まだ!頼山陽が続くのか?と思っている方今回はその師匠の登場です
菅茶山という人!郷土を愛し、人間を愛したが故に、郷土の為に立ち上がる!
この人を事典で調べてみると、江戸時代後期の儒学者、漢詩人とあります
生まれは備後の国、安那郡河北村(現・広島県福山市神辺町)山陽と同じ広島!
農家の長子として生まれた茶山が儒学者、そして漢詩人として今日まで名を残すとは
資料を見ながら、感動しながら菅茶山の素晴らしさを是非知って頂きたくのブログです
《菅茶山の肖像画・・・温厚な笑顔でしょう》 《福山市にある菅茶山記念館、立派でしょう》
調べていて!この人って素晴らしい・・・と感じたのは、まず菅茶山の郷土の話から入らないと・・・
茶山の生まれ育った所”神辺”(かんべ)は、山陽道の宿場町の中でも特に栄えた宿場であったらしい
ところが宿場町として栄える事は、賭け事をはじめ酒や良からぬ事が横行して、町が荒果てていく!
これは、何とかせねば!と思った茶山が考えたのは、町を良くしていくには学問しかないと考え
単身京都へ遊学するのである、朱子学を中心にして、3・4ヶ所の私塾に通い、与謝蕪村とも交友し
33才で故郷へ帰り、神辺に私塾「黄葉夕陽村舎(こうようせきようそんしゃ)」を開きます
当初の志を曲げることなく、みんなが平等に教育を受け、貧富の差別のない社会を目指すのである
上の肖像画の如くに真の強い、穏やかな人物であった事が伺える、詩吟の世界では、と言うより私は
菅茶山と言えば「生田に宿す」しか浮かばなかった、・・・が!酒好きの人には堪らない詩を紹介しよう
≪酒人に某扇を出だして書を索む≫(しゅじんに、ぼうおうぎを、いだして、しょをもとむ)と言う長い題!
一杯人酒を呑み 酒も一杯ぐらいなら人が酒を吞む
三杯酒人を吞む しかし三杯以上になると酒が人を吞む
知らず是誰の語ぞ この言葉を誰が言ったかは知らないが
吾が輩紳に書すべし 私はこの言葉を戒めと心に留め忘れずにいる
なかなか面白い詩でしょう、この後に松流の教本から解説と譜面を載せておきましょう
久し振りに松流の譜面を載せました、良ければ大きな声で、譜面を追っ駆けて下さい
自分でも、気に入った節調に成っています・・・・・私も70年の生涯の中で幾度となく・・・!
酒に呑まれた事か、酒は楽しく吞まなければ・・・
若山牧水ではないが、・・・・・《酒は静かに吞むべ仮けり・・・》である・・・おやすみなさい
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます