《京都鴨川に架かる≪四条大橋≫へようこそ・・・昔は三条大橋・・・今や京都のメイン≪四条大橋≫》
芸能の神さま的存在であり、出雲に生まれて・・・京で花開く伝説の舞姫
【出雲の阿国】はここ四条大橋の畔が本拠地だったとかで、その石碑が!
《南座の西側に阿国歌舞伎発祥の石碑が南座の右端を下がるとあります・・吉例顔見世興行の”まねき”姿の南座》
京阪電車入口下がるにある 《阿国さんの銅像をじっくりと、大きくして見ていただきましょう、》
出雲の阿国については又の機会に詳しく伝えたいと思ってますが・・・
阿国は生没も素性を経歴もほとんど分かっておりません
出雲に生まれ、出雲大社の巫女(みこ)で、幼少より少女二人組みで
「ややこ踊り」を踊り、寺社や宮廷で踊ったり、諸国巡業を繰り返したとあり、
やがて、京や畿内で活躍するようになる阿国であったが、
関が原合戦(1600年)当時には戦乱を避けて地方を巡業して回ったようである
阿国が歌舞伎踊りを踊って有名になるのは、徳川家康が江戸に幕府を開く
慶長8年(1603年)の春のことであると言う
「かぶく」とは普通ではなく、奇異な事をする意味であり、人目をひくような
変わった風体で町をねり歩く者を「かぶき者」と呼んだ
阿国の歌舞伎踊りは「かぶき者」の風俗を大胆に取り入れ、
流行の先端をゆく踊りとして、圧倒的な人気を集めたのである
尚、晩年の消息は、あまりよく分かってないが、故郷出雲に帰り
剃髪して智月尼(ちげつに)と名乗り、静かに余生を送ったそうな!
いずれも、四条大橋の東詰めを見て頂きました、・・・南側にまさしく”南座”が
その昔には南座の(向かい)、北側に”北座”があったとか・・・・・
今、大橋の東詰め、北側に上の”出雲の阿国”さんが堂々と舞っていはります
それでは四条大橋を西に渡ることに致しましょう・・その前に河原へ下りてみます
《南座の西側、川端通を渡ると鴨川への降り口、南方向に”団栗橋”が見えます・・北方向には三条大橋が見えます》
西に渡ると・・・鴨川名物の川床がずらりと並んでいます、
《四条大橋の西側を挟んで南北にアベックがずらりと並び、その上には川床が見事に並びます、鴨川の風物詩ですね》
渡りきると”先斗町”が昔、一世を風靡した『お座敷小唄』でお馴染みになった、あの歌詞・・・
富士の高嶺にふる雪も 京都先斗町にふる雪も・・・・・(ぽんとちょう)と読みます
《先斗町の四条通入口です・・・・この狭さが特長と言えば特長でしょうか、の三条、歌舞練場まで続きます》
四条大橋の西詰め北側には京都の中華料理の草分け、”東華菜館”があります
思い起こせば・・・・今から、もう53、4年にも前になるでしょうか中学卒業後の
初めての就職先が西村紙工所という紙の加工所で、初任給4500円でした
そして初めての新年会に連れて行ってもらったのが”東華菜館”やったんです
《四条大橋の東側の河原から見た”東華菜館”、橋を渡り西詰め北側から、1926年竣工でエレベーターは日本最古》
建ってから、88年とは凄いですね~、・・・54年前の新年会ですから、
すでに建ってから34年やったんですね、京都の食文化の歴史を感じます
更に西へ行きますと高瀬川の流れる、木屋町通に出ます京の夜を彩る繁華街
この高瀬川に架かる小さな橋を”四条小橋”と言います
《四条小橋、南側西詰めです、左に木屋町高瀬川・・・上は四条川原町、阪急河原町駅の表示が見えます》
京都の中心、四条通り、西の端には桂川に架かる松尾橋を渡ると松尾大社があり
東の突き当りには、祇園祭で賑やかな、八坂神社があります
この四条通りの松尾に近いところに我が家があります
以前八坂から我が家まで歩いて1時間30分でしたので
四条通りを端から端まで歩いても1時間40分ぐらいでしょう
近いうちに・・・松尾から八坂までを歩いてみたいと思っています
お・や・す・み・な・さ・い
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