まいどでございます。
日中は暖かいけれど、朝晩が冷えますネ・・・(~_~)
みなさま体調崩されませんように。
本日の新作も大ブレイクを頂戴しましてありがとうございます。
お洋服が・・・ジャケットが・・・クチュールスカートが・・・メルマガを出す前から・・・すごい勢いで・・・(>_<)
みなさまブログをご覧になって狙っていてくださっていたようで・・・ありがとうございます。
狙っていたのに買えなかった・・・とおっしゃるみなさま、申し訳ございません。
ちょっと言い訳しちゃおうかしら。
今回に限らず、セレクトファッションは、旧作ではなく、メーカー新作ばかりなんです。
新作なのに割引してもらえる理由は・・・
第一に、わたしにとって非常に近い人物がアパレルをやっていることと、
その他の様々な理由で(企業ヒミツって言うのでしょうか^_^; うちはちっちゃなお店ですけれど^_^;)、驚異の割引率を実現しているんですよね。
その他の様々な理由の中の一つに、
「メーカー在庫割れやメーカーセールを狙う」というのがありまして^_^;
当然のことですが、常日頃から、素敵なものを少しでもお安く・・・と思いながら商品を選びますので、在庫割れやメーカーセールはわたしにとって、つまりみなさまにとって、非常に魅力的なんです。
わたし、メーカーセールの日は、どのアイテムがセールになるのか、わたしが狙っているアイテムはどこに置かれているのか(場所)、まで事前に調べて、
戦闘意欲満々で仕入れに走るんです^_^;
そうやってがんばっても、在庫割れやメーカーセールとなると、数がほとんど揃わないのです・・・
でもっ、揃わなくても、たとえ少量であっても、みなさまにご紹介させていただきたいと思うんですよね・・・。
これからも、素敵で可愛い、みなさまに喜んでいただける商品を、
少しでもお手頃価格でご提供できるようがんばりますので今後ともどうぞよろしくお願いいたします(*^^)v
ああっ、みなさま、わたしったら今日の夕方、道端でカラスの死体を発見してしまったんです(>_<)
カラスのことなんてもう忘れたいのに。来年まで^_^;
でもね・・・やはり、いい気持ちはしませんでした。
死因はわかりませんけれど、何だかやっぱり・・・つらかったです・・・
気がついたら、手を合わせていました・・・あーあ。
さて。
昨日、カトリックのシスターであり、日本グリーフケア研究所・所長のシスター高木にお会いしたのですが、
ぜひともみなさまにも聞いていただきたいお話をしてくださったので、要約して書いてみようと思います。
ちなみに、シスター高木は最近よく新聞に出ております。
この時期ですから、シスターが深く関わっていらっしゃるJR脱線事故の関連ですね。
ご遺族の心のケアに、最初からずっと関わっていらっしゃるのです。
最近では、東京新聞とかいうのにドアップの顔写真つきで出ていたらしいですね。
5/15 シスター高木慶子のお言葉
『先日NHKで、大人可愛い・・・でしたか? ファッションについての特集番組をやっていました。
NHKニュースを観ていたらそのままその番組になったので、ついつい観てしまったんですね。
内容は、30代、40代の女性たちのファッションが、どんどん自由になってきている、というものでした。
ミニスカートを履いた30代の女性を見て、わたしは、個人的な意見ではありますが、
まあ、素敵! と思ったのです。
自由なファッションは、自由な心につながっていますから、何とも気持ちの良いものだと思いました。
しかし、司会をなさっていたある女性が「これは逃げですか?」とおっしゃったんです。
「この方たちはファッションに逃げているのですか?」と。
わたしはびっくりいたしましてね、すると、その場に居合わせた女性が、
すかさず、「違います! これは自己表現です!」とおっしゃいました。
わたしは、そのようにおっしゃった女性にとても好感を抱きました。
わたしたち日本人は、これまで、あらゆる規制の中で生きてきました。
人間が作った規制の中で、です。
こういうときには笑っちゃいけない、泣いちゃいけない、○○歳になったらこんな服を着なければならない・・・など、様々です。
