オリジナルインテリア「Rose Party~Since 2003~」マキとスタッフのブログ♪RueRueと薔薇♪

20周年!オリジナルインテリアと大人可愛いファッション、高橋真琴の生活用品を少女のココロを忘れない女性たちへ。

5/25or26更新予定新作速報!

2010-05-24 | 新作速報&ロマンティックアイテム
今日もテキストのみだし、昨日のブログに追記しようと思ったら
10000文字を超えてしまってできなかった^_^;

何だか肌寒いですね。みなさまご自愛ください。

今日は定休日で仕入れに出ておりました。しょっぱなから大変な目に遭い(あたしがおちょこちょいなせい^_^;)、
ココに書いてみなさまに笑っていただきたいのですが
今夜はどうしても時間がとれないので次回にネ\(-o-)/

えっとえっと。
明日5/25火曜日or26水曜日に新作ドドーンとご紹介いたします
明日は発送が混雑しているのでどうかなあ・・・ごめんなさい、明日にならなければわかりません。

どれもとってもおススメなのですが、マキの一押しは
・メルヘンフリフリキャミソール
・デニム&レースブラウス

このメルヘンキャミソールが・・・! もうかわいいのなんのって。
見つけたとき、興奮のあまり、小躍りしました。
わたし、このキャミ、三着も買っちゃったんですよ、きっとこんなにかわいいキャミはこの先何年も出てこないだろう、と思って^_^;
三枚あれば10年くらい使えるかなあ、といいかげんな計算の上で目論んで(目論みすぎ!)。

それくらい好みで、それほどにかわいいのです。
お色はメルヘン薄ピンク(その色どんなん^_^;?)、うっとりするようなメルヘンピンクで、
全体がシフォンの段々フリル
カーデやジャケットのin、白ブラウスやニットにレイヤード、とにかくこのキャミは、何が何でも見せなきゃいけない、ひょっとしたらコーデの主役になるかもしれない、それほどかわいいのであります。
ふわふわ柔らかな素材で、伸縮性抜群なので、着心地も満点♪ とにかくびっくりするほどかわいいのでお見逃しなく^m^

デニム&レースブラウスも大ブレイク間違いなし♪
スウィートに着こなせる薄色デニム×ピンクタックフリルはホワイトレース、フロントにはおっきなハートボタンが並びます。
一枚ではもちろん、アウター(春夏用ミディアム丈コート)としてもお使いいただけるデザイン。
クチュールラインの美しい生地と縫製、リッチ感漂うデニムです。
ノーカラーなので着こなしの幅は広がります♪ おそろいでお持ちいただけるデニムトートもご紹介♪

先日即完売したクチュールギンガムブラウスのホワイトも♪
一緒にご紹介できなくてごめんなさい。
ホワイトは完売と聞いていたのに、メーカーさんのストックルームから三枚のみ出てきました^_^;
ホワイトも、薄ピンク同様、とっても清楚で素敵です

その他、裾レース刺繍のふんわりチュール膝丈スカート、真っ白とミルクティ。
特に真っ白は素敵すぎるのでぜひ♪
ピンタックフリル&ホワイトレースがロマンティックなブラウス♪
デニム&レースと似たデザインで、こちらも、アウターとしてもお使いいただけるデザイン。

また、ナイティメーカーのセールにてゲットしてきたかわいいナイティ(ふんわりドレス2アイテム、フリルいっぱいドレス)もご紹介いたします

どうぞお楽しみに(^.^)/~~~



不思議について。

2010-05-24 | 想い
まいどでございます。
天気の悪い日曜日ってめずらしいような・・・
平日どんなにうっとおしい天気でも
なんか日曜日っていつも晴れているイメージなんですけれどね。

どしゃぶりの雨のせいでダーの白薔薇がほとんど散ってしまいました・・・
さみしい。とってもさみしいです。
期間限定とはわかっていながらも、さみしくてたまりません・・・

