松ひとり言

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≪楠公桜井の児別れ≫の島本町で【水無瀬駒】を知る!

2015年05月13日 16時02分48秒 | 日記

    

《阪急、松尾大社駅からカメラ片手に歴史探訪に水無瀬へ・・・目的地はJR島本駅なので・・・徒歩5分で到着です》

《島本駅前に≪島本町立歴史文化資料館≫・・・今回の目的地、三箇所の一つです、建物自体が歴史文化ですね》

  

《中に入ってビックリしたのがこれです・・・・鳥羽伏見の戦い(戊辰戦争)の時、楠葉砲台から飛んで来たんですって》

 

《もう一つが是、山形は天童の将棋の駒は有名ですが、歴史的にはこちらが古いのだそうです・・・》

   

《右端はクリック用に・・・読みずらいですが水無瀬駒の歴史が分ります、下の写真が将棋の駒の、文字の原本だとか

《水無瀬家の13代当主≪水無瀬兼成≫が文禄4年(1578)82歳の時、正親町(おおぎまち)上皇の勅により書かれた駒》

水無瀬兼成は三条西家から水無瀬家に入った人物、父も祖父も、歌人・能筆家として有名

”兼成”自身も能筆家賭して知られ、その筆跡は上の水無瀬駒に見ることが出来る

江戸時代には『象戯駒の銘は水無瀬家の筆を以って宝とす』とまで言われた

現在【水無瀬流】と呼ばれる将棋の文字は、”兼成”の筆跡を真似たもので

その優美な文字と端正な駒形は近代将棋駒の大本と云う事ができます

島本町教育委員会発行の【水無瀬駒】の小冊子にある ”将棋のはじまり”によると

日本の将棋や、西洋のチェスなど世界には様々な将棋があり、その発祥は・・・

古代インド紀元前三世紀頃、ガンジス川流域で誕生したとされている

将棋はインドから西に伝播し改良されてペルシャの『シャトランジ』となりチェスに

東に伝播して、中国象棋、日本将棋へと発展していきました

そして日本への伝来も古かったようですが、実際に遊戯用として用いられるのが

奈良時代以降、平安時代の頃といわれています

今回は水無瀬駒が中心のブログでしたが、いよいよ次回は

第二の目的地を紹介いたします・・・と言っても、お隣ですが

 

 

 

 


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