守らなければ、村八分にされてしまいます。それが怖くて、他人と違うことをすることができなかったのです。
みなさま、どうか他人にもご自身にも、規制をしないでくださいね。
喜んでいる人に、こんなところで喜ぶな、泣いている人に、こんなところで泣くな、と言わないでくださいね。
自分らしいファッションを楽しんでいる人に、文句をつけないでくださいね。
自分を認め、相手を認める。
それがひいては、グリーフケアに優しい日本になっていくことだとわたしは思っています』
たまたまファッションの話題から、本題へ入った、ということではありますが、
何だかわたし、自分に対しての、そしてRose Partyのお客様へのエールのように感じ、
とてもいい気分で聞いておりました。
それにしても、わたしはその番組を観なかったので、観たかった・・・と悔やんでおります。
その夜・・・みなさんと食事に行った帰り、夙川の駅前で、六甲の修道院に帰られるシスターと偶然会いました。
シスターはとんでもない人気者ですから、あれよあれよという間にみんなに囲まれてしまいました。
みんなと話していたシスターは、あら、という感じでわたしに気づくと、
「あなたは、まさに『大人可愛い』の代表だわね」と満面の笑みでおっしゃいました。
わたしはあまりの嬉しさに、顔を真っ赤にしてうつむいてしまいました。
それでなくても、わたしはシスターが好きすぎて、話しかけられると極度に緊張し、
まともに応えられないくらいなのです・・・。
さらに、シスターは、両手で、わたしの体を、みんなのほうに向けて、
「ほら、上から下まで、なんて可愛いんでしょうね。あなたはまるで少女みたいだわ。あなたはとても自由なのね。本当に、素敵だわ」とおっしゃったのです。
そして、小さくて真っ白な手で、わたしの手を握り、
何かささやかれたのですが、あまりに緊張しすぎて、何と言われたのか、ちっとも覚えていないのです(>_<)
わたしが覚えているのは、シスターの小さな白い手が、ほんのりと冷たくてとっても気持ちよかったということだけでした・・・
二年ほど前のことです。
わたしが初めてシスターに声をかけられたときのことを思い出しました。
「あなた、いつもなんて可愛いのでしょう」
シスターはそうおっしゃいました。
わたしは、声をかけてもらったことに有頂天になりながらも、ちょっとだけびっくりしていました。
・・・何ともシスターらしからぬ言葉だな、と思ったからです。
でも、それは決して不快な感情ではなく、
それどころか、俗的なこととは無縁でいらっしゃるとばかり思っていたシスターが、
女性のファッションに多少なりとも目を向けていらっしゃる、という
その意外性が小気味良くてうれしかったのです。
「いつも」とおっしゃった限りは、これまでもわたしのことを見ていてくれたんだ、と思うと、さらにうれしくなりました。
この場には、シスターのお話が聞きたくて、シスターの顔が見たくて、たくさんの人が集まります。
ですから、当時新参者だったわたしを、シスターが気にかけてくれているなど、
夢にも思わなかったのです。
シスターの夏用修道服は特注であり(とても爽やかな空色です)いつも女性らしく身綺麗になさっていることは
後に、別のシスターから伺って、知ったことです。
以前にも書いたことがありますが、シスター高木は、現在70代前半ですが、はっとするほど美しい方です。
わたしたちは、陰で・・・ですが、若い頃のシスターはどんなに男性にもてただろう、と言い合っているくらいです。
もちろん大学卒業と同時に修道女になられていますから、いくら男性が声をかけてきても応えることはなかったでしょうけれど。
小柄で、肌の色が真っ白で、まるで赤ちゃんのようにすべすべです。
修道服をお召しだからなおのこと、その美しさが際立ちます。
あの服を着ていてそれでも神々しいくらいに美しい、ということは、
元がどれほど美しいかがお分かりいただけると思います。
シスターは、その後も、お会いするたび、「あなたは本当に可愛いわ」とおっしゃるのです。
(さあ、みなさま、マキのうぬぼれが始まった、とPCを閉じてはいけません。わたしの話にはいつもオチがついていることをみなさまはご存知のことと思います!)