こんなときにはついつい
「花の命は短くて 苦しきことのみ多かりき」胸のうち、つぶやいてしまいます。
ただ、ダーはコレが大嫌いでして^_^;
「人生をこんなふうに捉えるのは、僕の性に合わないんだよね・・・」って^_^;
「僕は悲劇のヒロインは苦手だし、同じように悲劇のヒーローにはなりたくないんだよ」って^_^;
彼らしいな、と思いつつ、たまには、感傷的になっても仕方ない、と思うわたしです。

ただ、この白薔薇は、季節はずれにも関わらず、一つだけ花を咲かせるという特技? を持っておりましてね、
たとえば、ダーの命日や(10月下旬ですよ!)、わたしがとっても落ち込んでいてしんどいときなど、
まるで慰めてくれるかのように、一つだけ花を咲かせるんですよ。
咲く花はいつも同じ(つまり同じ場所の同じ花)。
この花に、ダーが自分の魂を吹き込んでいることを、確信しているわたしです。

ダーが亡くなってから、不思議体験をたくさんしています。
これまで何度か、ちらちらっと書いてきたのですが、
そのたびに、どんな体験か教えてほしい、とおっしゃっていただいていたのですが、
なかなかそういう気持ちにはなれませんでした。
自分だけの大切なヒミツだったものですから^_^;

極一部の方には話しましたが、それは死別で苦しんでいる方々に対してだけ、です。
わたしの体験が少しでもその人たちの救いになってほしい、と思ったからです。

で、ここへきて、ようやく、他の方にも、少しお話しようかなあ・・・という気持ちになってきました。二年半もかかりました^_^;

わたし、いわゆる霊感なんて一つもなかったんです。そういうの大嫌いでした。
だから、自分が体験するまでずっと、その手のことはまったく信じていなかったんです。
その手の話をする人を見ると、アホちゃうか、くらいに思っていましたからね^_^;
死んだらそれでおしまい。灰になって、土に返って、おしまい。
死は最強にして最大の喪失。
死の定義とされているように、それは不可逆的なものであり、それ以外のナニモノでもない、って。

なのに、ダーが亡くなってしばらくすると、尋常ではないことが続けざまに起こりましてね、
季節はずれに咲く白薔薇以外にも、数え上げたらきりがないんですけれど、
みなさまがびっくりしそうなことをいくつか書くとすると、
まずは、コーヒーフィルター事件ね、これは死別の会で親しくなったKさんとの間で語り草になっているおもしろ不思議体験なんですけれどね。

イマンの二段式ポットには、アルミのフィルターがついていることを
ご存知の方はたくさんいらっしゃると思います。
わたしはフィルターを使わないので、食器棚の奥のほうにしまいこんでいたんですよ、
んで、ほとんどもう忘れておりました。

ある夜、夜中の2時くらいでしたね、さあ寝よう、と横になってしばらくしたら、
「ジ~」っていう変な電子音みたいなのが聞こえてきましてね、
夜中でシンと静まり返っていますから結構響くんですよ。

何かな、と思って、まずは部屋中見回して、その後一階におりて、それでも発信源が見つからないので、外にも出てみたんですけれど、やっぱり見つからない。
二階に戻ると、音がますます大きくなっている。
はっ、と気づいたんですよ。これはダーだ、と。
それまでにも何度か体験していましたからね。それにしては気づくのが遅すぎたんだけど、ま、とにかく気づいたわけです。

んで、血眼になって探してようやく見つけたんですよ。
発信源は、コーヒーフィルターでした^_^;
アルミ製のあの大きなフィルターが、食器棚の奥でくるくる回りながら音を出していたんですよ。
みなさまには想像がつかないと思いますけれど、わたしはこの目で・・・そうですね、約一分間くらい、あのフィルターが、まるで踊り子のようにくるくるくるくる回転しながら、ジ~ジ~鳴っているのを、見つめていました^_^;

