《ちょうどお会いした頃の先生!》 《先生の気品に溢れた作品・・・・・お人柄が絵画にも態度にも・・・すばらしい先生》
懐かしい猪原先生の写真をネットで検索して載せさせて頂きました
それは、忘れもしません、昭和48年の1月3日の夜の事でした。
猪原先生は前年の47年、日展にて作品「淨池」で総理大臣賞受賞
先生と親しくしていた、詩吟の先輩とお祝いに訪れたのでした。
応接間でのお話が一息ついた時でした、「先生に詩吟をお聞かせしたら」
と先輩、すると先生も「是非聞かせて下さい」とのご要望があり「はい!」
と立ち上がりました。
実は先生の総理大臣賞受賞の前年、私は詩吟で文部大臣賞を受賞
その事もあって、是非先生に聞かせたいとの話が出来ていたようです。
「母」という律詩(八行詩)を聞いて頂きました、詩文はこれです
非行の少年獄舎に泣く
無限の悔恨思い窮まらんと欲す
噫吾過まてり吾過まてり
終夜眠らず独房の中
頭を上げては母を思い枕に伏しても母
慈顔仏の如く我瞳に浮かぶ
海嶽の恩愛今始めて識る
一輪の寒月獄窓を照らす
この詩には次の短歌が元になっています、
呼びたくも呼ぶことならんガラス戸に
息吹きかけて母と書くなり
この短歌は非行少年が獄中で詠んだものです
松口月城先生の作品ですが、「名槍日本号」と言う詩が有名な先生です
≪吟道松流の譜面です・・・・・私が単純に音程から思いついた、誰にでも見るだけで分る譜面です≫
非行少年が獄中で、今までの自分を反省し、母の慈愛に目覚めて
短歌を涙ながらに作り、窓ガラスに息を吹きかけ「お母さん」と書く
猪原先生ご夫妻は最初の2行を静かに聞いて下さってたいましたが
3行目に入ると、すすり泣きの声が聞こえてきました、私も貰い泣き
しない様に必死で吟じました、すると7行目に入ると嗚咽に変わり
終わった瞬間お二人同時に直立され「ありがとうございました」と
深々と頭を下げてくださり、次に先生から頂いた言葉こそが生涯の
私の財産になっています。・・・先生は静かにゆっくりと仰いました
「あなたはお見かけしたところ、30才ぐらいのお年とお見受けします
私は今年76才、もう60年近く絵を描いてきたが、今だ私の絵で
此れほどの感動を与えた記憶がありません、しかし貴方は30才で
これだけの感動を、人に与える術を持っておられるのが羨ましい!」
京都画壇の重鎮であられた大先生からこのような言葉を頂くとは!
先生が私の吟で涙された様に、私もこの言葉に涙致しました。
少し有名に成っただけで天狗になる人が多い中、なんと純粋な心を
お持ちなのかと、涙が止まりませんでした。
猪原先生は7年後の昭和55年2月5日、83才の天寿を全うされました。
もう、あれから33年の歳月が流れていきました、
猪原大華先生有り難う御座いました・・・心からの財産を!
いつまでも、いつまでも・・・・・わが詩吟に生き続けていきます