そのたび、シスターは満面の笑みで、わたしの手や腰や肩に優しく触れてくださるのです。
そして、ダーのことも覚えていてくださって、優しい言葉を一つ二つかけてくださるのです。
それでも、わたしは、ちょっと複雑な気持ちでした。
なんでシスターはわたしに会うたび、「可愛いわね」と言うのだろう。
しかもおべんちゃらでは決してない、心の底から言っているのがわかる。
もう可愛いって言ってもらえる年齢でもないし・・・
それに・・・わたしは自分の顔形に、どんどん自信がなくなってきているのに。
いつも書いているように、そばかすだらけで、
最近はほうれい線に悩まされています^_^;
また、早すぎるんじゃない? と言われつつも、白髪にも悩まされています。
この白髪について、ほとんどの人は、真実を知りません。
これはブログでは初めて告白しますが、4年半前、わたしは、彼が、かなり進行したガンで、残りの命は短い(実際にはその後2年間生きましたが)、と、
突然、何の前触れもなく告げられたその日から一週間、文字通りの生き地獄を味わいました。
後にも先にもあんなにつらい一週間を経験したことはありません。
正直、彼の死の前後よりも苦しかった。
一瞬にして世界がひっくり返りました。
あのときのことを思い出すと、今でも身が震えます。
雪の降る日に、一人、いつまでもバス停のベンチに座って泣き続けたことを思い出すと、
そして、心の底から神様を憎み、あらゆる罵声を浴びせ、お願いですからわたしを殺してください、彼が死ぬまでにどうかわたしを死なせてください、と、神様に挑戦状を叩きつけたことを思い出すと、
心が凍りつきます。
それくらい、苦しかった。
そんな一週間を過ごしたのち、少し落ち着いてきたわたしは、一週間ぶりに鏡を見ました。
普段なら日に何度ものぞく鏡ですが、そのときは自分どころではありませんでした。
化粧水をつけた記憶もないので、肌はカサカサでした。
一週間ぶりに鏡の中で自分の姿と対面したわたしは、そこに、肌の荒れ以上にひどいものを見つけて、
あっ、と声を上げました。
後頭部に、白髪がごっそりとあるのです。
数はわかりません。数えるような気力はありませんでした。
少なくとも数百本・・・かたまりのようになって・・・まるで、そこだけに人工的に植えつけたような感じで。
捕らえられ、監獄されたマリー・アントワネットが一夜にして白髪になった話は有名です。
わたしは、その話はウソじゃなかったんだ、と思いました。
同時に、この一週間に、自分が受けたストレスが、どれほど凄まじいものだったか、を思って身震いしました。
気持ちが落ち着いてきても、白髪は元に戻りませんでした。
わたしは元々髪を明るくしていますし、白髪になっても、
とても信頼のおける美容師さんにお願いしているので、ほとんど目立ちません。
けれども、時間的余裕がなくて美容院に行けなくなると、後頭部の白髪がわかり始めます。
とにかく、白髪だけでなく、日毎に、現実的な目で見るところの容姿に自信がなくなってきているというのに、
なぜ、シスターは、わたしを「可愛い」とおっしゃってくださるのでしょうか。
答えの一つは、昨日のシスターのお話の中から発見しました。
わたしは、教会へ行くにも死別の会に行くにも、フリルやレースの見るからに可愛い服を着ています(色は白を選びます。クローゼットの半分以上は白ですし、キリスト教では白は特別な色ですから)。
それは、ダーが、可愛い服を意気揚々と着ているわたしが好きだった、ということもありますが、
何より自分の好みだからです。
シスターは、まさにそこの部分を褒めてくださっていたのです。
教会だから、死別の会だから、といって、好きでもない黒い服や灰色の服を着てこない、いつも通りの好みに徹した服を堂々と着ていることで、
わたしが自己表現をしている、自由に生きている、自身に規制をしていない、というのを感じとり、
そこを褒めてくださっていたのです。
