オリジナルインテリア「Rose Party~Since 2003~」マキとスタッフのブログ♪RueRueと薔薇♪

20周年!オリジナルインテリアと大人可愛いファッション、高橋真琴の生活用品を少女のココロを忘れない女性たちへ。

対照的。

2010-05-26 | 新作速報&話題いろいろ
おこんばんは

本日の新作も大人気をいただきまして
みなさまいつもありがとうございます。
キャミソール、めちゃくちゃかわいいでしょう(*^^)v
いやあ、すごい人気でしたね、爆発して、即完売しちゃいました^_^; 



先日の月曜日・仕入れ時の格好^m^

ルネの新作ニットに数年前に買ったハロッズのカーデ、こちらも数年前に買ったフォクシーのスカートにルネのカメリアバッグ。

雨だったので
くすみピンクのフリフリ傘持っていました(*^^)v




実は悲惨な目に遭う一時間くらい前のあたし。
こんなに機嫌よく自分の写真撮ってたのにさ、ドえらい目に遭いましてね。

仕入先で、階段から転げ落ちちゃってね^_^;
いや、もう大丈夫ですよ、病院に行くほどじゃなかったし(もっとも、その場に居合わせた人たちは、骨折したんじゃないか、と気を揉んでいましたけれどネ)。

その階段がまあ、硬いのなんのって。硬いって表現でいいのかどうかわからないけれど
とにかく大理石みたいな硬さで、転げ落ちている間中、膝の下辺りを打ちまくってですね、
みなさま想像してみてくださいよ、何十秒かのその間、ずっとずっと硬いものにガンガン打ちのめされ、それを止めることもできない、
まさに、されるがまま、やられるがまま、
ああ、何と無力な! 何という屈辱だろう!

さっきまで、ほんの一時間前まで、機嫌よく写真撮っていたのに、今は階段から転げ落ちるという堕落。
人生一寸先は闇。このときほど、この言葉が身にしみたことはありませんでした。

それにしても、まあ、痛いの何のって!
全身コレ痛みの権化、失神しそうになりました。

痛みもさることながら、スタッフらがびっくりして駆け寄ってきて、大騒ぎになっちゃって。
「大丈夫?」「骨折したんじゃないか!」「おい、運んで!」とかね。
しかし、こちとらもう、この壮絶な痛みと夢中になって闘っているものですから、
誰にも話しかけられたくないわけですよ^_^;
ほら、みなさまも経験ありますでしょ、たとえば歯痛で死ぬほど苦しんでいるとき、
家族であれ誰であれ「大丈夫?」「そんなに痛いの?」とか、不用意に声をかけられたら、イライラっっ、ってしますよね。
ああっ、話しかけないで! 頼むから黙ってて! みたいな。
あたしゃ今この痛みと闘うのに全力投球中で、返事をしている余裕などないんだ、みたいな
ね、逆ギレ寸前ですよ、ええ。

それに恥ずかしいわけですよ、生き恥さらしているようなもんですよ、
みなさま、ちょっと想像してみてくださいな、↑のあの格好で、あの素敵にかわいい格好で、
階段からゴロゴロ、まるで球のように、転げ落ちたんですよ、しかも、膝下ガンガン打ちまくり。

「ローズパーティが、あの格好で、階段からゴロゴロ転げ落ちた。しかもあまりの痛みに失神しかけて、目には涙がにじんでいた」
そんな噂が立っているかと思うと、
もう二度とあのメーカーさんには行きたくないけれど、そんなわけにもいきませんよね。

ま、骨折もしていなかったし、しばらく休んでそのまま仕入れ続行できたので
結局は大したことなかったんですけれどね^m^
今、わたしの左足のふくらはぎ全体が、赤紫に腫れあがっております。
見物でございます、ええ。
けれども、歩くのにも仕事するのにも全く支障はございません。

ほんま、おっちょこちょいですよね・・・
でも、階段って怖いです。ほら、前にも自宅の階段から転げ落ちて、
お尻に直径20センチの巨大アザを作ったことを話しましたけれど、
階段ってほんと注意しなければならないですね。
下手すると、ちょっとした悪魔みたいなもんですよ、階段ってね、ええ。
みなさまもご注意を。どんなに急いでいても手すりを持ってゆっくり下りることをおススメいたします(アンタがそれを実行しなさい)。


さ、話題を変えます^_^;


先日、毎日集荷にやってきてくれるヤマトのおっちゃんに、
実家から送られてきた超おいしいマンゴージュースをあげたら、
「マンゴーか、懐かしいなあ」とおっしゃってね、
「へぇぇ、なんで?」って訊いたら
ヤマトに勤める前はある商社にいて、年に何度もアジア方面に出張に出ていたそう。
おいしいマンゴーは日本では高価だけれど、あちらでは一個100円とかで売っていて
それが非常に美味とのこと。

「よくご存知ですね~~」と言ったら、
Aさんは少し照れて、こんなこと知っていてもたいしたことはないですよ、とおっしゃいました。

いやいや、そんなことはないですよ。
マンゴー一つのことですが、わたしはAさんが知っている「マンゴーについて」の知識をちっとも知りませんでしたからね。

わたしはこういう、思いがけない人から思いがけない話を聞くたび、
感心すると同時に、何だかうれしくなっちゃいます^m^
わたしたちが日頃感心するのは、すごいなあ、と思ったり言ったりするのは、
高学歴だったり、いい職業についていたり、権力があったり、お金持ちだったり・・・そんな人たちが多いと思いますが、
そんなもん一つも持っていなくても、
いくらでも、人は人を感心させることができるんですよね。
Aさんのように、謙遜であればあるほど、ね。

