【観音巡礼の開創伝説と再興】
西国巡礼の始まりについて、次のようなお話があります。
奈良の長谷寺(西国八番)にいた徳道という高僧が急な病気でお亡くなりになり、
冥途の入り口で閻魔大王に出逢います。
「悪いことをする者が増えて地獄は今、定員オーバーじゃ。汝は特に許すから、
娑婆(現世)へ戻り、人々を地獄へ来させぬように、三十三ヶ所の観音霊場を広めよ」
閻魔大王はこう言うと徳道上人に三十三ヶ所の宝印を託しました。
しかし当時の人は、なかなか信じてくれません。
しかたなく上人は宝塚の中山寺(西国二十四番)に宝印を埋めて、
使命を後世に託しました。
西国巡礼が本格的に始まるのは、花山法皇が宝印を掘り出された
二百七十年のちのことだとされています。
その後、西国巡礼は一千年の興隆衰退を経て人々の心に染み入り、
現在でも巡礼の総数は、年間十万人を下りません。
西国33所巡り札所
1番 2番 3番 4番前 4番後 5番
とんで22番 23番
思いっきり飛んで33番
はそれぞれこちらから↑覗いてみて下さい
宝印が埋められた
24番
紫雲山 中山寺

今回東北の大震災が起こった時に自分に何が出来るのかと
日々考えました。私も阪神大震災を経験しています。
余震の恐怖もまだはっきりと覚えています。
得体の知れない不安の中でひらめいたのが
日本で最も古い歴史ある西国の巡礼です。
日本の復活をただ、祈る・・
1000年もの年月を超えて、人々が絶える事なく訪れる観音霊場
何か見えるかも知れない、いや、何にも変わらないかもしれない、、
それでも行こうと決めました。
この24番中山寺は子供を授かった時に安産祈願に行ったお寺です、
腹帯を頂きましたしお礼参りも、七五三参りも行きました。
1番に行くお寺は中山寺と決めていました。
ブログを始めるなんて思ってもみなかったので写真はありません
祈る事は叶うと心から信じて、西国巡礼必ず制覇します

西国巡礼の始まりについて、次のようなお話があります。
奈良の長谷寺(西国八番)にいた徳道という高僧が急な病気でお亡くなりになり、
冥途の入り口で閻魔大王に出逢います。
「悪いことをする者が増えて地獄は今、定員オーバーじゃ。汝は特に許すから、
娑婆(現世)へ戻り、人々を地獄へ来させぬように、三十三ヶ所の観音霊場を広めよ」
閻魔大王はこう言うと徳道上人に三十三ヶ所の宝印を託しました。
しかし当時の人は、なかなか信じてくれません。
しかたなく上人は宝塚の中山寺(西国二十四番)に宝印を埋めて、
使命を後世に託しました。
西国巡礼が本格的に始まるのは、花山法皇が宝印を掘り出された
二百七十年のちのことだとされています。
その後、西国巡礼は一千年の興隆衰退を経て人々の心に染み入り、
現在でも巡礼の総数は、年間十万人を下りません。
西国33所巡り札所
1番 2番 3番 4番前 4番後 5番
とんで22番 23番
思いっきり飛んで33番
はそれぞれこちらから↑覗いてみて下さい

宝印が埋められた
24番
紫雲山 中山寺

今回東北の大震災が起こった時に自分に何が出来るのかと
日々考えました。私も阪神大震災を経験しています。
余震の恐怖もまだはっきりと覚えています。
得体の知れない不安の中でひらめいたのが
日本で最も古い歴史ある西国の巡礼です。
日本の復活をただ、祈る・・
1000年もの年月を超えて、人々が絶える事なく訪れる観音霊場
何か見えるかも知れない、いや、何にも変わらないかもしれない、、
それでも行こうと決めました。
この24番中山寺は子供を授かった時に安産祈願に行ったお寺です、
腹帯を頂きましたしお礼参りも、七五三参りも行きました。
1番に行くお寺は中山寺と決めていました。
ブログを始めるなんて思ってもみなかったので写真はありません

祈る事は叶うと心から信じて、西国巡礼必ず制覇します

