松ひとり言

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昨年の五月~京都・亀岡≪光秀まつり≫を知って

2013年11月21日 08時58分01秒 | 日記

《亀岡市役所をスタートするのに、・・・出番待ちです!》       《明智光秀を大河ドラマにと・・・ドラマ化するといいのにね!》

        

昨年≪光秀まつり≫を初めて知りましたので家族で行ってきました

なんと!第40回と言う事で・・・そんなに続いているの?とびっくりでした

ひょっとしたら、長岡京の「ガラシャまつり」より先輩かもしれませんね?

何と言っても!光秀はガラシャの父親ですものね~・・・・・

  さて!いよいよ出発ですよ・・・・・・

  

まず最初に、細川忠興とガラシャが登場して来ました・・・・・長岡京では主役ですのに!

      

毎年、出演者は代わるらしいのですが、昨年の光秀役の男性・・・俳優さんみたいでした

  

    

 明智光秀と正室のひろ子役は本当のご夫婦で、埼玉からの参加だったとか

  ~ときは今 あめが下しる 五月かな~

「吾が敵は備中に在らず本能寺に在り」は天正十年六月一日の夜 

老の坂にて発した光秀の有名な言葉、この三日前、愛宕山での

連歌の会の席で光秀が吟じた句が上の《ときは今・・・・・》である

”とき”は土岐(光秀の出身地)、”あめ”(天)が”下”しる・・で天下!

この時すでに、光秀の心は天下取りの野望に燃えていたとか?

しかも信長がわずかな手勢で(100人ぐらいとも言われている)

本能寺に来ている事が知らされていたから!”本能寺に在り”・・・と

しかし!わずか11日間の天下であった、・・・・だけではなかった

この2年前に光秀の三女”玉”が細川忠興に嫁いでいる

同じ信長の家臣である細川家にとって、大逆臣の娘である

ここから”玉”(後のガラシャ)の悲運が始まる・・・・

  ~ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の

               花も花なれ 人も人なれ~

ガラシャの辞世である、・・・では最後に私の好きな漢詩「細川がラシャ」を 

  群雄覇を争う戦国の季     (天下取りに明け暮れる戦国時代)

  人心頽廃して節義無し     (人の心も礼節も無くなってしまった)

  斯の時敢然信仰に生き     (この時代に強き心で信仰に生き抜く)

  殉節の血は染む浪花の地   (しかし信仰に身を捧げ浪花の地で殉死)

  権威に屈せず利に惑わず   (三成からの人質に屈せず、惑うことなく)

  完うし得たし日本婦道の粋  (純粋な日本女性の道を生き抜いた)

詩吟の岳風流の創始者、木村岳風の作品であります

7年前に長岡京市にあるガラシャゆかりの勝竜寺城にて写したものです   

      

  

 

 

 

 

 


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