もう一つは、全体の雰囲気だと思うのです。
可愛い服、ふんわりほんわりした服が全身に、つまりその人自体に、もたらす効果というものはすごいのです。
「何だか可愛い女の人」と言われる人はたいてい、ふんわりしています^_^;
間違ってもギスギスしていません。
ふんわりとしたフリルやレースで身を包み、
淡い色や白を好んで着ています。
髪はくるくる巻いていたり、ふわふわしていたりします^_^;
くり返しになりますが、わたしは容姿に自信を失いかけています。これは本当のことです。恥ずかしいけれど本当のことです。
歳を重ねた上に、苦労まで重ねてしまうと、誰だって自信を失います^_^;
わたしほどではないけれど、
かなり自信を失っている・・・とおっしゃる方が、このブログをご覧になっている方々の中にもいらっしゃると思います。
でも、大丈夫です。
歳を重ねたり苦労をしたりで容姿に自信を失っている人でも、
可愛い雰囲気というものは、作り出せるのです。
それは顔形ではありません。体つきでもありません。
「何だか可愛い」と思われている女の人が周囲にいれば、その人を失礼ながらよくご覧になっていただきたいのです。
その方は、なぜ可愛い、あるい可愛らしく見える、のでしょうか。
たいていの場合、全体の雰囲気ではありませんか?
いわゆる「可愛いオーラ」だと思うのです。
だってよく見れば、シミやそばかすもあるし、それほど美人ってわけでもない。
全体が醸し出す雰囲気が「何だか可愛い」のです。
ですから、ちょっと自信ないなあ・・・と思っていらっしゃる方も、
全身に漂う雰囲気というものを、お洋服の力を借りて、自分の手で、自分の好みで、作り出せばよいのです。
コツさえつかめば自由自在です。
鏡の中の自分が少しずつ可愛くなれば、心も元気になっていきます。
フリルやリボンのお洋服だけをすすめているのではありません。
好きなものを好きなように自由に着ることで、自分の好きな雰囲気、また、周囲に、「こんなふうに見てもらいたい自分」を演出すればよいのです。
芸能人ではありませんから、誰かに演出してもらうことはできません。
だから自分でするのです。
楽しみながらするのです。
好きなものを身につける、というのは、
番組で反論した女性の言うとおり、自己表現です。
そして、シスターのおっしゃる「自由」への道を歩む、そのきっかけです。
自分が自由でいれば、他人の自由を羨むこともありません。
自分が好きな格好をしていれば、他人の格好も認められるでしょう。
それが自分の好みでなくても、認められるでしょう。
他人を抑え付けるのは、自分が抑え付けられているからに他なりません。
いくら、自由に! とわたしがこの場で言ったって、
お葬式にピンクの服を着ていく人はいないはずです。
目上の人との食事に、ミニスカートを履いていく人はいないはずです。
それは「非日常」であり、「いつもの自分」ではありません。
大切なのは、「いつもの自分」365日のうちの350日くらいの日常的な自分であり、
日常的な楽しみの中の一つに、自分を演出するという、何よりも楽しい楽しみを作ることです。
目指すは、心が伴う「大人可愛い」。
最高ではありませんか。
それにしても、
シスターが「大人可愛い」と言うたび、何だかおかしくて、
そんな言葉を使うシスターこそ可愛いですよ、と言いたくなってどうしようもなかったけれど、
シスターに対してそんな口は決して聞けなかったわたしです^_^;
日中は暖かいけれど、朝晩が冷えますネ・・・(~_~)
みなさま体調崩されませんように。
本日の新作も大ブレイクを頂戴しましてありがとうございます。
お洋服が・・・ジャケットが・・・クチュールスカートが・・・メルマガを出す前から・・・すごい勢いで・・・(>_<)
みなさまブログをご覧になって狙っていてくださっていたようで・・・ありがとうございます。
狙っていたのに買えなかった・・・とおっしゃるみなさま、申し訳ございません。