くりかえしますが、あのフィルター、ただのアルミなんですよ、くるくる回る機能なんてどこにもついていない^_^;
しかも、音なんて出さない^_^; くるくる回って音が鳴るなんて、オルゴールじゃないんだからさ^_^;
わたし、大笑いしちゃいましてね、彼が天国に帰ってからすることって笑えることばかりなんですよ、
ちっとも怖くない。そこが重要でしてね、彼がわたしを怖がらせるようなことなんてしませんから。たとえ、びっくりはさせてもね。

それにしても、「科学者らしからぬ遊び」だったもので、本当に笑いこけました。
でも、ま、一応、あの手のコーヒーフィルターがそんなふうにくるくる回るというのは、
科学的に解明できるような現象なのか、否か、を調べてみました。
知り合いの専門家にも聞いてみました。
もちろん、そんなことは聞いたことも見たこともない、と言われました。
やっぱり科学者であった彼の「科学者らしからぬ遊び」でした^_^; ←つまり、科学的に解明できることがすべてではない、と彼はこれで証明している。

わたしが、大切に大切にしていた彼の形見のメガネを手放したときにも、
あとから泣いて悔やむわたしの目の前に、
巨大メガネの影が現れました^_^; それどんなん? と訊かれても、ただ、巨大メガネが、壁に、影絵みたいになって現れた、としか言えません^_^;
なんでメガネってわかった? と訊かれても、だってメガネそのものの形だったから・・・と、それしか言えません^_^;
簡単に言うと、そうですね、画用紙15枚分くらいの大きさの紙に、めちゃ絵の巧い人が
黒縁のメガネを描いた、みたいな、そんなのが壁に、影絵のように出てきて、
一分間くらいそのままでした^_^; んで、いつの間にか消えました。
そのときも大笑いしました。
ちっとも怖くないんですよ。
幽霊とかそんなんじゃないですからね、
あくまでメッセージですから^_^; しかも、このメガネのときには、ずいぶんと直接的でしたよね。
これは、彼のお茶目な性格が現れている「不思議」でした。

ちなみに、わたしが大切に大切にしていた彼の形見のメガネを手放したのは
ある人にあげたからなんですけれどね、
その人が形見が欲しい、メガネが欲しい、とおっしゃるものですから。
わたしは、心の中では、手放したくありませんでした。本当に大切にしていたものですから。彼が死の数日前までかけていたものですから。
でもね、もう少しで断りそうだったわたしの心の中に、不意に彼の声が聴こえてきたんですよ。
「マキ、渡してあげなさい。メガネがなくても僕はいつもマキのそばにいるじゃない。
マキ、気持ちよく渡してあげなさい」って。
彼らしい考え方ですよね、彼の気持ちを尊重してあげたくて、泣く泣く渡したんです。
だから、あのメガネの影絵? は、彼の言いつけを守ったわたしへのプレゼントだったんだと思います。それしか考えられませんからね。

でもたぶん、一番わかりやすいのは、ルウのデキモノが消えた事件ですかね。
ルウのお腹の辺りに、ぷっくりとしたデキモノができましてね、
ワンコによくありがちな皮膚ガンではないことは触ってわかったんですよ、見分け方をダーに教わっていましたからね、
ただ、良性であっても、大きくなると膿んできたりするから結局切除しなきゃならなくなるんです。
ただ、3ミリ程度だったのでしばらく様子を見ることにしましてね、
わたしは神経質なので、毎晩、定規で大きさを測っていたんですよ、大きくなっていないかどうかを確認するために。
切除の際、周りへの侵襲を少なくするため、1センチになったら病院に行かなきゃ、と思っていたので。
まあ大騒ぎするようなことではなかったのですが、やはり心配で、毎晩、彼の祭壇向かって、
「ちょっとぉ、ルウのデキモノなんとかしてや」と頼んでいたんですよ(わたしはいつも生きていたときと同じように話しかけます^_^;)。

デキモノ発見から三ヶ月くらいのときに、
献体した彼の遺骨が大学から戻ってきましてね、
その夜、ルウのデキモノが消えてしまいました^_^;
跡形もなく、消えちゃいました^_^;
毎晩毎晩定規で測っていたものが、忽然と姿を消したことに、わたしは大いに驚きましたけれど、
さもありなん、とは思いましたね、やってくれると思っていましたから。
彼は、なんと言ってもルウの主治医なのですから^_^;
わざわざ遺骨が家に帰ってきたその日にやっちゃうのが、おもしろいじゃないですか。
特別感ってのを彼が演出したんですネ。

