を変えてあげるだけになりました。
その時に気が付きました。寝たきりになると、介護がこんなに楽になるのだと。
1時間以上かかっていた食事の世話も、点滴をしてあげるだけとなり、口内炎がひどく、歯磨きもする必要もなくなりました。
夜中にワンと吠えて私を呼んだのは、寒かったからだということがわかり、夜中は湯たんぽと暖房をつけっぱなしにしたら吠えることもなくなりました。
私にできることは、寄り添って声をかけ、なでてあげることだけになりました。
亡くなる4日前、最後のウンPが出ました。色の濃い脂っぽい便でした。鼻がつまり、イビキをかき、目を開けたまま寝るようになりました。
その後、耳が上がったまま、戻らなくなりました。
代謝が悪くなり点滴が体に回らなくなったので、点滴もやめました。
時々、おう吐するようになりました。でも、食べていないので出てくるのは胃液と水だけ。
亡くなる前日から当日にかけて、30回もおう吐しました。おう吐する姿は、かわいそうで見てるのが辛かったです。
れれボンは、体内のいらない物を全て出し切っているかのようでした。
それでも苦しんでいる様子はなく、最後の最期まで、触るとビクっとするし、呼びかけにも反応していました。
体は全ての肉をそぎ落としたように骨ばり、その姿は即身仏のようでした。
亡くなる直前、おう吐が一段落しスヤスヤ寝ていたので、今のうちにと、七色を公園に連れて行こうとした時、
娘が大きな声を上げました。 「 ええ! 今、れれが 首をぐっと上げたよ! 」
全く動けなくなっていた れれボンが急に首を上げたというのです。
急いで様子を見に行くと、音もなくおう吐をし、既に呼吸が浅くなっていました。
・・・・・ 遂にお別れの時がきました。
みんなでれれボンを触りながら、名前を呼びました。
「 れれちゃん!れれちゃん!みんなここにいるからね。疲れたでしょう。もう楽になっていいんだよ。頑張ったね。ほんとによく頑張った。・・・・もう頑張らなくていいんだよ・・・・・」
そう言ってる間に、苦しむことなくス~っと、ともしびが消えるように静かに逝きました。目と口は開いたまま、体はまだ温かいままでした。
それから
娘が蒸しタオルで体を清拭し、パピーの時のアルバムと七色との写真を選びボードにまとめ、遺影を作りました。
私は口や穴に綿をつめ、目と口を閉じ、骨と皮になってしまった体に(カレンママさんに頂いた)レースの洋服をかけ、1対のお花を生けました。
夫は死後、出てきた体液を拭き、保冷剤で体を冷やし、脚を曲げ ← (結局、戻ったけど) れれボンの布団回りをキレイにしました。
七色は、虹の橋に持って行くお土産を用意しました。
そして供養だからと食べました。
5月に発作で倒れてから死は常に身近にあり、覚悟はできていたとはいえ、看取りはやはり戸惑い、分からないこともたくさんありました。
ボログの更新がままならず、れれボンの介護の様子をなかなか皆さんにお伝えすることができませんでしたので、最期は詳しくありのままをお伝えしたいと思いました。
また、少しでも今、介護中のワンコさんや、看取りを控えているワンコさん達の参考になればと思い、書きました。
長くなりましたが、ご清聴、ありがとうございました。どうぞご着席ください。・・・・ずっと立たせてたんかいっ
にほんブログ
生きていたら彼女は16歳なのでレオン君と同じ年。レオン君は長生きでしたね。
我が家の暴れん坊の風太は男の子なのでレオン君の生き様を勉強させて頂きます。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
大丈夫ですか?
ただ、ただ、本当にお疲れ様でした。
そして、レレボン、幸せでしたね。
それでみんなで看取ってあげれて、れれぽんの犬生、ホントに良かった16年だったと思います!
介護の大変さも教えてもらいました。
隊長、力抜けて体調崩さないでくださいね!
れれぽん、今頃盲導犬としてのプライドを持ち、そして普通のワンコとしての気持ちも持ち走り回ってますね♪
読んでいて涙が溢れました。
れれちゃん、自分で逝く時を決めていたんですね。
れれちゃんは本当にラブラドールの鏡です。
2年前にアニーが逝った時を思い出しました。
アニーは介護もさせてくれず一人で病院で逝ってしまいました。
その事が辛くずーと引きずってました。
れれちゃんの介護ボログを読みながられれちゃんをアニーに重ねて一緒に介護をさせてもらっているような感じでした。
れれちゃん隊長ありがとうございました。
今頃、アニーと初対面しているんじゃないかな…と、思ってしまいます。
「じいさん、一緒に走ろうよ!」と、お空で先輩風吹かせているかも。
3月に虹の橋をわたった我が家のどうも犬のことを思い出しました。春らしく暖かな澄み渡る青空の中、橋をわたって行きました。やはり、家族が奇跡的にそろっている日でした。
れれ&ななに刺激をうけ、どうも犬多頭飼いを始めました。2頭が繰り広げる日常をブログで見ることは、わたしの『犬と暮らす10箇条』となり、いつも心の栄養剤でした。わが家には最近、3代目の、若いピチピチJKどうも犬がやってきました。
れれボン、お疲れさま。本当にありがとう。
ななタン、寂しくなるけど元気で長生きして、隊長さんを支えてね。
隊長さんはまだツライ中、お別れまでの様子をお伝えいただき、ありがとうございました。
ななたんの、れれさんへの寄り添いかたが、一生懸命で、心打たれました。
ただならぬ気配にななたん、緊張や不安、でも寄り添ってあげたいという強い想いを(私の感覚にすぎませんが)感じました。まなざしが、れれさんを想い、隊長さんを想い。。
ななたんもすごいね、、人間の心以上だね、、とつぶやきながら、思わず我がコ達を抱きしめました。
ななたんとゆっくり、お元気になってくださいね。
大変な 看護だったんですね、私共より、ずっと 大変だったと思います。
うちは 今でも 定位置だった居間の縁に アユムが居る気がしてならないです!!! 介護に悔いはありませんが、幾日経っても 思い出すし、悲しいです。
隊長を始め、お嬢さん、パパさん、ななちゃんも 暫らくは、現状を 受けとめられないでしょうが、れれちゃんは、幸せだったし、十分な看護をしてもらい、感謝、感謝していますよ。
お体を休めてくださいね!!
合掌
みんなにちゃんとお別れができてよかったね。
きっといつものほんわか顔で、お空から見守っているね。
見知らぬおばさんも、ななちゃんれれボンブログに癒されてきたよ。ありがとうね。
隊長さん家族とななちゃんをこれからも守ってね。
お疲れ様でした
隊長さんも、ななちゃんもお疲れ様でした
胸がいっぱいで言葉が出てこない😢