ちょっと言い訳しちゃおうかしら。
今回に限らず、セレクトファッションは、旧作ではなく、メーカー新作ばかりなんです。
新作なのに割引してもらえる理由は・・・
第一に、わたしにとって非常に近い人物がアパレルをやっていることと、
その他の様々な理由で(企業ヒミツって言うのでしょうか^_^; うちはちっちゃなお店ですけれど^_^;)、驚異の割引率を実現しているんですよね。
その他の様々な理由の中の一つに、
「メーカー在庫割れやメーカーセールを狙う」というのがありまして^_^;
当然のことですが、常日頃から、素敵なものを少しでもお安く・・・と思いながら商品を選びますので、在庫割れやメーカーセールはわたしにとって、つまりみなさまにとって、非常に魅力的なんです。
わたし、メーカーセールの日は、どのアイテムがセールになるのか、わたしが狙っているアイテムはどこに置かれているのか(場所)、まで事前に調べて、
戦闘意欲満々で仕入れに走るんです^_^;
そうやってがんばっても、在庫割れやメーカーセールとなると、数がほとんど揃わないのです・・・
でもっ、揃わなくても、たとえ少量であっても、みなさまにご紹介させていただきたいと思うんですよね・・・。
これからも、素敵で可愛い、みなさまに喜んでいただける商品を、
少しでもお手頃価格でご提供できるようがんばりますので今後ともどうぞよろしくお願いいたします(*^^)v
ああっ、みなさま、わたしったら今日の夕方、道端でカラスの死体を発見してしまったんです(>_<)
カラスのことなんてもう忘れたいのに。来年まで^_^;
でもね・・・やはり、いい気持ちはしませんでした。
死因はわかりませんけれど、何だかやっぱり・・・つらかったです・・・
気がついたら、手を合わせていました・・・あーあ。
さて。
昨日、カトリックのシスターであり、日本グリーフケア研究所・所長のシスター高木にお会いしたのですが、
ぜひともみなさまにも聞いていただきたいお話をしてくださったので、要約して書いてみようと思います。
ちなみに、シスター高木は最近よく新聞に出ております。
この時期ですから、シスターが深く関わっていらっしゃるJR脱線事故の関連ですね。
ご遺族の心のケアに、最初からずっと関わっていらっしゃるのです。
最近では、東京新聞とかいうのにドアップの顔写真つきで出ていたらしいですね。
5/15 シスター高木慶子のお言葉
『先日NHKで、大人可愛い・・・でしたか? ファッションについての特集番組をやっていました。
NHKニュースを観ていたらそのままその番組になったので、ついつい観てしまったんですね。
内容は、30代、40代の女性たちのファッションが、どんどん自由になってきている、というものでした。
ミニスカートを履いた30代の女性を見て、わたしは、個人的な意見ではありますが、
まあ、素敵! と思ったのです。
自由なファッションは、自由な心につながっていますから、何とも気持ちの良いものだと思いました。
しかし、司会をなさっていたある女性が「これは逃げですか?」とおっしゃったんです。
「この方たちはファッションに逃げているのですか?」と。
わたしはびっくりいたしましてね、すると、その場に居合わせた女性が、
すかさず、「違います! これは自己表現です!」とおっしゃいました。
わたしは、そのようにおっしゃった女性にとても好感を抱きました。
わたしたち日本人は、これまで、あらゆる規制の中で生きてきました。
人間が作った規制の中で、です。
こういうときには笑っちゃいけない、泣いちゃいけない、○○歳になったらこんな服を着なければならない・・・など、様々です。
守らなければ、村八分にされてしまいます。それが怖くて、他人と違うことをすることができなかったのです。
みなさま、どうか他人にもご自身にも、規制をしないでくださいね。
喜んでいる人に、こんなところで喜ぶな、泣いている人に、こんなところで泣くな、と言わないでくださいね。