ま、こんなふうに、「わたしの不思議」は数え上げたらきりがありません。

こーいうことを全く信じない、ただの偶然だ、と片付ける人もいますし、過去にはわたしもそうでしたから、
仕方ないとは思いますが、
わたしにとっては、彼からのメッセージ、ちゃんと生きているよ、心配しないで、再会できるよ、というメッセージであり、
とても神聖なものですから、むやみやたらと他人に言いたくはなかったのです。
ですから、初めて書きました。

ちなみに、わたしは、悪霊とか祟りとかそういうのは今でも一切信じていません。
人はどんな亡くなり方をしても、きちんと神様の胸に受け止められ、癒されますからね、後々まで人を恨んだりはしません、故人に対して失礼ですョ。
故人からの神聖なメッセージと、作り話の悪霊とを混同されるのはとても残念です(ーー;)
それから、神様や愛する故人からのメッセージを受けるのに、いわゆる「霊感」なんて必要ない、とわたしは思っています。
聴きたいなら、感じたいなら、信仰心を持ち、自分自身が「心の耳を澄まし心の目を開いてみること」。
間違っても、霊能者とか何とか、そういう人たちに高いお金を払うようなことは、わたしはしません。

まあ、こういう体験は、死別の会では、多くの人がしていることで、特にめずらしいことではありません。
わたしの体験より数倍上をいく体験を幾つも知っています。ココには書けませんので知りたい方は直接わたしにご連絡ください^_^;
それに、実は、あちこちで聞くことなんですよ。
ただ、それに、真摯な気持ちで耳を傾けるか、否か、それだけのことなんです。
この世には、科学で証明できないことがたくさんあります。
それを認識しない限り・・・科学教の信者(唯物論者)のままでは、なかなか、神の声もメッセージも聴こえてきませんよね。

シスター高木は、これまでにも、ホスピスにてたくさんの患者さんを見送られていますので、
おびただしい数の、不思議を目になさっています。
人は死ぬとき、神様に召されるとき、ものすごい体験をします。
本人以外にも、周囲の人たちが、それに気づくことがあります。シスターのように、信仰心に満たされた方は、
普通の方より、そういうことに出逢うことが多いのは当然ですよね。

一方で、わたしの不思議を聞き、どうすれば不思議と出逢えるのか、と訊ねてくれる方がいらっしゃいます。
わたしに答えは出せませんが、ただ一つ言えることは「信じること」ですね。つまり「信仰心」ですね。それに尽きるかな。

神様を信じること。魂の存在を信じること。
「国籍は天にある」ことを認めること。
「ただ勝手に生まれて死んでいくのではない、神様の御手によって創られ、学ぶために生かされているのだ」と謙虚になること、でしょうか。

で、わたしの場合は、信仰心を持つこと以外にも、かなり実際的なことをやりました。
そう、天国の彼にお願いをしたのです。
「ねえ、本当に、肉体が朽ちてもまだちゃんと生きているのなら、それを証明する何かをしてほしい」と。
声に出して言いました。夜の夜中に、大声出して頼みました^_^; 彼が召されて一月くらいしたころだったと思います。
一発目の不思議は、その直後に起こりました。頼んだ直後に起こりました^m^
天井から、返事が返ってきました^_^; びっくりして泣きました^_^;
冗談みたいに書いていますが、真実です。お願いして本当によかった、と思っています^_^;

ただし、お願いしても不思議が起こらないこともあると思います。
信じていても起こらないこともままあるでしょう。
それはそれで、故人の思いなのですから、受け入れるしかありません。
故人が、必要ない、と判断したなら、起こらないでしょうからね。
それは、決して決して意地悪ではなく、故人の愛から発されているものですから受け入れるしかありません。