以前、ある人が、「僕は何にもありませんからね、学歴もないし財産もない。姿形も良くない、口下手で、いやいや、本当に何にもなくって自分でもあきれちゃいますよ」と
笑いながら言ったとき、
わたしは心の中で、
いやいや、あなたには謙虚な心があります、羨ましいです、わたしにも分けてほしいくらいです、
学歴や財産や見た目の姿形は、魂になった瞬間消えてしまうじゃないですか、そんなもん一つも天には持っていけないんですよ、
でも、あなたのその、謙虚な心は、天に持ち帰り、神様の前に差し出すことができますよね、うらやましいです、と
しきりに思っていました。

対照的な話があります。

先日のことなんですけれどね、仕入れの帰り地下鉄に乗っておりましたら、
わたしの向かいに、とんでもなくかわいい女性が座っていましてね、
歳のころ20代半ば、お洋服は全体的に淡いミルクティ色にまとめ、レオパード柄の雨傘を持ち、かなりのオシャレさんだということは、一目見てわかりました。
お洋服もかわいいのですが、お顔がまたかわいい。ミナミやキタを歩いていても
なかなかこんなかわいい女の子はいないなあ、と思いました。
ふと見ると、その子の隣に座っていた、こちらも20代半ばと思われる女性が、こっくりこっくり居眠りをはじめましてね、
しばらくすると、深い眠りにつきそうになり、頭が、カクン、と・・・かわいい女の子の肩に落ちようとしたその瞬間、
かわいい女の子が、ものすごい形相で、もたれかかってきた頭を、バッ! と手で振り払ったんですよね、
それはそれは邪険に・・・。
んで、その後もずっとブスッとしていました^_^;

いやー・・・びっくりしましたね。同時に、幻滅しました。おまけに同情しました。
何もかもがこんなにかわいい子なのに、きっと不幸な人なんだろうなあ、って。
幸せな人は、こんなことしませんからね・・・頭がよりかかってきても、ああ、疲れているんだなあ、と思って、肩くらい貸してあげますよ。貸してくださいよ。

ほんま、何と驕り高ぶった人なんだろう、と思いました。
あんなにかわいい、と思っていたのに、その後はもう、いじわる女にしか見えなかったよ^_^;

先日も書きましたけれど、
見た目がどんなに良くても、そこに心が伴っていなければ、何にもならないんですね。
ある意味彼女はかわいそうですよ、別の意味でも。
だって、見た目がかわいいからなおのこと、あの態度に、周囲はショックが大きいですよ^_^;

新約聖書にこんな言葉がありますよ。

『イエスは招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気づいて
彼らにたとえ話をされた。

招待されたら上席に着いてはならない。あなたよりも身分の高い人が招かれており
あなたやその人を招いた人が来て「この方に席を譲ってください」と言うかもしれない。
そのとき、あなたは恥をかいて末席に着くことになる。
招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。
そうすれば、あなたを招いた人が来て
「さあ、もっと上席にすすんでください」と言うだろう。
そのときは同席の人みんなの前で、面目を施すことになる。

だれでも高ぶる者は低くされ
へりくだる者は高められる』ルカによる福音書 14. 7-11

こんなふうにもおっしゃっていますね。

『あなたがたの皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である』ルカによる福音書 9. 48

これを読むと、わたしはいつも、謙虚でいたいと願いながら、そうなれないことのほうが多い自分を、とても恥ずかしく思っちゃいます。
恥ずかしいからこそ、何度も何度も読み返してしまいます。

聖書の中で、イエスさまはいつも、たとえ話を用いられて、弟子やその他の人々に
教えを説きます。
このたとえ話がね~~本当にすごいんですよ、わかりやすくて、すっきりしていて。
聖書の中には、おびただしい数の、イエスさまによる「たとえ話」が出てきますが、
このたとえ話を読んでいると、
これは神にしか言えない、ゼッタイに人間には話せない言葉だ、と思ってしまいます。

旧約聖書は苦しみながら読み(手にしたことのある方にはご理解いただけるかと^_^;)、
新約聖書は、心トキめかせながら読むことができます。

簡単に言うと、旧約とはイエス・キリスト誕生以前、神(主)が古代イスラエル民族を通してご自身を記されたことが書かれていて、
新約は、イエス・キリスト誕生後の、神とキリストと弟子たちのことが書かれています。

えっと、牧師によると、聖書は基本的にどこから読んでもかまわないそうです(ただし一度は通読・・・つまり旧約から新約を通して読むことが必要)。

ただ、本来の聖書の読み方は、キリスト(キリストというのは救い主という意味・すなわちイエスのこと)中心であるからして、
新約聖書から、また、新約の中の「福音書」から読み、まず、イエス・キリストがいかなる方であったかを理解することが大切だそうです。

わたしも福音書から読むことをおススメいたします。
福音書は読めば読むほど心トキめき、もっともっと読みたくなります。
もっともわたしは、創世記に興味があったので旧約から読み、えらい思いをしましたけれど^_^;

聖書はいくつか種類がありますし、それによって多少訳し方も変わっておりますが
わたしは、日本聖書協会の「新共同訳」をおススメしたいと思います。
これは、カトリックとプロテスタントが共同で訳したもので、現在最も読まれているものだそうです。

聖書に対しての質問を数件お受けしましたので、応えてみました。

新約は、読めますョ、大丈夫(*^^)v
クリスチャンであろうとなかろうと、そんなの関係ないっす。
聖書は、誰にとっても、心の師・心の糧となりえます。
心の食事・・・しかも最高に贅沢で美味な食事となりえます。
ギトギトした心が、スッキリキレイになるという、心のクリーニング効果もございます。←あたしにしてはめずらしく巧い締めくくりだ。たぶん。