自分らしいファッションを楽しんでいる人に、文句をつけないでくださいね。
自分を認め、相手を認める。
それがひいては、グリーフケアに優しい日本になっていくことだとわたしは思っています』
たまたまファッションの話題から、本題へ入った、ということではありますが、
何だかわたし、自分に対しての、そしてRose Partyのお客様へのエールのように感じ、
とてもいい気分で聞いておりました。
それにしても、わたしはその番組を観なかったので、観たかった・・・と悔やんでおります。
その夜・・・みなさんと食事に行った帰り、夙川の駅前で、六甲の修道院に帰られるシスターと偶然会いました。
シスターはとんでもない人気者ですから、あれよあれよという間にみんなに囲まれてしまいました。
みんなと話していたシスターは、あら、という感じでわたしに気づくと、
「あなたは、まさに『大人可愛い』の代表だわね」と満面の笑みでおっしゃいました。
わたしはあまりの嬉しさに、顔を真っ赤にしてうつむいてしまいました。
それでなくても、わたしはシスターが好きすぎて、話しかけられると極度に緊張し、
まともに応えられないくらいなのです・・・。
さらに、シスターは、両手で、わたしの体を、みんなのほうに向けて、
「ほら、上から下まで、なんて可愛いんでしょうね。あなたはまるで少女みたいだわ。あなたはとても自由なのね。本当に、素敵だわ」とおっしゃったのです。
そして、小さくて真っ白な手で、わたしの手を握り、
何かささやかれたのですが、あまりに緊張しすぎて、何と言われたのか、ちっとも覚えていないのです(>_<)
わたしが覚えているのは、シスターの小さな白い手が、ほんのりと冷たくてとっても気持ちよかったということだけでした・・・
二年ほど前のことです。
わたしが初めてシスターに声をかけられたときのことを思い出しました。
「あなた、いつもなんて可愛いのでしょう」
シスターはそうおっしゃいました。
わたしは、声をかけてもらったことに有頂天になりながらも、ちょっとだけびっくりしていました。
・・・何ともシスターらしからぬ言葉だな、と思ったからです。
でも、それは決して不快な感情ではなく、
それどころか、俗的なこととは無縁でいらっしゃるとばかり思っていたシスターが、
女性のファッションに多少なりとも目を向けていらっしゃる、という
その意外性が小気味良くてうれしかったのです。
「いつも」とおっしゃった限りは、これまでもわたしのことを見ていてくれたんだ、と思うと、さらにうれしくなりました。
この場には、シスターのお話が聞きたくて、シスターの顔が見たくて、たくさんの人が集まります。
ですから、当時新参者だったわたしを、シスターが気にかけてくれているなど、
夢にも思わなかったのです。
シスターの夏用修道服は特注であり(とても爽やかな空色です)いつも女性らしく身綺麗になさっていることは
後に、別のシスターから伺って、知ったことです。
以前にも書いたことがありますが、シスター高木は、現在70代前半ですが、はっとするほど美しい方です。
わたしたちは、陰で・・・ですが、若い頃のシスターはどんなに男性にもてただろう、と言い合っているくらいです。
もちろん大学卒業と同時に修道女になられていますから、いくら男性が声をかけてきても応えることはなかったでしょうけれど。
小柄で、肌の色が真っ白で、まるで赤ちゃんのようにすべすべです。
修道服をお召しだからなおのこと、その美しさが際立ちます。
あの服を着ていてそれでも神々しいくらいに美しい、ということは、
元がどれほど美しいかがお分かりいただけると思います。
シスターは、その後も、お会いするたび、「あなたは本当に可愛いわ」とおっしゃるのです。
(さあ、みなさま、マキのうぬぼれが始まった、とPCを閉じてはいけません。わたしの話にはいつもオチがついていることをみなさまはご存知のことと思います!)