亡くなった人たちは、この世に生きるわたしたちの、何倍も何倍も尊い存在になっていますから、
遺してきた者に、不思議が必要か、否か、をきちんと見極めて起こしているはずなのです。
わたしの場合も、本当に苦しいときには、何らかの形でメッセージを送ってくれますが、
それ以外の時には、起こりません。
最近は滅多に起こりません^_^;
いつもいつもしていたら「ありがたみ」も薄れるし^_^; それ以上に、わたしにとって良くない、と彼は思っているはず。

故人はいつだって、遺してきた愛する者にとって、一番良いことをしてあげたい、と思っていますし、遺してきた愛する者の幸せだけを願っています。
遺してきた者が、悲しみを抱えながらも(それと共存し)地に足をつけて、自分の力で自分の人生を生き抜く。
これが多くの故人にとっての願いだと思うのです。
本当に苦しいときにはサポートしてくれますが、それ以外では、依存させてはくれません。

ただ、不思議が日常的に起こっているにも関わらず、気づかない人も大勢いると思います。
心の目を開き、心の耳を澄ましていなければ、見逃してしまいます。
そのためにも、信仰心は必要かな、と思います。

まあ、ついに不思議について書いてしまいましたが、
こんなふうに、明らかにメッセージだ、というものを受けても、
それですべての悲しみが癒されるってことはないんです。
何と言っても、こちらはまだ生身の人間ですからね、生身の体を求めるわけです。
彼に触れたい、以前のままの肉体を持っている彼に触れたい、抱きしめたい、と、狂おしく求めちゃうんですよ。
ただ、聖書に書かれていることがやはり真実であり、神様も魂の永遠性もすべて真実であり、何より「再会の確信」を持てた、ということは、非常に支えになります。


『もし死者が復活しないとしたら
「食べたり飲んだりしようではないか、どうせ明日は死ぬ身ではないか」
ということになります。
思い違いをしてはいけない。
正気になって身を正しなさい。罪を犯してはならない』

『しかし、死者はどんなふうに復活するのか、どんな体で来るのか、と聞く者がいるかもしれません。
愚かな人だ。
あなたが撒くものは、死ななければ命を得ないではありませんか』

『「死は勝利に飲み込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか」
(中略)主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にはならないことを、あなたがたは知っているはずです』

キリストの復活(死者の復活)について書かれた、新約聖書・コリント信徒への手紙-15です。
どれもわたしが心に留めている言葉です。

ちなみに、信仰心をなくしてしまった今の日本人には、聖書の言葉を説教じみた戯言、あるいは、まるで夢物語のように捉える方もいるでしょうけれど、
周知のように、たとえばアメリカでは、国民のほぼ80%がキリスト教信者です。

大統領も、医者やエンジニアなどの科学者、弁護士のような実際家、映画俳優などのスターも、宗派は別として、生まれながらにキリスト教に深く関わっており、
聖書の中の言葉は日常的に使われています(実はわたしたちも知らないだけで、普段使っている言葉の中に、聖書の言葉がたくさんあります)。
だから映画などを観てもわかるように、アメリカ人の言葉には、深みがあります。

ここまで、キリスト教についていろいろ書いてきましたが、
シスター高木は、「宗派はまったく関係ありません。ただ信仰心は大切です。みなさま信仰心をお持ちくださいね」とおっしゃっています。
「教会で祈らなくてもいいのです。どこで祈っても神様は聞いてくれています。歩きながらでも、心の中で手を合わせて祈ってください」とおっしゃいます。

生まれながらのクリスチャン(わたしはシスターの生き様を見ながら本当にそう感じます)であるシスターが、
「宗派は関係ない」と言うのですから、これはある意味すごいことだと思います。

つまり、信仰心とは、どこかの宗教、宗派に属さなければ得られないものなのか、養えないものなのか、というと、そうではないのですね。
わたしの場合は、たまたまキリスト教が自分に合っていた、ただそれだけのことです。

