松ひとり言

谷藤松で御座います。
末永くお付き合いの程よろしくお願い致します。

??ナント!後小松天皇陵は【天皇12人】相乗り御陵でした

2016年04月29日 19時22分18秒 | 日記

《だから深草北陵(ふかくさ きたの みささぎ)は別名 ”深草十二帝陵” と言う・・・なんでどす12人もの雑居御陵、びっくりポンや》

  

     《 ”深草北陵” と ”深草十二帝陵” の印が残っている、こちらは昭和初期の写真です今も変わらぬ姿ですね

                

    《御陵の中に、松が植わっているのが珍しいですね・・・後小松天皇と名前に ”松” が入っているので・・・・・かな》

《御陵の真横をJRの緑の電車が通って行きました、”後亀山天皇陵” も ”語小松天皇陵” も本日4月29日に行って来ました》

今日は、旧・昭和天皇誕生日・・・別に意識して御陵めぐりをしたのではないのですが

息子が会社休みで、我が家の愛車≪タント≫が空いていたので、嫁はんの運転で回りました

嵯峨野と伏見深草とは離れているので、助かりました・・・・・それにスペシャル・サプライズ

後小松天皇陵の近くに、伊藤若冲の ”石峰寺” が在ったのでした

ここも、何年も前から訪れたかった寺です、それが若冲生誕300年の記念の年に行けたとは

次回・・・≪松ひとり言≫の400回記念に若冲が登場しまっせ

 


第98代【長慶天皇】の弟で第99代【後亀山天皇】

2016年04月29日 16時29分02秒 | 日記

一週間前に長慶天皇・嵯峨東陵へ行ってから、南朝方4代の天皇御陵を訪ねようと、思いつきまして

第96代・後醍醐天皇が京都から三種の神器を秘かに持って芳野へ脱出(南北朝の始まり)した時の

延元元年(1336)から第99代後亀山天皇が京の後小松天皇に譲位するまでの芳野での56年間が南朝時代

そこで今回、南朝最後の天皇、後亀山天皇 の御陵、後亀山天皇・嵯峨小倉陵(さがおぐらのみささぎ)を訪れた

場所は少し判り難くて、清涼寺(嵯峨釈迦堂)から(1キロの所)鳥居本へ行く道の中程にある(奥嵯峨めぐりの道)

       

《鳥居本への道の左側に入ると参拝道になる、真っ直ぐに50mほど入ると御陵の入り口・・・誠に静かである、石の鳥居が見えてくる》

  

《御陵の手前に表示が・・・後亀山天皇・嵯峨小倉陵とある、(さが おぐらの みささぎ)と読む、長慶天皇の御陵の四分の一ぐらいだった》

 

長慶天皇の御陵の方が新しくて規模も3・4倍大きい気がした、

御陵独特の造りで、正面の気高さと言うか、品格というか

さすが 歴代の天皇陵である、次は・・・・・

後亀山天皇が三種の神器をお返しする、京都・北朝最後の天皇

後小松天皇の御陵、深草北陵(ふかくさ きたの みささぎ)を訪ねます