松ひとり言

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菅原道真・日蓮・上杉謙信のパスワードは9月

2013年09月11日 23時38分40秒 | 日記

             

     《菅原道真》           【日蓮大聖人】         ≪上杉謙信≫

道真は903年に流罪地の大宰府で亡くなっている「享年58歳」

日蓮は1282年に武州池上の地にて入滅されている「享年61歳」

謙信は1578年に越後春日山にて亡くなっている「享年48歳」

さて、この三名、亡くなった時代も、年齢も違うのに何処に共通点が?

パスワードは9月!因みに今日9月12日は日蓮の(竜の口法難)の日

鎌倉の竜の口にて処刑されようとした時、光物が現れて首を討てず

1ヵ月半後今度は流罪地の佐渡に向われ2年半後赦免になり鎌倉へ

そして8年後、61年の生涯を池上邸で閉じられている。

それから遡る事380年、西暦901年道真は流罪の地大宰府にて

九月十日と言う名詩を詠んでいます、”昨年の今頃は京の御所にて

醍醐天皇を中心にして菊花の宴が行われていた、天皇の勅命にて

即興で「秋思の詩」を作り発表、天皇に大変に喜ばれ御衣を賜るが

左大臣の藤原時平の勘気に触れ、翌月右大臣を剥奪された挙げ句に

それから3ヵ月後の翌年の1月、事実上、大宰府に飛ばされる事に

「秋思の詩」から1年目の9月10日に次の詩を大宰府の地で詠む

    去年の今夜清涼に侍す  

    秋思の詩篇独り断腸

    恩賜の御衣今此に在り

    捧持して毎日余香を拝す

道真自身も承句で「秋思の詩篇独り断腸」と詠っているように

あの時「秋思の詩」さえ発表しなければ、との思いがあったのでは?

それから1年と5ヵ月後の903年2月25日に大宰府にて亡くなっている

25日の命日には北野の天満宮で縁日が開かれて、2月の25日には

「梅花祭」が開かれている、道真と天神との関係は道真が亡くなって

20年以上経ってからのお話ですが、これは又の機会にでも

”歌舞伎18番の中にある「菅原伝授手習鑑」は道真死後の涙を誘うお話

さて三人目の上杉謙信の9月とは!詩吟愛好家なら今更言わなくとも!

能登半島の入り口にある七尾城を攻めて、我が物にしたその真夜中12時

「九月十三夜」と題した、これまた名詩を陣中にて次の様に詠んでいる、

    霜は軍営に満ちて秋気清し

    数行の過雁月三更

    越山併せ得たり能州の景

    遮莫家郷の遠征を憶うを

この時点で天下人に一番近いのが、上杉謙信であったと言って過言でない

しかし、謙信は心広くて、情深い人で、(武田信玄に塩を送った話)の様に

この詩にも窺うことができる・・・城を攻め落とし歓喜の祝杯の最中にでも

結句で、「遮莫(さもあらばあれ)家郷の遠征を憶うを」と此度の遠征を

按じてくれている越後の人達の事を憶う心を忘れないのが謙信の人柄

生涯嫁を娶らなかったのも、何時も死とのはざまに居たからかもしれない

目の前に天下が見え、「九月十三夜」を詠んで人生で最高潮に達した、

半年後、脳卒中であっけなく、わずか48年の生涯を閉じるのである。

このように三者三様の9月を思い、中秋の月に吟じてみたいものだ・・・・・

 

 

 

 

 

 

 


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