昨日、 のり丸がまた「遠出」…今回は金沢じゃ。
【ブレる、ブレる、と言われながらも近づく】
のり丸の肩に乗るためじゃ。
【瞬間移動ごっこ、してくれ】
のり丸の外出を引き延ばそうとしていたが、腹立つことにウチを降ろそうとする。
【絶対に降りんから】
防寒バッチリののり丸の服に抜け毛をなすりつける。
降ろそうと奮闘しているのり丸と、降りるまいとしているウチ。
【やっぱり行くんね…】
不満と悲しみの表情。
このアングルで撮影するのは難しかったらしく、辛うじて映っていた肩乗り画像がこの3枚。
===in 金沢===
天気は薄曇り、しかし想像と違い妙に暑くて、結局帽子もコートもいらんかったらしい。
今回、金沢では3つ用事があったが、タイムリーに「東野翠れん」さん、だったそうじゃ。
のり丸の仕事(業界)で必要なものは、営業力・ブランディング・コンテンツ・技術力だと言われている。
また業界には「自分は凄い」「自分はカリスマ(神)」と思っている人間や、「顧客はただの金」「儲ける為にはウソを吐く」という人間もおる。
業界のメンバーは神様〜詐欺師までとバライティに富んでおり、資本主義の「競争社会」の「あーでもない、こーでもない」をやっている。
逆に「こんな仕事、夢も希望もないから」と覇気に欠けていたり、ベーシックインカムの導入を待ち望んでいる人達もいる。
確かにのり丸のいる業界は生存競争が激しく、単に技術を磨くだけでは生き残れない可能性もある。
コンテンツ・技術力がすばらしくても、その内容を(よい例えではないが)ベータビデオカセットでアウトプットしても誰も受けとらないだろう。
時代のニーズに合わないものは消えていくからじゃ。
自分の仕事をどう宣伝するか…「古い民家」を店舗にして……そんなことをのり丸が考えている時に、東野翠れんさんの写真展「Pendant 1957-2018」。
のり丸は、翠れんさんが15歳ぐらいの時から気になっていたらしいのじゃ。
その「気になる」というのは、ファンとか作品にすごくシンパシーを感じるとか、そういうのとはニュアンスが違うらしく……
その「気になる」というのは、ファンとか作品にすごくシンパシーを感じるとか、そういうのとはニュアンスが違うらしく……
理由はよくわからないけれど「気になっている存在」だったのじゃ。
mina perhonen Kanazawa
100年以上経っている民家で作品を展示。
トークイベントの時は、翠れんさんは中央のマイクの置いてある椅子に座って話すのだが
けっこう客と近い距離。
後ろの窓の下にあるのも、翠れんさんの作品。
「過去の痛み、歴史の痛み、個人の傷跡ではない写真。ではなにを撮っているのかということを考えると、それは〈ちょっと先の未来におく写真〉ー
平和な世界がどんなところなのか、自分が忘れないためにも、いま目の前に見える一瞬の静けさ、光、その平安な時間を、今日、生きているということを祝福する写真を撮っているのだなと思う」
=東野翠れん=
翠れんさんが、ジョナス・メカスの「どこにもないところからの手紙」という本の中の一部を抜粋して読んでくれた時…。
のり丸の1.5メートルぐらい先の距離にいるのに、彼女の姿が10メートル遠ざかって見えたり、揺らいで見えたり変な感覚に囚われたそうじゃ。
直観とか、感性の世界を「言語」で表現するのはとても難しいの。
言語には「時間差」があるし、特に「瞬間」は名状しがたい。
言語には「時間差」があるし、特に「瞬間」は名状しがたい。
元々のり丸は人が表現しているものを見るのが好きじゃ。
目の前の風景であろうが、旅先の風景であろうが、その人の心象風景であろうが、それが男性感性だろうが女性感性だろうが、また年齢も関係なく…。
目の前の風景であろうが、旅先の風景であろうが、その人の心象風景であろうが、それが男性感性だろうが女性感性だろうが、また年齢も関係なく…。
「今、この人がこういうものを見ていて、こういうものを感じている」ということを知るのが好きなのじゃ。
写真とは光の記録であり、翠れんさんが光を記録して発信し、のり丸の何かがそれをキャッチして、内部の何かが発光する。
光の伝達みたいなものなのじゃろうか。
もちろん世の中のすべての発信をキャッチすることはなく、キャッチしても内部で「発光」しないこともある。
だからこそ、内部で「発光」したものを道標として追っていけばいいのではないかの。
だからこそ、内部で「発光」したものを道標として追っていけばいいのではないかの。
===帰宅後===
【近づきすぎる】
【ウチも落ち着いた…】
人間も猫も、病気とか老化とか……ウチとのり丸の日々もあっという間。
だからこそ、「営業力」とか「ブランディング」とか、のり丸の柄ではないことを考えたりせず、原点に戻って「発光」したものを辿って、コツコツ取り組んでいくしかないじゃろうね。
じゃあ、またの。