そのたび、シスターは満面の笑みで、わたしの手や腰や肩に優しく触れてくださるのです。
そして、ダーのことも覚えていてくださって、優しい言葉を一つ二つかけてくださるのです。
それでも、わたしは、ちょっと複雑な気持ちでした。
なんでシスターはわたしに会うたび、「可愛いわね」と言うのだろう。
しかもおべんちゃらでは決してない、心の底から言っているのがわかる。
もう可愛いって言ってもらえる年齢でもないし・・・
それに・・・わたしは自分の顔形に、どんどん自信がなくなってきているのに。
いつも書いているように、そばかすだらけで、
最近はほうれい線に悩まされています^_^;
また、早すぎるんじゃない? と言われつつも、白髪にも悩まされています。
この白髪について、ほとんどの人は、真実を知りません。
これはブログでは初めて告白しますが、4年半前、わたしは、彼が、かなり進行したガンで、残りの命は短い(実際にはその後2年間生きましたが)、と、
突然、何の前触れもなく告げられたその日から一週間、文字通りの生き地獄を味わいました。
後にも先にもあんなにつらい一週間を経験したことはありません。
正直、彼の死の前後よりも苦しかった。
一瞬にして世界がひっくり返りました。
あのときのことを思い出すと、今でも身が震えます。
雪の降る日に、一人、いつまでもバス停のベンチに座って泣き続けたことを思い出すと、
そして、心の底から神様を憎み、あらゆる罵声を浴びせ、お願いですからわたしを殺してください、彼が死ぬまでにどうかわたしを死なせてください、と、神様に挑戦状を叩きつけたことを思い出すと、
心が凍りつきます。
それくらい、苦しかった。
そんな一週間を過ごしたのち、少し落ち着いてきたわたしは、一週間ぶりに鏡を見ました。
普段なら日に何度ものぞく鏡ですが、そのときは自分どころではありませんでした。
化粧水をつけた記憶もないので、肌はカサカサでした。
一週間ぶりに鏡の中で自分の姿と対面したわたしは、そこに、肌の荒れ以上にひどいものを見つけて、
あっ、と声を上げました。
後頭部に、白髪がごっそりとあるのです。
数はわかりません。数えるような気力はありませんでした。
少なくとも数百本・・・かたまりのようになって・・・まるで、そこだけに人工的に植えつけたような感じで。
捕らえられ、監獄されたマリー・アントワネットが一夜にして白髪になった話は有名です。
わたしは、その話はウソじゃなかったんだ、と思いました。
同時に、この一週間に、自分が受けたストレスが、どれほど凄まじいものだったか、を思って身震いしました。
気持ちが落ち着いてきても、白髪は元に戻りませんでした。
わたしは元々髪を明るくしていますし、白髪になっても、
とても信頼のおける美容師さんにお願いしているので、ほとんど目立ちません。
けれども、時間的余裕がなくて美容院に行けなくなると、後頭部の白髪がわかり始めます。
とにかく、白髪だけでなく、日毎に、現実的な目で見るところの容姿に自信がなくなってきているというのに、
なぜ、シスターは、わたしを「可愛い」とおっしゃってくださるのでしょうか。
答えの一つは、昨日のシスターのお話の中から発見しました。
わたしは、教会へ行くにも死別の会に行くにも、フリルやレースの見るからに可愛い服を着ています(色は白を選びます。クローゼットの半分以上は白ですし、キリスト教では白は特別な色ですから)。
それは、ダーが、可愛い服を意気揚々と着ているわたしが好きだった、ということもありますが、
何より自分の好みだからです。
シスターは、まさにそこの部分を褒めてくださっていたのです。