大切なのは、宇宙をつかさどる偉大なる存在(キリスト教では『主・イエスさま・聖霊』これを三位一体と言う)を信じ、
自分は勝手に生まれて死ぬのではない、何か使命を持って(大・小関係なし)生かされているのだ、苦しみ悲しみの中から大切なことを学んでいるのだ、
わたしたちは肉体だけの虚しい存在ではなく、元々は魂であり、真実の命は永遠なのだ、
と信じることだと思います。

また、「死んだらおしまい」ではないのだから、「遣り逃げ」はできません。
この世で自分が犯した罪はすべて、あの世にも持っていかなければならない。
だから、悪いことはできません。
信仰心=良心です。

毎晩、一人で、神様(偉大な存在)に向かって、感謝の祈りをささげる。一言ささげる。
それだけで立派に「信仰心を持った人」です。

「ありがとうございます」と一言、神様に感謝すると、心は晴れ晴れとしてきます。
神様はきっと応えてくれます。
あなたがとても大切な、重要な存在であることを悟らせてくれ、
そして、いつもあなたのそばにいますよ、護ってあげますよ、安心してくださいね、と言ってくださいます(*^_^*)
心の耳を澄ますと、聴こえてきます。

「敵を愛せ」と言われても、愛せないことだってあります。
「左の頬をも差し出せ」と言われても、差し出せないことだってあります。
人を恨み、憎み、嫉妬し、優しくなれないことも、ままあります。

その弱さも含めて、すべてを、神様は、愛してくれています。
弱ければ弱いほど、情けなければ情けないほど、貧しければ貧しいほど、
神様は、わたしたちの味方です。

ただし、弱さを克服するための努力は必要です^_^;
人の痛みに寄り添うことのできる自分になれるよう、謙虚になれるよう努力することは必要です^_^;
神様は、結果ではなく、その経緯を重んじられるとわたしは信じています。

信仰心にがんじがらめになる必要はありません。
大切なことは、自分らしく自由に生きながら、心の中に、ゆるぎない信仰心を持っていることだと、わたしは思っています。
かわいいお洋服に身を包み、髪の毛をくるくるさせながらも、
わたしは、心の深いところに、ゆるぎない信仰心を持っています^_^;
もしわたしが、突然好みの方向転換をし、浜田ブリトニーチャンみたいな格好を始めても(あの子はカワイイ!)、
心の深いところに、変わらず信仰心を持っています^_^;

信仰心のために、俗的なことへの興味を失うつもりはありませんし、
俗的な世の中もまた、神様の創られた、いや、容認されていらっしゃるものだとしたら、
それをも大いに楽しめばよいのです。

信仰心の権化になる必要はない。
だけど、信仰心を心の深いところに持ち続ける。人に見せなくてもいい。自分の中で、しっかりと、持ち続けてさえいれば。
必ずやお役に立ちますよ^m^

長くなって、ごめんなさい^_^;
最後までお読みくださったみなさま、ありがとうございます。
興味のない方もいらっしゃると存じてはおりますが、
何か苦しいことがあったとき、自分の手には負えないような悲しみと向き合わなければならないとき、
・・・そういうことは、生きている限り、必ず起こりますから・・・
「一番苦しいそのときにこそいてほしい人たち」がみんなみんな去っていっても、
神様だけはあなたを裏切らない、あなたを「無条件に」愛し続けている、目には見えなくても必ずいらっしゃる、

そして、もしあなたが大切な人を亡くした経験がおありだとしたら、
その人は、わたしのダーのように、いつもいつも、あなたを見つめ、背後からしっかりと護り続けている・・・
ということを思い出していただけたら・・・
そんな想いで書いてみました^_^;

いつかかならず帰らなければならない(現世的に言うといつかかならず死ななければならない)のであれば、
そして、この世で自分が行ったことは、名誉とお金以外はすべて持ち帰らなければならないとしたら、
精一杯、人を愛し、愛され、全体的に生きることを楽しみ、
それらを天国で待っている人たちが喜ぶような「おみやげ」として持ち帰れたらいいな、と思っています^m^