嵐山に≪健光園あらしやま≫と言う高齢者福祉総合施設があります、
《開設してまだ2年で、4階からは嵐山の渡月橋を眺めることが出来るという、風光明媚な場所にあります》
半年ほど前にも、河原町三条の画廊で始めての個展を開き大変に好評でした
≪心象画≫という、身体の五感に感じた物を、心に写すと言うんでしょうか
上手く表現できませんが、見る者は言葉では表現できない、神秘な世界です
《光線が入って見ずらいですが、・・・・・又あとに今井さんの作品を見ていただくコーナーを設けてますので宜しく》
《詩吟の仲間が、訪れていたので記念撮影、左端が今井さん本人、荒木さん、江藤さん、小笹さん、80歳が3人も》
心象画の体験コーナーもあって、『宗家もどうですか』と言われ筆を取り書いたのがこれ・・・なんじゃこりゃ
《部屋ではすでに体験中の人が、・・・私のこれを・・・・・周囲の人から ”素敵” と言われ、本人当惑左は吟です》
見終わったた時に、先程の写真の一人から『お茶しましょうか』と喫茶コーナーへ
《展示会場も、喫茶コーナーも4階にあります、何やら注文してくれてます、先程の体験の部屋も、この階にありました》
カウンターにロシアの木製人形、≪マトリューシカ≫が置いてありました、
《一体の人形からもう一体が出て来て二体に、その中からもう一体、更に計4体に、これが全員集合です》
ここで、マトリューシカを調べてみましたので・・・・お付き合いを
マトリューシカ人形【ロシアの木製人形】そのルーツ
①、の説は、1890年代半ば、モスクワ郊外に住むS・Iマーモントフ夫人と
画家のS・Vマリューチンとザゴルスクの、ろくろ師V・ズビョズドチキンによって、
モスクワの工房「子どもの教育」で製作されたという説
②、の説は、19世紀末、箱根にあった正教会の避暑館にやって来た、ロシア人修道士が、
本土への土産に持ち帰った箱根細工の入れ子人形がマトリューシカの元になった。
マトリューシカの第一号が飾られているセルギエフ・ポサード(旧ザゴルスク)の博物館には、
「日本に教わった」という縁起が記されており、隣にはモデルとなったとされている
箱根七福神の入れ子人形も展示されている
何んと意外でしたね、日本の人形がモデルになっていたとは
もう一つ意外なのは、「日本に教わった」と正直に記していることです
それでは、お待たせしました・・・・・今井さんの心象画をご覧ください
初めての個展より(京都三条河原町の画廊にて)
《写真からコピーされたのを本人から頂いたので、ちょっと私のようにピンボケですが、その時の雰囲気だけでもと思って》
《幾らかパソコンで修正しましたが、私の機械ではこれが限界です・・・すみません》
帰りに嵐山へ廻って帰りましたが、夕方4時を過ぎているのに
まだまだ観光客でいっぱいでした、その賑わいを最後に・・・・・
《凄い数の観光客を一人も入れないで撮った渡月橋です・・・・・よく見ると渡月橋人でいっぱいですよ~》
《嵐山へ行く桂川罧原(ふしはら)の堤は車で埋まっていました、丸太町からの進入も、結婚式から抜けてきたの》
《渡月橋へも中々行けない状態です、渡月橋が人の重さに、バス待ちも大変、車の前を人力車が》
京都嵐山へ観光に来られる人は、出来るだけ車で来ないことをお勧めします
今年は紅葉が遅いようですよ・・・・・明日の祝日気を付けてお越し下さいませ
お待ちしてま~す
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