教会だから、死別の会だから、といって、好きでもない黒い服や灰色の服を着てこない、いつも通りの好みに徹した服を堂々と着ていることで、
わたしが自己表現をしている、自由に生きている、自身に規制をしていない、というのを感じとり、
そこを褒めてくださっていたのです。
もう一つは、全体の雰囲気だと思うのです。
可愛い服、ふんわりほんわりした服が全身に、つまりその人自体に、もたらす効果というものはすごいのです。
「何だか可愛い女の人」と言われる人はたいてい、ふんわりしています^_^;
間違ってもギスギスしていません。
ふんわりとしたフリルやレースで身を包み、
淡い色や白を好んで着ています。
髪はくるくる巻いていたり、ふわふわしていたりします^_^;
くり返しになりますが、わたしは容姿に自信を失いかけています。これは本当のことです。恥ずかしいけれど本当のことです。
歳を重ねた上に、苦労まで重ねてしまうと、誰だって自信を失います^_^;
わたしほどではないけれど、
かなり自信を失っている・・・とおっしゃる方が、このブログをご覧になっている方々の中にもいらっしゃると思います。
でも、大丈夫です。
歳を重ねたり苦労をしたりで容姿に自信を失っている人でも、
可愛い雰囲気というものは、作り出せるのです。
それは顔形ではありません。体つきでもありません。
「何だか可愛い」と思われている女の人が周囲にいれば、その人を失礼ながらよくご覧になっていただきたいのです。
その方は、なぜ可愛い、あるい可愛らしく見える、のでしょうか。
たいていの場合、全体の雰囲気ではありませんか?
いわゆる「可愛いオーラ」だと思うのです。
だってよく見れば、シミやそばかすもあるし、それほど美人ってわけでもない。
全体が醸し出す雰囲気が「何だか可愛い」のです。
ですから、ちょっと自信ないなあ・・・と思っていらっしゃる方も、
全身に漂う雰囲気というものを、お洋服の力を借りて、自分の手で、自分の好みで、作り出せばよいのです。
コツさえつかめば自由自在です。
鏡の中の自分が少しずつ可愛くなれば、心も元気になっていきます。
フリルやリボンのお洋服だけをすすめているのではありません。
好きなものを好きなように自由に着ることで、自分の好きな雰囲気、また、周囲に、「こんなふうに見てもらいたい自分」を演出すればよいのです。
芸能人ではありませんから、誰かに演出してもらうことはできません。
だから自分でするのです。
楽しみながらするのです。
好きなものを身につける、というのは、
番組で反論した女性の言うとおり、自己表現です。
そして、シスターのおっしゃる「自由」への道を歩む、そのきっかけです。
自分が自由でいれば、他人の自由を羨むこともありません。
自分が好きな格好をしていれば、他人の格好も認められるでしょう。
それが自分の好みでなくても、認められるでしょう。
他人を抑え付けるのは、自分が抑え付けられているからに他なりません。
いくら、自由に! とわたしがこの場で言ったって、
お葬式にピンクの服を着ていく人はいないはずです。
目上の人との食事に、ミニスカートを履いていく人はいないはずです。
それは「非日常」であり、「いつもの自分」ではありません。
大切なのは、「いつもの自分」365日のうちの350日くらいの日常的な自分であり、
日常的な楽しみの中の一つに、自分を演出するという、何よりも楽しい楽しみを作ることです。
目指すは、心が伴う「大人可愛い」。
最高ではありませんか。
それにしても、
シスターが「大人可愛い」と言うたび、何だかおかしくて、
そんな言葉を使うシスターこそ可愛いですよ、と言いたくなってどうしようもなかったけれど、
シスターに対してそんな口は決して聞けなかったわたしです^_^;