幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

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神は生きています。今も、そしてこれからもずっと。(映画「神は死んだのか」を観て)

2016-01-21 15:36:30 | 映画情報

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幸福の科学の今年の基幹経典は”正義の法”。

その第1章で紹介されている映画が、昨年日本でも公開された”神は死んだのか”です。

私もレンタルして観ました。

日本でのタイトルは”神は死んだのか”ですけれども、英語で表記されている演題は、”GOD’S NOT DEAD”つまり、直訳すると、”神は死んでいない”でした。

ここらへんのニュアンスに、現代日本における信仰の立場、宗教が置かれている立ち位置を感じますね。

”神は死んでいない”と断言する演題ではなく、”死んだのか”という疑問とも取れるニュアンスに変えられているわけです。 

内容を詳しくレビューすると、ネタばれになってしまって、業界にご迷惑がかかるといけませんので、それに注意しつつ筆を進めてまいりますけれども、上の画像、映画のポスターにあるように、一人の学生が、無神論の教授と、神の存在証明をかけて、一騎打ちをするストーリーです。

実話を元にした作品ということで、それほどの予算をかけているとは思えませんでしたが、リアリティーにあふれる内容でございました。

信仰の国アメリカにおける、学問領域での信仰の立場は、日本とそう変わらないことに、少なからずショックを受けましたけれども、このような映画がヒットするということは、まだまだアメリカは信仰心を大切にする土壌は残っているのだなとも思いました。

当初主人公は、さまざまな科学的領域における、神の存在証明を試みるのですが、長年の手馴れた議論を持つ無神論教授にかないませんでした。

それはそうでしょうね。相手は百戦錬磨、一応その筋のプロです。

そこで主人公はどうするかと言うと、聖書を読み込むんですね。

無神論に対して、「神の言葉」で勝負するわけです。

ここらへんは、つい科学的根拠に基づく議論をしたがる私は、反省させられるところでございました。 

ともあれ、聖書の冒頭に出てくる創世記では、「まず言葉ありき」で始まります。

言葉とは、神の言葉です。「光あれ」という。

そして7日で全宇宙を創造するわけですけれども、「7日という日数なんて信じられない」と無神論的にはそうなりますわね。

まあ創世記自体、3000年も前にモーセによって書かれたものですが、当時の人々に認識できるのは、そういう時間単位だったんじゃないでしょうかね。

7日って言ったら、家でもそんな短い期間では建ちませんので、「一瞬でできた」という意味だと思うんです。

宇宙のビッグバン説でも、「宇宙は一瞬でできた」「そして拡張を続けている」とありますので、つい最近人間が、学問の蓄積による認識の領域で理解解明しつつある宇宙の始まりを、3000年前にはもう記録として残っていること自体が、神がいることの証明だと思うし、すべての根本、根底を成すものだという、宗教の本来立つ位置をあらわしていると思います。  

それは何も、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教ら、現代の世界宗教と言われている、聖書を経典とした世界観に留まりません。

わが日本においても、1500前に書かれた古事記においては、まず天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)という根源神が一瞬登場し、その後・・・・、まあ難しいので現代的に翻訳させていただきますと、陽を司る神が現れ、陰を司る神が現れ、宇宙が開闢し、銀河ができ、地球ができ、日本ができたと。

古事記も聖書の創世記も、同じことを言っているわけですね。

古事記は1500年前に文章化されましたが、それは当時すでに神話として残っていたものを文章化したのですから、その宇宙開闢の瞬間とも取れる表記は、もっともっと前にあったことになります。

とまあ、映画のレビューになっているとは思えなくなりましたが(爆笑)、話がどんどん横道にそれまくるのが、このブログの個性でもありますのでお許しを。(笑)

この作品で若干残念であったのは、イスラム教徒に対する見解でしょうか。

まあ、実像を知るには役に立ちましたが、これがキリスト教的な立ち位置からする、宗教解決の限界でしょうか。

「幸福の科学的な立場なら、もっとハッピーな結末に、して差し上げられるのになぁ」と、ちょっと残念ですね。

 

とりもなおさず、世界が平和でありますように。

SMAPの木村さんではありませんが、前を見て、とにかく前を見て、人類がこれまでの歴史的経緯を超え、愛の元に、手をつなぎあうことが当たり前の世界になるように、心から願っています。

幸福の科学の思想を知れば、キリスト教もイスラム教も、決して彼らが思うような「悪魔の教え」ではなく、「神の教えの一部なのだ」と自然に思えるのです。

ちょうど日本人が、仏教の各会派の宗教を、「仏教の教えの一部だ」と、ごくごく自然に認識しているように。

日本的なこの宗教価値観が、世界を最終的には救うと信じて疑いません。

                             (ばく)

 

モンゴルでの太陽の法セミナーの様子

大川隆法総裁 オーストラリア講演会『Aspirations for the Future World』より


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